第13話 二日目下午 養安殿 1
珠李が帰ると、彰高が身支度を整え始めた。見ると、ちょっとそこまで出かける、という様子ではない。
「どちらへ行かれるのですか?」
範玲が聞くと、そこへ壮哲たちが帰って来た。彰高は、ちょうどよかった、と壮哲にぼそぼそと早口で何かを話すと範玲を振り返った。
「悪いが先ほどの珠李殿の話、壮哲たちに教えてやってくれ」
そう言うと、あっという間に行ってしまった。
「……彰高殿は何処へ行かれたのですか?」
結局、本人から答えをもらえなかった範玲が壮哲に聞いた。
「紅国だそうだ。明日の昼過ぎには戻ると言っていた」
こんな時に紅国へ行くのか、と不審に思って範玲が更に聞こうとすると、壮哲が先に口を開いた。
「珠李殿の話とは?」
はぐらかされた気もしたが、理淑もやって来て、何の話? と元気なく尋ねるので、言われた通り先ほど珠李から聞いた話を聞かせた。
「よかった……」
真剣な表情で聞いていた理淑は、英賢が無事なこと、そして近くに味方がいることを知って安堵すると、途端に元気になった。
*
深夜を過ぎた頃、範玲は床についた。しかしやはり眠れずにいると、部屋の外で僅かな気配を感じた。恐る恐る覗いてみると、壮哲と佑崔が出かけるところだった。
これから宮城に行って養安殿にいる縹公を連れ帰ってくると言うのだ。
「それなら私も行く」
跳び起きてきた理淑が壮哲の腕を掴んだ。
承諾するまで離さない、という意気込みだ。
壮哲は渋い顔をして理淑を見返した。
理淑は昔から縹公にとても懐いていた。縹公は武将としても名高く、理淑の小さい頃から武芸の稽古に付き合ってくれていた。縹公も理淑を娘、いやむしろ息子同様に可愛がっていた。
その縹公を助けに行くのであれば自分も、と思う理淑の心情は壮哲にもわかった。
わかってはいるが止めないわけにはいかない。
「遊びじゃないから」
「そんなのわかってる。お願い。足手まといにならないようにするから。連れて行ってくれないなら内緒で着いて行く」
「英賢殿から巻き込まないように言われたのを理淑も聞いただろう」
「いや。いやだ。絶対。巻き込まれるんじゃないもの。自分の意志で行くの」
英賢からの言葉を引き合いに出しても、言うことを聞く気はないらしい。
明るい碧色の瞳がいつもの朗らかさをすっかり消して壮哲を睨む。
壮哲が助けを求めるように範玲に目をやるが、心配そうに見てはいても、理淑がこう言い始めたら聞かないことは承知しているのか、あえて口を出すつもりはないようだ。
内緒で着いてこられるぐらいならば、最初から手の内に組んでおいた方が安全だろうか……。
壮哲は掴まれていない方の手で首の後ろを摩りながら溜息を吐いた。
「言うことを聞くという条件だぞ」
理淑はこくりと頷き、掴んでいた壮哲の腕を離した。
*
養安殿は宮城内の北の方に位置する。宮城の北門である玄武門から入るのが最短の道筋である。
しかし、玄武門脇には禁軍の詰所もあり、容易に入ることができるとは思えない。
ところが、そのことを理淑が聞くと、壮哲は大丈夫だと請け合った。
*
夜陰に紛れて禁苑と内苑を抜け、玄武門に着くと、案の定、禁軍が
玄徽は壮哲の年上の部下である。いつも壮哲の行動に厳しい意見を言い、理淑の目には反目しているように見えていた。
「曹副将までいるけど、大丈夫?」
理淑が心配になって声をかけると、壮哲はにやりと笑っただけで、そのまま何事もないように門を抜けた。
数人いる禁軍の兵士たちは、いずれも気付いていないように明後日の方向を向いている。むしろ三人を隠すように立ち位置を移動してすらいる。
不審に思いながらも理淑は先を進む壮哲と佑崔に続いた。
宮内に入り、物陰に隠れると、理淑はついに我慢できず聞いた。
「どういうこと?」
「話をつけてあるからな」
壮哲が夕刻出かけていたのは、曹玄徽に会うためだった。
**
「一体どうなっているのですか」
呼び出しに応じた玄徽が開口一番聞いた。
厳しい顔はいつもと変わらないが、口調があからさまに怒ったものになっていた。
禁軍は壮哲を捕えるようにと指示されていたはずだが、玄徽は禁苑の片隅で、壮哲と話をしている。木の陰に身を隠した壮哲に背を向け、傍目には一人でいるだけに見える。
「いいのか。私を捕らえなくて」
「命令を出したのは右羽林の呂将軍です。我々左羽林の指揮系統ではありません」
淡々と玄徽が言う。
「そうは言うが、左羽林の長が不在ならば従うべきじゃないのか」
「事実関係を把握せずに軍を動かすことは副将としてできません」
「驚いたな。貴方は私に文句ばかり言っているから、真っ先に捕まえに来るかと思っていたよ」
「私は貴方の副官です。貴方に追従するだけでは意味がないでしょう。私が反対の意見を言わずに誰が言うのです。貴方の至らないところを補佐するのが私の役割です」
壮哲が戯けて言った言葉に、生真面目な反論が返される。
表向きは反目しているように見えるだろうが、玄徽のその態度は壮哲のことを思ってのものであることは理解していた。信頼できる人物であると知っていたから、壮哲はあえて玄徽のところにやってきたのである。
「それで、秦将軍、本当に藍公達に手をかけたのですか?」
「そんなことするわけがないだろう」
「そうですね。承知しました」
この短い会話により、玄徽の中で壮哲にかかっている僅かな疑惑がないものとなった。
「部下達も呂将軍の命令に納得しなくて大変だったんです。もっと早く言ってくださいよ」
ぼそりと抗議の言葉を吐くと、壮哲が苦笑する。
「すまなかった」
「右羽林軍が捕らえに来た時、貴方なら向かって来た兵ぐらい始末できたでしょう。でも、そうはせず逃げましたよね。あれは兵を傷つけたくなかったからでしょう? 右羽林の者たちも、向かって来られなくて助かった、と言ってましたよ。そんな貴方だから、部下たちは皆、貴方が藍公達を殺害したなんて信じてませんでした」
玄徽は相変わらずそっけない口調のまま、壮哲への信頼を淡々と語った。
「ありがたいな」
壮哲が僅かに照れたように笑い、続けた。
「それで、迷惑をかけた上に申し訳ないが、頼みがあるんだ。今夜遅くに監禁されている親父殿を連れ帰りたいんだが、ここを通る時、見逃してもらえないか」
直截に壮哲が言うと、玄徽は表情を変えずに言った。
「禁軍としては積極的にご支援できません。……ただ、ここを通る貴方に気づかないことは十分にありえます」
しれっと遠回しな承諾が返された。
「すまないな」
壮哲が謝ると、
「縹公は軍事を司る大尉、いわば我々の上司です。ご無事を案じておりました。どうぞ何事もなくお連れ帰りください」
いつもの生真面目な声で玄徽が言った。
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