第29話 元年季冬 鵲始めて巣くう 3


 理淑の入隊の試験自体は難なく終わった。

 あとは英賢と約束した条件、"羽林軍で一番強い者に勝つ"ことのみである。

 試験後、鍛錬場に理淑と曹将軍が居残った。そこに執務を終えた英賢がやって来た。

 その英賢の隣に壮哲がいるのを見て理淑が焦る。


「まさか、相手って、壮哲様じゃないですよね……?」


 壮哲には勝てたことがない。


「流石に陛下にお相手をしてもらうことはありません」


 曹将軍が生真面目に言う。


 それはそうだ。

 では、誰が?


 理淑が辺りを見回しても、それらしい人物は見当たらない。

 すると。


「……申し訳ありません。私がお相手をすることになりました」


 壮哲の後ろの方から声が聞こえた。

 佑崔が気まずそうに進み出る。

 常に壮哲に付き従っているので、佑崔がその相手だとは思わず見過ごしていた。


「ええっ? 佑崔殿って羽林軍だったの?」


 理淑はまだ佑崔が周家の侍従をしていると思っていた。


「はあ、まあ、一応は……」


 肯定の返事の歯切れが悪い。

 理淑は佑崔と手合わせしたことはない。

 僅かに不安を感じたが、思い直す。


 確かにあの事件の際に、野犬たちを始末した手並みは見事だった。

 しかし、壮哲より強いか、となると、どうだろうか。

 細身のしなやかな体躯は動きに無駄がない。しかし腕力は壮哲に比べて大して無さそうに見える。背丈も理淑よりは高いが、壮哲ほどではない。何より覇気、というか気迫はさっぱり感じられない。

 壮哲でないなら、多分勝ち目はある。


 理淑は気合を入れ直して対することにした。


 勝負は一度きり。真剣の代わりに木製の剣を用いる。

 勝敗は曹将軍が判ずる。

 英賢が心配そうに見つめる中、理淑と佑崔が向かい合う。

 理淑が剣を構えると、佑崔もそれに倣った。


 佑崔の動きを捉えようと、理淑が注視し耳をすませる。

 しかし、佑崔の全く緊張の見られない構えからは気が感じられない。次にどう動くのかをさっぱり読むことができない。

 理淑も範玲ほどではないが、耳が良い。理淑の場合は耳を使って気を読むことに長けている。腕力のない理淑が禁軍の兵士たちに勝つことができるのは、その敏捷性に加えて、相手の気を読み、どう動くのか感じ取ってわずかに先んじることができるのが大きい。

 しかし、佑崔には自分から仕掛けてこようとする様子が微塵もなかった。

 向かい合ったまま時だけが流れる。


 これでは埒があかない。


 理淑は静かに細く息を吐くと、己からは動こうとしない佑崔に向かって、やにわに音もなく地を蹴り、木の剣をそれと気付かぬ速さで振り下ろした。

 ところが、理淑の振り下ろした剣を、佑崔が剣を以って受けるかと思ったら、ふっと身体をひねり、あっさりと理淑の剣を避けた。振り下ろされた理淑の剣は空を切る。

 佑崔の動きにはいささかも無駄がなかった。

 理淑の動きが遅いわけではない。見ている英賢はむしろ理淑の動きの速さに驚嘆する。

 しかし、理淑が何度剣を向けても、佑崔は最小限の動きで正確に避ける。

 佑崔の鼻先を理淑の剣がかすめる。

 見ている側はひやりとするが、佑崔にとっては狙い通りの動きであるようだ。涼しい顔が崩れることはない。

 そして佑崔は避けるだけで、理淑に剣を向けようとはしない。


 その態度が理淑にはこの上なく腹立たしい。


「逃げてばかりじゃないか」


 理淑が呻くように言うと、佑崔は困った顔をして、ちらりと英賢と壮哲へ視線を送る。

 壮哲が顔をしかめると、佑崔が情けない顔をしてふるふると首を振った。


 馬鹿にされてる?


 理淑の眉が逆立つ。

 気を鎮め、長く息を吐くと、意識を集中させて一気に佑崔に切りかかった。


「わ」


 佑崔が小さく声を上げる。

 木と木がぶつかる音が響く。

 跳ね飛ばされた木の剣が空を舞ってから、カランと地面に落ちる音がした。


「ああっ! 申し訳ありません!」


 佑崔が斜めに構えた剣を下ろし、慌てて言った。

 理淑の手からは剣がなくなっていた。切りかかった剣を佑崔に弾き飛ばされてしまったのだ。


「勝者、斉佑崔」


 曹将軍が宣言した。

 焦った様子で佑崔が理淑を覗き込む。


「すみません……理淑様、大丈夫ですか? つい……」


 謝られるのがまた腹立たしい。

 理淑は唇を噛む。

 しかし、実力の差が歴然としていることは理淑にもわかった。


「参りました」


 理淑は俯いて小さく言った。


 負けてしまった。

 負けたということは、軍には入れないということだ。そういう約束だったから。


 理淑はうっかり視界が滲んできそうになるのを顔をしかめて我慢する。

 佑崔は申し訳なさそうに理淑を見ると、英賢を振り返った。

 英賢は顎に長い指を当てて難しい顔で二人を見ていた。


「陛下、実際のところ、どうなんですか?」


 英賢が理淑を見つめたまま壮哲に話しかける。


「佑崔に思わず剣を上げさせたというのは、愕きだな。正直、理淑は佑崔に体良ていよくあしらわれて終わると思っていた」


 その言葉を聞いて、英賢は考え込む。

 本気で剣を振るう理淑を見たのは初めてだ。これ程までとは思っていなかった。

 負けはしたものの、あのように静かで、速く美しい剣を見たことがなかった。


 これは惜しい。

 蒼国の、責任ある立場にある者として、私情でみすみすこの素材を見過ごして良いのか。

 頭ではわかっている。わかってはいる。

 だが。しかし。


 英賢は逡巡して理淑を見る。

 理淑は自分が負けたことを潔く認め、約束は守らなければならないと覚悟をしているようだ。

 先程まで満ちていた気迫はすっかりなくなり、肩を落としている。

 英賢は、はぁ、と溜息をつくと、こめかみを指でおす。


「理淑」


 呼ぶと理淑が英賢の方へ無言で振り返る。

 口を真一文字に結んで、悔しさを堪えている顔だ。


 なんて顔をしているんだ。


 英賢はつい言ってしまった。


「……羽林軍で蒼国のために努めてくれるかな」


 英賢から掛けられた言葉の意味が、一瞬理淑には理解ができなかった。

 が、理淑は自分が認められたことに気づき、息を飲む。


「……いいの?」


 信じられないといった顔で理淑がおずおずと聞くと、英賢は困った顔で頷いた。


「こんなに腕の立つ者を、採用しないわけにはいかないからね」


 理淑は短く歓声をあげると、英賢の元に駆け寄って勢いよく跳びついた。


「こら! 危ない!」


 英賢が笑いながら抱き止めると、理淑は英賢にぎゅうっとしがみついた。


「兄上、ありがとっ! 強くなって兄上たちを守るね!」


 理淑の言葉に英賢は苦笑する。


「願わくばそういう場面には出くわしたくないな」


 英賢に抱きついていた腕を離すと、理淑が顔を上げて宣言した。


「とりあえず、打倒、佑崔殿だわ!」


 鼻息荒く誓う。

 無理やり駆り出された挙句、突然、打倒宣言をされて佑崔が困惑する。


「えぇー……」


 そのやり切れなさをどこにぶつけて良いのかわからず、佑崔はただ立ち尽くした。



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