クロネコギター6
山崎 モケラ
第1話
私は黙って、怒りながら牛丼をただ見つめていた。
いや、牛丼なんか見ていないが見てるように見えたのだろう。
夫が少しイライラした声で言った。
『おい、食わないのか?』
私は怒ってるのを知って欲しいのか知られたくないのか、分からなくなってきた。
意地で『いらない』と、だけ答えてまた、ずっと牛丼を怒った顔して見ていた。
本当はお腹がすいていた。
牛丼を食べてたら、あんなに怒らないですんだのかもしれなかった。
そして、笑顔で帰れてたのかもしれない。
でも、私は意地で、怒り続けて。
牛丼は食べなかった。
事の発端は、ある黒いレスポールのギターだった。
値段は38万円のギター。
このギターがきっかけで私たちは険悪なムードになった。
私と夫は、今日、都内にギター見にきたのだった。
行く道中のクルマの中で私たちは笑ってはしゃいでいた。
『こんなギターはイヤだなー。売ってたらちょっと見てみたいけど。
欲しいのは決まってるんだー。置いてあるといいな。』そんなことをワーワー騒ぎながらドライブを楽しんだ。
数時間後あんなことになるなんて、思いもせず。
気に入ったギターはすぐに見つけた。
黒いレスポール。
あ!これだ!と、思った。
この子を持ち帰りたい!!!!
頬がパーッと赤くなって脈も早くなった。
このギターの試し弾きがしたいと思った時に、夫は値段が安い似た形のギターを指差し、店員さんに『これ、試させてください』と、言った。
え?え?誰がそれ買うの?
私は、もう、この子が気に入ってるのに。
何言ってるの?
と、頭の中が疑問文とハテナでいっぱいになった。
そこからのことはよく覚えていない。
覚えてるのは、私は怒り狂い夫になだめられ、でも、怒り止まらず、だけども、気に入ったギターのコトを『初心者にはもったいない』と、言われてますます怒り、もう、腹立たしいのは初心者の腕前の自分なのか、気がきかない夫なのか、分からなくなり、楽器屋さんの前の道路でワーワー声を荒げていた。
帰りの車の中は険悪だった。
夫はひたすら『あんなところでわめいて恥ずかしい』といい、私は『何もわかってない!』と、怒り続けた。
本当は私の気持ちを分かってほしかった。
ずっとあの黒いレスポールのギターが欲しくてお金を節約して貯めてきた。
やっと買える!って幸せの絶頂だったのに。
もう、別れようかな!?
この人と!
一緒にいても楽しくないんじゃない?!
そんなことも考えて、涙でぐしよぐしょぐしょになったハンカチを下向いて握りしめた。
家に着いて、夫を見ないように家に入ろうとした。
その時、ウチの花壇の陰に真っ黒い大人の猫が日向ぼっこしているのをみつけた。
イライラしていたのも忘れて、そっと手を伸ばしその猫を抱き上げた。
お日様のにおいがするようだった。
私の怒りはすぐにスーッと抜けて、この猫に笑いかけていた。
『どこから来たんだろうなー?』夫が何事もなかったかのように話しかけてきた。
『さー?』私も普通に返事を返した。
『誰かが探してるのがわかるまで、うちで飼おうよ』と、私は言った。
夫は、それじゃ!猫を飼うのに必要なものを買いに行くぞ!と、車にまた乗り込んだ。
私もクロネコを抱いたまま、笑って車にまた乗った。
クロネコはブラッくんと、名前をつけた。
私たちには子供がいなかったので、ブラッくんは私達の子供のようだった。
私はブラッくんと話したり昼寝したりして、毎日、笑顔で夫にブラッくんの報告をした。
レスポールのことは、もう言わないことにした。
少し胸にチクリとするので忘れようと思った。
ある日、夫が言いにくそうに言った。
『今度の休みに都内の楽器屋に行かないか』
私はかなり、マヌケな顔をしたと思う。
ポカーンと口が開いてしまったのだ。
そして、夫はさらにこう続けた。
『レスポール、お前、ほしかったんだもんな。
見に行こうと思うんだ。』
私は、笑ってるのか泣いてるのか。
多分、両方だろう。
泣きながら笑って返事をした。
『ブラッくんも一緒に行けたらいいのにね』
そのブラッくんはその時から姿を消してしまった。
家中探してもどこにもいなかった。
次の休日に、黒いレスポールはやってきた。
黒くて丸っこいこのギターに、ブラッくんと名前をつけた。
このギターを抱えるとブラッくんを思い出す。
ブラッくんの曲を作って、夫に聴かせた。
クロネコギター6 山崎 モケラ @mokera
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます