タカヒロ
ええと、こんなふうにあらたまって話すことなんてないから、あんまり上手に喋れないと思うけど……。
何から話したら良いんだろう。
うん。
これを聞いたら、もしかしたら俺のことを軽蔑するかもしれない。だけど、俺はもう死んでるんだし、そこんところは勘弁してほしい。もう罰は受けたから。
高校を卒業して、大学に入った。まあ、大学に行って、バイトして、友達と遊んで。あと教習所にも通って、けっこう充実してた。親と住んでたから、バイト代は自由に使えたし。
親とは仲が良かったのかな。正直、わからない。でも友達とかの話で、真剣に親のことを憎んでるやつとかいるから、それを考えると、俺は両親が好きだったし、仲が良かったってことなんだろうな。
大学での生活は品行方正とは言えなかったけれど、別に、危ない奴らとつるんでたりとか、そんなことはまったくなかったんだ。
それなのに、あの日の夕方…。
………。
夕方。大学から家に帰る途中でコンビニに寄ったんだ。漫画を立ち読みして、飲み物とお菓子を買おうと思って。それで店に入ろうとしたら、ちょうど友達が店から出てくるところだった。
その友達は、妙に顔が広くて、コミュニケーション能力高めで、大学の中にも外にもいろんな知り合いがいた。
芸能人だとか、ミュージシャンだとか、会社の社長だとか。どこで知り合うんだか、わからないけど。
まわりからは一目置かれてるやつだった。
そういう、いわゆる偉い人とも友達になるけど、なんてことない大学生の俺にも話しかけてくるやつだった。単に人が好きな奴だったんだと思う。
その友達を仮にSって呼ぶけど、Sは何人かの友達と車で遊びにいくところだった。
そのSの友達っていうのは、知らない顔だった。
小綺麗な格好した奴が多かったかな。偏差値の高い大学に通っている、都会の学生っていう感じ。いや、これは俺の勝手なイメージね。中には妙な目つきの奴もいたけど、別に悪いことをしそうには見えなかった。
いつもなら、そんな華やかな連中と一緒に遊ぶなんて、あんまり気が進まないんだけど、Sがいたし、そのSの友人たちも気さくに誘ってくれたから、じゃあ、ちょっとだけって車に乗ったんだ。
こうやっていろんな人たちと知り合いになるのも悪くないなって。自分と似たタイプの人とばっかり遊ぶんじゃなくってさ。
俺はSに憧れてたんだと思う。
いろんな人と仲良くできて、ちょっと困ったことがあっても、Sに相談すれば、誰かを紹介してもらって解決できたり。
それはS自身にも魅力があるから出来ることだったんだけどさ。
……。
車で来てるんだから、ドライブとかだろうなって思ってた。海に行ったり、心霊スポットをまわったり。まあ、男しかいなかったんだけど。
そうしたら、どこかで女の子を引っかけて、飲みに行って、みたいな話になって……そのうち、ちらほら、不穏な話題にもなった。胸糞悪くなる話だった。具体的には言えないような、犯罪になるようなやつ。
車に乗って二十分くらいしか経ってなかったのに、正直、乗ったことを後悔し始めてた。
どこかで車をおろしてもらいたかったけど、言い出せなかった。
Sも困った顔をして、「そういったことはやめよう」と言ってた。
それから少しだけ車内が騒がしくなった。喧嘩してたとかじゃないんだけど。みんながちょっとそれぞれ、自分の言いたいことを勝手に言ってた。
そのとき…。
車に大きな衝撃がきて、車が止まった。
誰も前を見てなかったから、最初は何が起こったのかわからなかった。運転してたやつは、「お前らがうるさいから」とか、そんなことを大声で言いながら、車を出て行った。
俺もこのタイミングで帰ろうと思って車を降りた。
狭い路地の向こうに、人が倒れてた。
もう暗くなってたから街灯がついていて、その光が当たっている場所にいたから、よく見えた。
薄情だって思われるかもしれないけど、ああ俺、今日ここで帰るのはもう無理だなって思った。
他のみんなも車から降りてきて、でも誰一人駆け寄ることができなかった。
その人が倒れたまま全然動かないから。
でも、それじゃ駄目だと思って、救急車を呼ぶためにスマホを探した。こういうときに限って、全然見つからないんだ。そしたら誰かが「車に早く乗せるぞ」って言ったんだ。
誰が言ったかはわからなかった。だってその言葉に、その場にいた全員がビビってたから。
だから、ここで俺が、そんな話は無視して、救急車なり警察なりを呼べば良かったんだ。そうすれば、なんだかんだ言って、みんな安心したんだと思う。みんな死なずにすんだはず。
でも俺らは、怖がりながらも、その女性に近づいていって、手と足を二人で持って、車に乗せた。俺も手伝った。
道路に事故の痕跡はなかったと思う。血が出てたら、水かなんかで流さないとって思ったから。ひどい話だろ?
この死体を捨てるために、車はぐるぐると何時間も走り回って、そして、どこかの山にたどり着いた。
真っ暗で山の全体像はつかめなかった。ただただ上を目指して車を走らせて、道がなくなっても進めるだけ進んだ。
そして妙にひらけた場所で車が止まった。
それ以上はもう進めないようだったし、この広さなら、山を降りるために車を切り返しできる。運転してる奴がそう言ってた。
何人かが車を降りた。
俺は、降りれなかった。
顔を下に向けて、目をかたくつぶってた。
女の子の死体が下ろされて、それから、微かに、生きてるぞって外から聞こえた。
それで目を開けた。
まだ間に合うって思ったんだ。まだ引き返せる。
遅くなったけど、救急車を呼んで、警察に行こう。
今度こそ、そう言おうと車の外に出たら、俺の真横に運転してた奴が飛んできた。
本当に、飛んできたんだ。まっすぐ。それで車に当たって地面に落ちた。
車体が大きく揺れて、衝撃で勝手に車のドアが閉まった。俺も地面に転がった。
起きあがろうとして手をつくと、手に何かがついた。
ぬるぬるとして暖かい。
山の中は本当に真っ暗で、明かりは車のヘッドライトだけで、他は真っ暗なのにライトが当たっているとこだけ、すごく明るくて……。
その光の端で、死んでたはずの女の子が上体を起こしてた。その横に大きな……なんだろう……見たことのない獣がいた。犬か狼か、いや熊っぽくもあった。でも大きさは全然違うんだ。かなりデカい。
それで、その獣の足元には、人の頭が落ちてた。
運転してた奴だった。髪型でかろうじてわかった。
獣は頭を前足で押さえると、何回かに分けて口に入れた。骨の砕ける音がした。
食べてるようだった。
おそらく、そこにいた全員が、同じタイミングで同じ光景を見たんだと思う。そこかしこで悲鳴が…悲鳴なんて可愛いもんじゃないな、絶叫が聞こえてきた。
でも俺は、大声を上げることで獣の注意をひくんじゃないかって思って、悲鳴を押し込めて、車の裏に回ると、そのまま茂みに身を隠した。
車には戻れなかった。ドアは閉まっちゃったから。ドアを開ける音すらたてたくなかった。
そんなところに隠れたってすぐに見つかっちゃうのは、今の俺ならわかるよ。でもそのときは、身を隠さなきゃって真っ先に思ったんだ。
そのときSはまだ車にいた。そのまま中で隠れててくれって思った。
叫び声と、水風船を割るような水っぽい音が聞こえてきて、俺は耳を塞いでた。
……。
肩を叩かれて気がついた。
たぶん失神してたんだと思う。俺は文字通り飛び上がった。
そばに立っていたのは、あの女の子だった。
特に怪我している様子もなく。俺がおびえていることにも、興味はなさそうだった。
「きみ、車の運転できる?」
彼女はそう俺に聞いてきた。
「できます」
反射的にそう答えた。
まだ教習所に通っている最中で、免許は持ってなかったけど、ここで運転できないって言ったら、たぶん俺も殺されるんだとわかったから。
茂みから立ち上がると、誰もいなくなっていた。車にぶつかって転がっていた奴の死体も無くなっていて、死体も血液も、見える範囲にはなかった。
でも血の匂いは咽せ返るくらいしていて、俺は吐きそうになった。絶対にあれは一人分の血の匂いじゃなかったよ。
車の中にいたはずのSの姿も見当たらなかった。どこかに逃げていてくれって祈った。
俺は彼女を後部座席に座らせると、自分は運転席に座った。
手が震えて、なにをやるにも時間がかかった。
焦って後ろをうかがうと、彼女は誰かのパーカーを頭から被って横になってた。
「疲れた。東京に着いたら起こして」
そう言って、静かになった。
だから必要以上にゆっくりと、一つ一つの動作を確認しながら車をスタートさせた。
スムーズに高速にも乗れたし、思ってたよりも早く東京に戻れた。
どこに行けば良いかわからなくて、結局彼女を轢いた場所まで戻ってきてから、声をかけた。
彼女はすぐに起き上がった。
俺はその様子をずっと見ているわけにもいかないから、すぐに前を向いた。
彼女は何も言わずに車の外に出たよ。
俺はまっすぐ前を向いたまま、時間が過ぎるのを待った。
運転中は息を吸うことすら怖くて、呼吸が浅くなってた。
何十分か経って、遠くでパトカーのサイレンが聞こえて、そこでようやく少し力がぬけた。
深呼吸して、車を移動させようと後ろを振り返ったら、そこにまだ女の子がいたんだ。
心臓が一気に冷たくなった気がした。
女の子は寝ているときに被ってたパーカーを着てた。
どこを見てるのかわからなかった。暗くて顔は見えなかった。
それで……それで、女の子が近づいてきて、運転席側の窓を叩くまで、ただ見てるしか出来なかった。
震える手でウィンドウを下げると、彼女が顔を寄せてきて、「私のことは内緒にしていてね」って言って、車に背を向けて、歩いて行ってしまった。
ちゃんと去ったかどうか、確かめるのは嫌だった。また、帰ってきたら嫌だったから。だからもう後ろは見ずに、車を出した。
長くなってごめん。
続けるね。
車は自分のじゃなかったから、自分の家から離れた駐車場に停めて、そのままにした。
しばらくは何もなかった。
いや、そんなことはなかったか。
あの日、家に帰ると家族に、なんかくさいって笑われたんだ。動物みたいなにおいがするって。それから、お風呂に入っても香水をつけても、そのにおいは全然取れなかった。
誰かに会うと、そいつが必ず顔を顰めるんだ。俺にはわからないけれど、それを見ると、ああ、においがするんだなってわかったよ。
まあ、それだけだったから、みんなが食い殺されたなんてことは、本当はなかったんじゃないかって思い始めたんだ。死体だって見なかったんだし。
あの女の子も実はSの友達で、俺は騙されただけで、みんなどこかの茂みから俺の様子を動画で撮ってたのかもって。
そう思えるようになって、大学にもバイトにもまた行けるようになった。
でもそのうち、大学内でSが行方不明だって噂が流れ始めた。
そして、俺のところに警察がやってきた。
当たり前だ。放置された車から俺が降りる姿が、どこかの防犯カメラに映ってたはずだ。
そこからさかのぼって、俺がコンビニでSたちと合流して、ぐるぐると走り回った後に、高速に乗って山に向かったことも。その後に、俺だけが車で帰ってきたことも、もうわかってるみたいだった。
幸いなことに、俺らが人を轢いたことはバレてなかった。
女の子は行きも帰りも、車では横になっていたから、カメラには映ってなかったんだ。
俺は本当のことは言えなかった。言っても信じて貰えなかっただろう。だって当の女の子は映ってないんだから。
でも、できるだけのことは言った。
コンビニで友人に声をかけられて車に乗ったこと。ドライブで山に行ったこと。
そして、そこで大きな動物に襲われたこと。
怖くて一人だけ逃げてしまったこと。
口頭でおおよその場所を伝えたら、すぐ現場に行くと言ってた。
俺はもちろん何かの罪にとわれるだろうと覚悟してたけど、その日は話をしただけで帰宅できた。
現場で血痕や体の一部が見つかれば、また呼ばれることになるだろう。
どうやら警察は、俺がたった一人で数人の成人男性をどうにかできるなんて考えていないようだった。
夜になって家に戻った。
ご飯を食べる気にもならず、かといって寝ることもできなくて、テレビただぼんやり見てた。
そうしたら、犬の遠吠えらしきものが聞こえた。近くで。
反射的に立ち上がって、カーテンの隙間から外を見た。
あの女の子が暗がりの中で立っていた。表情は見えないけれど、まっすぐこちらを見上げてるのがわかった。
俺は、見なかったことにして、カーテンを閉めて、布団をかぶって、寝てしまいたかったけど、ああ、もう、ダメなんだとわかって……部屋から出た。
母さんがまだ起きていて「出かけるの?」って珍しく聞いてきたから、「うん、ちょっとコンビニに」って答えた。
俺が玄関から出てくると、彼女は何も言わずに歩き始めた。俺はそれについて行った。
あの大きな獣の姿は見えなかった。けど、遠吠えが聞こえたのだから、近くにいるのだってわかった。
「
歩きながら、女の子がそう聞いてきた。俺は聞き取れなくて、何回も聞き直した。
それは古い中国の呪術らしい。
甕の中で複数の毒虫を共食いさせ、残った一匹を飼う。
その虫は持ち主に富を与えるが、代わりに生贄を要求する。生贄を用意できなければ、持ち主やその家族が犠牲になる。
「あれもね、たぶん同じようなものだと思う」
あれ、とはあのときの獣のことだろうか。
「お父さんはお母さんと結婚したときくらいから、実家とは全然連絡をとってなかったみたいで、だから、私たちはいきなりあれを飼わなきゃならなくなったの。
連絡を取ってなくても駄目なんだね。苗字が同じだからかな。そこでお父さんとお母さんが離婚していれば、もしかしたら犠牲はお父さんだけで済んだのかもしれない。
でも最初は誰も信じてなかったから、何もしなかった。それでお母さんが死んで、お兄ちゃんが死んで、私の代わりに持ち主のお父さんが死んだ」
先を歩く女の子が俺を振り返る。
「つまり、今の持ち主は私」
そう言って、また歩き始める。
「私、生贄を探すなんて無理だと思った。だから今回のことは本当に助かったの。あれがなかったら、おばあちゃんが次は自分が生贄になるって言ってたから。
でもね、こんなことずっとは続けられないでしょう?
私が直接殺してるわけじゃないけど、もし捕まってしまったら、餌を与える人がいなくなっちゃうじゃない?
だからね、捨てることにしたの」
そこで女の子は立ち止まって、俺の前にボストンバッグを置いた。中身が詰まってる音がした。
「ねぇ、食い殺されたくなかったら、このバッグを拾ってよ。このバッグにはあれの入ってる箱と、私の代で得られた財産が全部入ってる。
あなたも私も助かるし、その上、これから先どんどんお金が入ってくるよ。嫌いな奴も消せる。悪くない話でしょ?」
女の子は笑った。でも、明るい笑顔じゃないし、悪い笑顔でもない。怯えた人間の笑いだった。
「俺があの犬みたいな動物を飼うってこと?」
「あなたには犬のように見えてるの? 羨ましい……それなら飼いやすいでしょ?」
俺は正直、死ぬんだと思ってたから、生き延びられるチャンスがあることに、少し嬉しかった。
でも、ここで俺が飼い主になったら、これから先は俺が死ぬまで、死んでからは俺の子孫が、ずっとこれを飼い続けなければならない。定期的に生贄を捧げながら。
どうする?
やれるとこまでやって、無理だったら同じように捨てれば良いか。
いや、でも失敗したら家族が死ぬんだ。俺が真っ先に死ぬなら仕方ないけれど、きっと持ち主が死ぬのは最後だ。生贄を捧げる役の人間は残しておかないと。
両親の顔が浮かぶ。
そして、あの山で死んだ奴らの断末魔を思い出す。楽には死なせてもらえないかもしれない。
無理だ。
「俺には無理だ」
そう口にした。
残念。って聞こえて、それから、それから怖いのと痛いのとが、永遠みたいに続いた。
それでおしまい。
On the Day I Died 秋月カナリア @AM_KANALia
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