第6話 二日目上午 宮城 2



 彰高が訪ねたのは、王たちのお世話をする殿中省配下の尚食の女官たちがいるところだった。尚食は王の食に関することを管轄する職だ。


「失礼いたします」


 開いていた戸口から彰高が声をかけると、ちょうど休憩中だったのか、おしゃべりをしていた女官が振り向いた。


「あら、彰高殿。来てくださったのね」


 明らかにそれまで話していた声より高い音で、一番年嵩としかさに見える女官が出迎えてくれた。

 範玲はその響く声にびくりとして耳を押さえ、下を向いて隠れるように彰高の後ろで身を縮めた。


「ご無沙汰をしております。央凛様。ご所望の品をお持ちしましたよ」


 彰高が極寒の眼差しを雪解けの瞳に変化させて微笑み、低音の甘い声で言った。

 後ろに付き従っているだけの範玲は、ただただ彰高の変わり身の早さに感心するだけだが、女官たちはその笑顔——範玲には胡散臭くしか思えないが——と声に、頬を赤らめる。


「あら、今日はお一人ではないのね。その方はだあれ?」


 央凛と呼ばれた女官が彰高の後ろに目をやり、少し声に嫉妬をにじませて範玲を牽制する。


 視線が刺さる……。


 範玲はびくびくしながら彰高の背に隠れてできるだけ身を小さくしてみるが、無情にも彰高が横に体をずらして、範玲を女官たちの前に晒した。


「ああ、ご紹介いたしますね。私の妹です。少し手伝わせてみようかと思いまして連れて来ました。皆さんお見知り置きくださいね」


 事前に兄妹という設定でいくということを聞いていたが、いきなり話を振られて範玲の心臓がばくばくと打つ。

 瞳を見られないように伏し目に俯き、更にぺこりと頭を下げてまた彰高の後ろに引っ込んだ。


「申し訳ありません。不調法で。さあ、それより皆さん、せっかくお持ちしたのですから品物をご覧ください」


 彰高が持って来た包みを掲げると、妹だと紹介された範玲には興味がなくなったのか、女官たちは歓声をあげた。

 その歓声に範玲が後ずさる。


「ちょうど休憩に入っていたの。よかったわ。隣の控え室で拝見しますわ」


 央凛に隣室に通された。

 包みを広げて、櫛や簪などを披露すると、女官たちは目を輝かせて美しい小物たちに夢中になった。

 かしましい雰囲気に辟易し、範玲は部屋のできるだけ皆と離れた隅で成り行きを見ていることにした。

 彰高は品物を物色している女官たちに、さりげなく話しかける。


「先ほど、門のところで止められたんですけど、何かあったのですか?」


 その問いかけに、ああでもないこうでもないと、楽しげに品物を見ていた女官たちが、ぴたりと静かになり、気まずい空気が満ちた。


「……ちょっとね……。何だかもう色々信じられないことがあって……」


 くだんの出来事のことを言っているのであれば、おいそれと部外者に漏らすことはできないだろう。言い淀むのは当たり前だ。


「何があったんですか?」


 しかし彰高はここぞとばかり、普段の冷たい態度とは比べ物にならない慈愛に満ちた気遣いの微笑を浮かべ、躊躇する女官たちの言葉を誘導する。

 不思議なことに、もう何でも話してしまいたくなるような雰囲気が支配したところで、央凛が声を潜めて話し出した。


「……内緒よ。あのね、昨夜藍公と承健様が宮城で亡くなられたの。何でも殺害されたって聞いて……。しかもその犯人が壮哲様と英賢様だとか…」

「でも、お二人がそんなことをされるなんて信じられなくて」


 別の女官が言うと、他の女官たちも、そうそう、と頷く。


「そのお二人はもう捕らえられたのですか?」


 彰高がしれっと聞く。


「英賢様は捕らえられたと聞いたけど……。でも、あんなにお優しくて頭の良い方がそんなことをするなんて、信じられなくて……」


 央凛が困惑の表情で呟くと、他の女官たちも再び、そうそう、と頷く。


「でも、人は見かけによらないと言いますから」


 女官たちがしんみりとしている中、一人の女官が言った。


「珠李、今あまりそういうことは言わないのよ」


 珠李と呼ばれた女官はたしなめられて、はーい、と肩をすくめた。

 範玲は眉を顰めてその女官をこっそりと睨む。


 こういう人にはこの件も、単なる噂話の一つなのだろう。


 範玲が部屋の隅で一人もやもやしながら立っていると、別の女官が思い出したように言った。


「……そういえば、さっき、荀氏が随分焦った様子で、照礼殿との婚約を解消しなくてはとおっしゃっていたわよ」

「何それ。本当に荀氏ったら許せないわ。下衆にも程があるっていうのよ。あんなに泣き落として英賢様と娘を婚約させたくせに」


 この件に関しては他の女官たちも思うことがあったのか、口々に文句を言い放った。

 荀氏の長女の照礼と英賢の婚約の件はもちろん範玲も知っていた。王族で若くして碧公を務める優秀で見目麗しい英賢に、娘をめあわせたい親たちは引きも切らない。

 だが、妹二人を溺愛する英賢は、範玲と理淑が嫁いだ後でなければ自分は結婚する気はない、と明言していた。理淑はともかく、引きこもって表にすら出てこない範玲のことを鑑みると、それはいつになるのか、はたまたそんな日はやってこないのではないか、とほとんどの者が尻込みした。

 しかし、それでも良いから、と荀氏に結局無理やり娘との婚約の約束を取り付けさせられたと聞いている。

 それなのに、荀氏は早々に、しかも事実を確かめもせず、婚約を破棄するというのか。

 範玲は聞いていて益々もやもやした気分になった。


「そうですか。そんなことがあったのでしたら、陛下も御心を痛めておいででしょうに」


 そんな範玲をよそに、彰高が心配そうに呟くと、女官たちは顔を見合わせて、どうしようか躊躇った後に教えてくれた。


「そうなの。昨夜から陛下もご心配が祟ったのか、朝餉も召し上らなかったのよ。怜花様と呂将軍がつきっきりでいらっしゃるわ」


 妃とその兄に自分たちが付いているから来なくていいと言われて、彼女らも王の姿を見ていない様子だった。つい先ほども王の元へ朝餉を下げに行ったが、戸口で呂将軍に追い返されたとのことだ。

 重い空気が流れ、どんよりとしてしまった中で、央凛がふと気付いたように顔を上げた。


「……あら、いけない。もう休憩の時間が終わるわ。残念だわ……もっと見たかったのに」


 広げていた小物たちを名残惜しそうに眺め、央凛が甘えた声で彰高に向かって上目遣いに言う。それに対して彰高がにこりと微笑んで提案をした。


「では、これらは今日のところは央凛様にお預けいたしましょう。じっくりと見ていただいて、今度参りました時にお気に召したもののお代をいただければ結構ですよ」


 それを聞いて、央凛はぱっと笑顔になる。


「いつもありがとう。私たちは仕事に戻らないといけないからお付き合いできないけど、彰高殿はお茶でもゆっくり飲んでいらして。ただし、この部屋から他には出ないでくださいね。先ほどお話しした事情で今ちょっと取り込んでいるから」


 そう言って、またすぐに来てくださいね、きっとよ、と彰高の肩に意味深に手を置くと、上機嫌で去って行った。

 範玲は女官たちの後ろ姿を見送ると、首を戻してまじまじと彰高を見た。


「……なんだ」


 商品を包み直しながら、不機嫌に戻った彰高が範玲を見もしないで言う。


「いえ、何も」


 そう。何も言うまい。


 範玲は口をつぐんだ。




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