第5話 二日目上午 宮城 1



 結局、範玲は明け方に僅かにうとうととしただけで夜が明けた。

 理淑も同じだったようで、二人は早々に昨夜追い出された部屋へ向かった。

 部屋は昨夜と同じ光景だった。彰高と壮哲、それに佑崔がいる。もしかして一睡もしていないのではないかと思われた。


「眠れたか?」


 二人の顔を見て壮哲が声をかけた。


「……いえ……ほとんど眠れませんでした。それより、兄上はご無事でしたか?」


 戻ってきていた佑崔を見て気が急き、壮哲への返事をおざなりに済ませて範玲が聞いた。

 声が僅かに震える。


「英賢様はご無事のようです。ただどこにいらっしゃるかまではわかりませんでした。藍公と承健様殺害の嫌疑については陛下の御前で審議されることになるようです」


 無事と聞いて範玲は安堵のあまり崩れ落ちそうになる。理淑も大きく息を吐いて、よかった、と呟いた。


 審議を受けるということは、少なくともそれまでは無事ということだろう。

 それまでに英賢の無実を証明する時間の猶予があるということだ。


 この他に佑崔が得てきた情報では、英賢は啓康王を廃位させ、自身が王位に着くつもりだったが、藍公と承健によりその計画が阻まれたため、協力者であった壮哲に殺害させたということになっているらしい。


「馬鹿馬鹿しい。何て荒唐無稽な話! そんなことするはずがないじゃない」


 理淑が王族の県主ひめらしからぬ様相で歯噛みする。


「ああ。全くだ。どうやらそういったことを言いふらしているのは呂将軍らしい」


 呂は王妃である怜花の氏だ。その父親の菅邦は都省右丞、兄である叔宝は右羽林将軍に就いている。

 昨晩壮哲を捕らえに来たのも、叔宝率いる右羽林軍であったという。


「それからもう一つ、悪い話がある」


 彰高が続ける。


「縹公の居処がはっきりしない」


 範玲が思わず壮哲を見ると、眉間に深い溝を刻んで目を閉じていた。

 昨夜、佑崔が秦家へ壮哲の状況を伝えに行った際に、壮哲の父親である縹公が倒れたらしいと知らされた。

 らしい、という不確定な情報なのは、縹公は英賢と同じく夕刻に登城していたが、夜になって宮城から縹公が倒れたから休ませていると知らせがあっただけだからだ。

 壮哲の姉の梨泉が敬伯の元に行こうとしたところ、秦家を見張っていた右羽林軍に阻まれてしまった。だから実際には縹公が何処にいるのか確認ができていないということである。

 なお、秦家の屋敷周りは相変わらず禁軍に見張られており、家の者たちは軟禁状態となっているという。


「倒れた、などと親父殿はそんなタマではないがな。それでも、捕らえられたという言い方ではなかったようだから、何処かに軟禁されているのかもしれない」


 壮哲が険しい顔で言った。


「そこでこれから私と範玲殿とで宮城へ行くことにする」


 彰高からの突然の指名に範玲の背筋が伸びる。


「私は元々宮城へは喜招堂として出入りをしているから、私が行くのは不自然ではない。範玲殿の顔は知られていないから手伝いとして連れて行く。行った先では陛下の様子を探ってほしい」


 自分で申し出たことではあるが、範玲は大役を言いつけられ、緊張がじわじわと襲ってくるのを感じながら神妙な顔で頷いた。


「私は?」


 理淑が前のめりに聞いた。しかし、とりあえず今回は大人しくしているように言われ、頰を膨らませてふてくされる。


「まあ、理淑はいつも宮城や皇城をフラフラ歩き回ってたから顔が知られているし、明るいうちは駄目だな」


 壮哲に言われ更に理淑の頰は膨らんだ。



**


 

 ふてくされた理淑はそのままにして、範玲は用意してもらった朝餉あさごはんを無理やり押し込むと、渡された襦裙じゅくんに着替えた。

 彰高は、洒落た黄楊つげの櫛や美しい飾り細工のかんざし白粉おしろいなどを箱に入れて包むと、行くぞと言って範玲を振り返った。

 ところがしばし見つめた後、範玲に地肌より少し濃い白粉を塗って、眉を書き足し、目の下に黒子を書くように言った。


「素のままだと目立ちすぎる。後、出会った人とは目を合わせるな。瞳の色を見られないよう、できるだけ下を向いているように」


 碧色の瞳は夏家の者であると示すものだから、気をつけろということらしい。

 範玲が言われた通り顔に手を加えると、再び彰高の点検を経て、ようやく宮城へと出発した。

 彰高は、ちょっと遠回りになるが、と賑やかな通りを避け、できるだけ人通りのない、静かな道を選んで進んだ。

 あえて聞きはしなかったが、彰高が範玲の耳のことを気遣ってくれたのだろう、ということに範玲は気付いた。





 向かう先の城は大まかに言って、官庁街である皇城と、王の御在所である宮城に分かれる。そのうち、宮城は王が執務を行う外廷と、王と妃、皇子たちが暮らす私的な部分の内廷に分かれる。

 宮城の入り口の長楽門で彰高が通行札を見せると、それまで鹿爪しかつめらしい顔をしていた門兵が、表情を緩めて声をかけてきた。


「この間はありがとうございました。おかげで助かりました」

「いやいや。大したことじゃないですよ」


 彰高はいかにも親切そうな微笑みで返す。


 ええっ!?


 範玲はぎょっとして隣の彰高を二度見した。


 誰この人!


 いつも厳冬の海のような冷たい眼差しを寄越し、自分には愛想笑いの一つも向けたことがないのに、何だこの差は?


 範玲があんぐりと口を開けて見ている中、彰高は門兵ににこやかに軽く挨拶をした。そして小声で、ほら行くぞ、と持っている荷物で範玲の腕を小突き、先へと歩を進めた。


「阿呆面をやめろ」


 眼差しに冷たい色が戻り、未だ口を開けている範玲に低い声で言う。


「いえ……ちょっと衝撃で」


 開いていた口を手で閉じ、受けた衝撃を告げずにはいられなかった範玲がもごもご言う。


「商売で客相手をする以上、振りまく愛想くらい持ち合わせている。先日来た時にあの門兵が具合が悪そうだったから、持っていた薬を分けてやっただけだ」


 彰高の意外にも親切な一面に、範玲の口が驚きのあまり再び開いた。


 いやしかし、ここに来るのに、できるだけ静かな道を選んでくれたこともあるし、実は良い人なのかもしれない。


 範玲が思い直して口を閉じる。


 人を見かけで判断してはいけない。


 うん、と一人頷きながら彰高の後をついていく。

 左手に朝議が行われる蒼翠殿を見ながら内廷へ通じる門へと向かう。

 範玲には、初めて見る宮城が物珍しく、歩きながらきょろきょろとあちこちに目を奪われていると、急に足を止めた彰高にぶつかりそうになった。


「あぶっ……」


 急に止まらないで、と範玲が内心で抗議する。しかし彰高は気にした様子もなくある方向を凝視していた。


「何です?」


 彰高が見つめる方向に目を向けると、他国の使者らしき者と役人が蒼翠殿の軒先に立っているところだった。


「……いや、何でもない」


 怪訝に思い聞くが、彰高が言葉を濁し、思い直したように再び歩き始めたので、範玲は慌てて後を追った。

 たどり着いた宮城の内廷への入り口で、再び通行札を見せる。


「何だかいつもより物々しいですね」


 この門兵とも顔見知りなのか、何気ない口ぶりで彰高が言う。


「あまり俺らのところには事情が降りてこないけど、上の方でゴタゴタがあったらしいんですよ。通行は厳しくしろと言われているんです。今日は帰ったほうがいいと思いますよ」


 話しかけられた門兵が難しい顔で通行を渋る。


「それは困ったな。殿中省のお姉様方からのご注文の品をお持ちしたんですよ」


 彰高が眉を下げて思わず同情を誘う表情を作ると、門兵も困った顔をする。

 うーん、と少し悩んだ後、結局通してくれることにしたようだ。


「仕方ないですね。裏口から入って用事が済んだらさっさと帰ってくださいよ」

「ありがとうございます。恩に着ます」


 人好きのする笑顔で彰高が礼を言う。

 今まで見てきたのとは全く違う表情の彰高は、範玲には明らかに胡散臭さしか感じられなかったが、門兵はすっかり信頼している感じである。日頃から良い関係を作っているのだろう。


 それにしても内廷に立ち入りを許されているというのは、この人は一体どういう人なのだろう。豪商とはいえ、普通はこのように気安く入れるものではなかろう。

 相当太い繋がりがあるのか。


 しれっと宮城に入り込む彰高の背中を見ながら、この得体の知れない人物に興味が湧いていた。


 二十二年間引きこもっていた身には刺激が強い。


 範玲は大きく息をついた。



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