第3話 美織、フィールドに立つ(5)

[5]

 その週の土曜日、美織は、出掛ける事になりました。

 午後いっぱい、お屋敷に迎えに来た悦子お姉さんのお供をする事になったのでした。

 今日の美織は、茜色の地に、裾と袖に絣の様なライン模様の入った、ちょっと変わった柄の着物でした。

 芳翠先生に玄関で見送られた美織は、草履に足を入れかけて、ふと動作を止めて芳翠先生に振り返りました。

「どうしました?」

 芳翠先生が尋ねると、

「おばあさま、今日は表は寒いですやろか?」

「寒い言う事はありまへんやろう、ええお天気や!」

「そうですか‥‥」

「どうかしましたか?」

「今、何やら背筋がゾクゾクッと」

「センサーがおかしいのと違いますか? 後で悦子さんに見てもらいなはれ」

「そうします」

 こうして、美織は、悦子お姉さんの運転するバンに乗り込み、車上のロボットとなったのでした。



 その週末は、朋美たちの出場する京都市の大会前の最期の週末でした。

 投擲を済ませた朋美は、ベンチに戻って膝を抱えていました。

 トラックでは、男子が走っています。飛距離の長い槍投げはできません。

 初夏の日差しは強く、気温はぐんぐん上がっていました。でも、朋美の気持ちは上がりません。

「鈴野さん!」

 暑い日差しの中、やって来たのは、亜梨朱ちゃんと茶道部の女子たちでした。

「この間は、おおきに」

「いやあ! うちは何も!」

 朋美は笑って答えました。

「お礼に思って、お茶菓子持って来たんよ」

と言って、亜梨朱ちゃんは茶道部員たちに、持って来たお重をベンチの中に運ばせました。

 茶道部の女子たちは、朋美と違って、暑い日差しの中でも、肌が真っ白です。

 わずかに頬が上気している程度です。

(女子力、高めやぁ!!)

 男子が彼女にしたがるのは、きっと、こういう女の子たちでしょう!

 亜梨朱ちゃんたちは、先生方にも挨拶して、ベンチの中でお重から冷菓と干菓子を広げ、よく冷えたお茶を水筒から紙コップに注いでくれます。

 冷えたお手拭きまで付いています。

 「行き届く」とはこの事です!

「うち、亜梨朱ちゃんをお嫁さんにもらうーっ!」

 朋美が思わず叫んでしまうと、脳天に、顧問の北山先生のゲンコツが落ちて来ました。

「お前は男か!?」

 北山先生は、両手をラッパにすると、グラウンドに響く声で言いました。

「ようし! 男子も休憩にするぞ!」

「うぇい!」

 グラウンドから、男子部員たちがばらばらと戻って来ます。その中に航の姿もありました。

「佐藤君、お疲れ様!」

 亜梨朱ちゃんが手早く、航にお手拭きを持って出迎えます。

 なぜか、朋美は、ドキッとしました。



 悦子お姉さんの運転するライトバンが到着したのは、朋美たちが、こうして一息くつろいでいた時でした。

「おう! 浪江」

 北山先生が、気さくに出迎えます。

 実は、悦子お姉さんも同じ東山中学校のOGなのでした。

 でも、悦子お姉さんに続いて、狩野さんと、そうして、美織が車から降りると、女子も男子も、

「きゃー!」

「うぉー!」

とひとしきり盛り上がりました。

「くっ!」

と、朋美は笑みがこぼれます。

 北山先生と悦子お姉さんが話を済ますと、

「陸上部、集合!」

と、号令がかかりました。

「ほな、狩野君、出したって!」

 悦子お姉さんが言うと、狩野さんが、いつもの黒い鞄から、大きな機械を取り出しました。

「美織用オプションモジュール、『どーが撮るぞう君』や!!」

 悦子お姉さんが、バーンと皆に紹介します。

 それは、甲子園の入場式などで、行進の先頭で使われるプラカードの様なものでした。

 ただし、色は全体に真っ黒で、手に持つ柄は大人の身長ほどもある巨大さなのでした。

「♪ふん、ふん、ふん、ふん!」

と鼻歌を歌いながら、悦子お姉さんは、その機械と美織をUSBケーブルで接続します。

「悦子さん。美織がこれを持ちますのん!?」

 美織が聞くと、

「ああ、無理して持たんでもええよ! 地面に立てててくれれば」

 悦子お姉さんの返答に、美織は、早速その機械の柄を、地面に降ろしてしまいました。

「あれ、風の強い日は使えんよ!」

 朋美は、クスクス笑いながら、傍らの同学年のノンちゃん - 醍醐寺信子さんにささやきました。

「美織には支えられん」

「ほな、鈴野!」

 北山先生が呼びました。

「投擲できるか?」

 はい! と答えて、朋美は槍を持ってフィールドに走り出ました。

 美織と悦子お姉さん達も、トラックの真ん中に進み出ます。

 どーが撮るぞう君の盤面が、パッと光を放ち、フィールドに立つ朋美を映し出しました。

(なるほど、ああいう事がしたかったんやな!)

 朋美は納得しました。

 ちょっと、スタジアムの電光スクリーンの様です。

 美織も、気分が乗って来たのか、重たい装置を両手で高々と掲げます。

 でも、大きいと言っても、手持ちのサイズです。高が知れています。

 それでも、茶道部の女子たちは、

「すごーい!」

「本物の運動場みたい!」

と喜んでくれています。

(ええ子たちやぁ!)

 朋美は、悦子お姉さんのために、目尻の涙を拭う振りをしてあげました。

 でも、槍を構えて助走位置に立つと、朋美は、悦子お姉さんの奇妙な機械も、茶道部の子たちの事も忘れました。

 京都市大会までに投擲出来る機会は多くはありません。

 一投一投が貴重です。

 気持ちを鎮め、気力が満ちると、朋美は走り出しました。

 短い助走で速度をつけると、左右の足をクロスしステップを踏んで、腕いっぱいの力で投擲します。

 リリースされた槍は空を走り、落下しグラウンドに刺さりました。

 記録を聞くまでもありませんでした。

「鈴野さん、43メートル52!」

 朋美は、「ふっ!」と息を吐きました。

 今日は、一回余分に投擲できただけで良しとしなくてはなりません。

 気持ちを切り替えて、トラックにいる悦子お姉さん達の方へ走って行きました。

「悦子お姉さん、それで今のが再生できるんかぁ!?」

「できるんかぁって、あんた、失礼な子やな!」

 不興げに、悦子お姉さんは言いました。

「美織、見せたって! まずはDモードや」

「はい」

 美織が、どーが撮るぞう君を地面に立てると、再び画面に光が灯りました。

 突然、画面から朋美が飛び出して来ました。

「おっ!」

 さすがに予期していなかったので、朋美は驚きました。

「3Dか!!」

「もちろんや! 美織が左右の目で撮影したんや!」

 なるほど、これは、体の動きが良く判ります。

「どや!」

 悦子お姉さんは、名前の通りに悦に入っています。

 ただ、一つ気になる事があります。

「でも、このモニター、モノクロでしか再生できんの?」

「できんのって、あんた、本当に失礼やな。美織、Mモードや」

 悦子お姉さんが指示すると、

「はい」

 美織が答え、画面が極彩色に変わりました。

「おおっ!!」

 3D画像の上に、筋肉の動きを強調する様に彩色された画面になりました。

「非接触体温センサーか!!」

 美織の非接触体温センサーは、解像度は高くはありませんが、精度はニ十分の一度単位です。

 モノクロ3D画像の上に彩色されたそれは、どこの筋肉が使われているかをはっきりと映し出していたのでした。

「‥‥」

 無言でじっと画像に見入っていた北山先生が、突然叫びました。

「ここやっ!」

 美織が画像を停止したのは、リリースの直前でした。

「鈴野、お前は、腕に力をかけようとし過ぎて、前足で助走の勢いを殺しているんや! これが、その余分な力や!」

「あっ!」

 言われて、朋美も合点がいきました。

「あと一週間やけど、フォームの調整できるか?」

「やります!」

 朋美は叫びました。やらなければ、全国大会の出場はありません。

「なるほど。これは、便利な装置や。あと一組くらい撮影できるか?」

「もちろん、何組でも」

 悦子お姉さんが答えると、

「ほな、佐藤! 江島! 三条!」

 北山先生は、男子のランナーを指名しました。

 3人がトラックのスタートラインに立つと、再び、画面には通常のリアルタイム画像が映し出されました。

「用意!」

 スターターが声を掛けた時でした。

 画像がグラリと傾きました。

「美織っ!!」

 危うく支えた朋美の腕で、美織は、息も絶え絶えなのでした。

「悦子さん、これ、電気使いすぎますぅ」

「あー、電力をあんたのUSBポートから取っとったからな。ちときつかった?」

「聞いてまへんー」

 そういう美織は、朋美の腕の中で、膝からズルズルと崩れて行きます。

「悦子お姉さんっ!!」

 朋美が睨むと、

「あは!」

 悦子お姉さんは頭に手を当てました。

「屋外やしと思って輝度も強したし、電源は別に取らなあかんかったな。あはは! あははは!」

と、誤魔化す悦子お姉さんなのでした。

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