真っ暗な中にあるロープに私は立つ

ななし

真っ暗な中にあるロープに私は立つ

 部屋の電気を全て消した真っ暗な部屋の中。リビングには天井から吊るした輪っか状のロープがある。そのロープの前に立ち私は目を瞑って今までの記憶を振り返る。随分チンケな人生だった、そんな感想しかないなんともつまらない人生だった。

 中学の時も高校の時も存在感のない私。居てもいなくてもいいような、そんな観葉植物みたいなのが私だった。周りはメイクの話や恋愛の話で盛り上がる中、無縁の私はいつだって蚊帳の外。いつも幽霊呼ばわりで馬鹿にされ、挙げ句の果てには無視される。私の青春時代はそんな思い出しかなかった。

 大学生になれば変われるかもと淡い期待を寄せたが、現実は冷たくそんな期待を一瞬て打ち砕くだいた。それでも大学を二年間キチンと通ったが、楽しみも希望も見出せないそんな学生生活だ。


「私も友達とか恋人とか欲しかったな」


 そう心から思った。だけどそうならなかった。人見知りの私にとって、そんな過去を持つ私にとって、人に気を許す事は難しい事なのだ。それでもお構いなしでズカズカと私の心に入って欲しかった。その位してくれる人が欲しかった。

 だがそれは理想だ。そんな人は現れなかった。


「さようなら」


 椅子の上に立ち私は左頬に涙を流しながら静かにそう言った。覚悟はもう決まった。ロープへと手を差し伸べ首までロープを持ってくる。


 ピンポーン


 静寂に包まれた真っ暗なリビングにチャイムが響いた。


 ピンポーンピンポーンピンポーン


 と何回もチャイムが鳴り響く。

 流石に雰囲気を壊された私はとりあえず出る事にした。私は玄関の扉を開けると鍋と大きなビニール袋を持ったお隣さんの男性が立っていた。


「よぉ、おでん作ったから一緒にどうだ?」


 彼は隣に住んでいて大学でも多少は交流がある男性だった。その明るい性格は私とは真逆であり、たまにお昼ご飯も食べたりもした。ただ人と会話が苦手な私なので、いつも盛り上がらない場に私は申し訳ない気持ちで一杯だった。正直苦手なタイプなのだ。根暗な私にとっては彼は眩しすぎる。


「あのさ、入って良いかな?割と重いのよ鍋」


「あっ……ごめんなさい。ど、どうぞ」


 この時の私は頭が真っ白になっていた。そして気が動転していた。どうしていいかわからず、私はとりあえず鍋を重たそうに抱える彼を家に招き入れた。大学生になって一人暮らしを始めたが異性はもちろん同性だって入れたことはなかった。つまり彼が初めての客人だ。


「おい、真っ暗じゃねーか。電気着けてくれよ。鍋がこぼれちまうよ」


 私はリビングに明かりをつけた。そしてとんでもない状況に驚愕する。とんでもない状況というのはそのままの意味だ。リビングには天井から吊されている輪っか状のロープがライトアップされたのだ。まさしくとんでもない状況だ。そして、この状況に私は完全に全機能をフリーズさせていた。

 彼は鍋と一緒に持ってきていたビニール袋をテーブルに置き


「おい、お前のインテリアセンス凄いな。ただ、趣味悪いからあのロープは止めた方がいいと思うぞ」


 そう少し笑いながら言った。

 説明不要だとは思うが別にインテリアのつもりで、リビングにロープを吊してる訳ではない。そして私にもそういった美的センスはない。


「そ、そうだよね。ご、ごめん。今度外しておくよ」


 彼の鈍感な性格に感謝し私は適当にこの状況を誤魔化した。


「いや、今外せよ。なんか夜にこの状況怖いよ。ていうかまさかお前、オレを殺すつもりなのか?そうか、オレがここに現れるのを知っていたのか。凄いな、予知能力でもあるんか?」


 そう彼は鋭い目で推理した。ただこの推理はとんでもない大外れだ。銃で10メートル先の的に狙ったつもりが火星目掛けて打っていた、これくらい外れている。そもそも彼を殺すつもりどころか頭の片隅にもなかった訳だし、当たり前だが予知能力もあるわけない。


「そ、そんな事あるわけないじゃん。じゃ、じゃあ今から外すね」


 私は椅子に登りロープを外した。

 心の中ではいろんな事を言えるが現実世界では、いや正確には人を目の前にするとなにも言えなくなる。そんなどうしようもない自分自身に、嫌気を差しながら椅子から降り、ロープを棚にしまった。


「皿とか箸とかあるか?」


 正直張り詰めた緊張感から急に平穏な状況になり、かなり気が抜けていた。というかため息しか出ない状況だ。私は二人分の皿と箸をキッチンから取り出しテーブルへと持って行った。


「おっ、サンキュ-。じゃあ、始めるから座れよ」


「始めるってなにを?」


 私のその問いに彼はビニール袋から数本のお酒を取り出しニコっと笑って


「おでんパーティー」


 と言った。




 沈黙に包まれる食卓。おでんを食べながらお酒を飲む二人。どうしてこうなったと私は考えていた。そもそもなんでこの人は急に私の家に来たのだろうか。私は思いきって彼に質問してみた。


「ね、ねぇ、そういえばなんで急に今日家に来たの?」


「えっ、だってもう12月だよ?寒いじゃん。寒いときはおでんだろ」


 そう当たり前の様な顔で当たり前の事を言っているが、私が知りたいのはこの家に来た理由だ。なぜ今日の酒のさかながおでんなのかではない。


「ち、違うよ。家に来た理由だよ」


「いや、今日土曜日じゃん。なんかお酒飲みたくなってさ。でも一人で家で飲むとか寂しいじゃん。そしたらこうピーンときてさ、だから押しかけた」


 どうやらここへ来た理由はただの思いつきらしい。そしてこの男性はピーンときたから隣にいる女子大学生の家に、お手製のおでんを持って押し掛けに来るらしい。割ととんでもない男だなと私は思った。


「てかどうだオレのおでんは。美味しいだろ」


 おでん自体久しぶりに食べたせいか、この寒い季節にピッタリだからなのか分らないが、心と身体が温まる美味しいおでんだった。


「うん、美味しいよ」


「そうか!よかったぞ、大根と玉子とかは昨日から煮てたからな」


 そう嬉しそうに言った。昨日から仕込むとは料理上手なのだろう。どうりで美味しいはずだ。


「じゃあ、昨日から押し掛けに行こうと考えてたの?」


「いや、さっき言ったじゃん。今日思いついたんだよ、押し掛け計画。昨日の時点では一人で飲もうと思ってたよ」


 この男性はなんとも思いつきで行動する人間なのだろうと思った。そしてとんでもない行動力の持ち主だ。知らない人間ではないとはいえ、休みの土曜日に女の子の家に突然押し掛けるなんて普通は出来るはずもない。多分私を女性とは思ってないのだろう。もし仮に私を女性と思っているのならとんでもないデリカシーの持ち主だ。


「まぁそんな事気にせず今日はパーっと行こうぜ!コンビニで酒もつまみもお菓子もたくさん買ってきたしな!」


 そう言って袋からお菓子やビーフジャーキーなどを取り出していた。随分買ってきたものだ。


「どうした、まだ足りないか?今から買いに行くか?」


 私の顔を見て彼は提案してきたが


「い、いや大丈夫だよ」


 そう返した。

 小食な私にとってこの量だけでも十分だ。寧ろ食べきれない量とも言える。


「遠慮はいらないからな。お金はをオレ出すし」


 そう言ってくれる辺り優しい一面もあるのだろう。ただデリカシーのない人間なだけではなさそうだ。


「おでんおかわりするだろ?ほらオレが装ってやるよ」


 彼は私の皿におでんを装ってくれた。こういう所は割と出来た男性である。


「ほら、どうぞ」


「ありがとう」


 調子を狂わされている私はこの状況に困惑しつつおでんを食べた。


「どうだ。人と食べたり飲んだりすんの楽しいだろ?」


「ま、まぁ楽しいけど」


 私は咄嗟にそう答えたが楽しんでいるよりも困惑している気持ちの方が強かった。そりゃそうだ。いきなりそこまで仲良くない人と晩ご飯を食べているのだから。困惑するのは普通の反応だろう。


「ならもっと楽しそうに食べろ。そんな辛気臭い顔してたらダメだぞ。そんなんだから辛気臭い事しようとするんだ」


「えっ……」


 一瞬私は呆然とした。「辛気臭い事」と彼は言った。そして私はその意味をすぐに悟った。私が今夜なにをしとうとしていたか、あのロープをみた時点でバレていることに。

 私は無言で固まっていた。この時その事をどう誤魔化そうか、必死で脳をフル回転していたのだ。


「大丈夫だよ。誰にも言わないし、二人だけの秘密にしといてやる。だから約束しろ。もうあんな事しないと」


 彼は少し微笑んで優しく言った。

 不貞不貞しく、図々しい人だと思っていた。そんなイメージで彼を見ていた。だが彼はきっと誰よりも優しい心の持ち主だと気付いた。いや悟った。理解した。


「……いつから気付いてたの?」


「そりゃあ、ロープがあんな風にあったら誰だって気付くだろ」


 そう笑いながら彼は言った。


「……嘘だよね?この家に来てから気付いたんじゃないんでしょ?」


 彼は黙った。やはり嘘だったらしい。


「あぁ、今日の夕方コンビニに行くときすれ違ったろ。その時の顔と様子、あとそのロープがチラッと見えたんだ。だから来たんだよ」


「そうなんだ。鋭いんだね。あと優しいんだね」


 私は今日の夕方にホームセンターにあのロープを買いに向かったのだ。そしてこのアパートへ帰るところで彼に会っていた。その時に彼は全て悟ったのだ。今思えば大学でもこんな私に話しかけてくれる、ご飯だってたまに一緒に食べる。もしかしたら、こうなる事すらお見通しだったのだろうか。

そんな事はありえないだろうが、あり得る気もした。そんな風に思えるのが不思議だった。


「オレは死にたい気持ちはよくわからん。そんなこと考えた事無いし、一生理解できん。どんな辛気臭い生き方でも死んで良いことなんであるはずがない」


 彼は真剣な顔で、そして真っ直ぐ私の目を見て言った。それはとても眩しかった。真っ黒な私と違って眩しかった。そんな彼が羨ましかった。そういう人生を私も送ってみたかった。


「羨ましいよ。私にはなにもないし、つまらない人間だし、暗いし、いつもネガティブだし。真っ暗なの、光なんてない、そんな人間なの」


 私は真っ直ぐ目を見る彼の視線から逃れるように俯いた。


「だからなんなんだよ。そんなのくだらない理由で死ぬなよ」


 そう言われ私は少しイラッときた。この人の人生は順風満帆だ。私とは正反対。私の気持ちなんてきっと1ミリだって理解していなんだ。


「……君にはわからないよ。私は友達だっていない、死んで悲しむ人なんていない、それどころか私が死んで喜ぶ人間だっている。でも私にはなにも出来ない、変えれない、そんな私の気持ちなんて理解出来るはずない」


 そう少し大きい声で言い返した。


「本当にそうなのか?絶対なのかそれは?」


「えっ?」


 私は彼の投げかけに頭を上げ彼を見た。


「本当に友達はいないのか? 本当に悲しむ人はいないのか? 本当になにも出来ないのか? それは勝手にそう思い込んでいるんじゃないのか? 何も出来ないのじゃなくて、なにもしていないだけじゃないのか?」


 私は黙った。彼の言葉に返す言葉がなかったのだ。


「オレは何回かお前と昼飯食った。それって友達じゃんか。そしてオレがここに居るって事は死んだら嫌だから来たんだよ。そういう事だろ」


 そうやって私に真っ直ぐ向き合ってくれる人に初めて会った。そうやって私を真っ直ぐ目を見てくれる人に初めて会った。そうやって私を友達と言ってくれる人に初めて会った。

 私は自然と涙が溢れていた。


「なに泣いてんだよ。折角の楽しい宴会が台無しだぞ、おい」


 そう言って笑いながら私をからかっていた。だけど、そのからかいは今までと違う優しいものだった。


「そうだ。明日はなに食べたい?オレこう見えても料理得意なんだぜ。作ってやるよ明日もさ」


 その言葉を聞くに、明日もこうして晩ご飯を食べると言うことだろう。本当に図々しい人だなと思った。だから私も図々しくこう答えた。


「すき焼き。すき焼き食べたい」


 涙声でそう答えた。


「おっ、いいねー。なら明日はすき焼きだな!」


「そうだね。楽しみにしてる」


 私は泣くのを堪えて少し笑みを見せた。素直に嬉しかったのだ。泣くよりも笑顔を見せたかったのだ。


「オレってばさ、頭悪いし、バカだし、取り柄と言えば明るいことだけなんだ。でも、いやだからこそ、相性ピッタリだろ?」


 続けて彼はこう言った。


「さっきお前自分の事を真っ黒って言ったろ? なら丁度いいじゃないのか。オレは明るいが取り柄のバカだからな。少しは照らされるんじゃねーのな。それ位ならオレにも出来るんじゃねーかな」


「確かにバカだね」


 そう私は答えた。


「おいおい、案外辛口じゃねーか」


「そうよ。だって文章間違えているもん。”オレにも出来る”じゃなくて、”オレしか出来ない”の間違いでしょ」


 そう言うと彼は嬉しそうな顔を浮かべていた。

 そういえば私は「私の事をお構いなしでズカズカと私の心に入って欲しかった」と思っていたのだった。それは正しく彼の事なのだろう。彼のような人を心待ちにしていたのだろう。ようやく見つかったのだ。この不貞不貞しい、図々しい、そして誰よりも心優しい人を私は待ち望んでいたのだ。

 私の心は真っ暗だった。そんな私の心に灯りが差し込んだ。それがなによりも嬉しくようやく変われるような気がした。

 だから私は満面の笑顔で彼にこう言ったのだ


「ありがとう」


 そう言った私に彼は


「なんだ辛気臭い顔以外出来んじゃん。言い笑顔だ」


 彼も満面の笑顔で、そして嬉しそうにそう言った。



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