第3話 美織、フィールドに立つ(3)

[3]

 翌日、悦子お姉さんと狩野さんが、お屋敷に訪れました。

 美織のバランス問題が解決してから、悦子お姉さんがお屋敷に来るのは、原則週に1回になっていました。

 京都市内にもう一体のロボットを担当している悦子お姉さんは、大抵、昼過ぎに東山を訪問して工場に帰ります。

 そういう日は、芳翠先生は、外出の用事があっても、美織は家に残して出掛けるのでした。

 その日も、芳翠先生は朝から外出していて、その留守に二人の訪問を受けて、美織は、二人を応接間に通しました。

「♪ふん、ふん、ふん、ふん」

と、鼻歌を歌いながら、悦子お姉さんは、美織に左腕をサイドボードに乗せさせ、肘のコネクタにUSBケーブルを挿して、パソコンとつないでログを吸い上げます。

「ふんふん? 電源系異常なし、運動系異常なし、制御系異常なし。さすが、うちの美織や!」

 上機嫌で悦子お姉さんは、ログを解析します。

「ん? あんた、昨日は朋美ちゃんの学校に行ったんか? 練習を見て来たん?」

「はい。先生とご一緒に」

 美織には、このところ、地味な変化がありました。

 芳翠先生の呼び方です。

 二人きりや身内ばかりの時には「おばあさま」なのですが、狩野さんの様な外部の人がいる時には「先生」になるのです。

 これが、初めに設定が二重化してしまったためなのか、それともシステム・アップデートの影響なのか、比較対象がないために、悦子お姉さんにも判断がつかないのでした。

「散歩の付き添いやね。ええねえ! 着々と試験項目をクリアしとるやないの」

「いや。消化率は大分低いですねんけど」

という狩野さんの頭を、悦子お姉さんは、手にした書類で「スパーン」っと叩きます。

「ええの! よそとこことはシチュエーションが違うんやから!」

 悦子お姉さんは、美織の肘からUSBを抜き外して、機材を片付けます。

「そうや! 朋美ちゃんの陸上部に、佐藤航(さとう わたる)君いう男の子がおるやろ?」

「はい。いらはります」

 悦子お姉さんは、小声で美織に言いました。

「今度行った時、その子の写真、こっそり撮って来てくれへんか?」

「悦子さんっっ!!」

 美織がずしりと言い、悦子お姉さんは「ひっ」と悲鳴をあげそうになりました。

「い、嫌ぁやなあ! 冗談や。冗談に決まっとるやろう!」

 悦子お姉さんはあわてて言いました。

「そういうの、よろしくありまへんのですやろう?」

「だ、だから、言うてみただけや。ジョークや! ジョークの解らんロボットや!」

 隣で、狩野さんも、悦子お姉さんを白い目で見ています。

「な、なんで、あんたまでがそんな目をするんや!」

 嫌やわァ、と言いつつ、悦子お姉さんは、襟元を整えます。

「それにしても、あんた、しゃべり方がおばさまに似て来たな?」

「え?」

 美織は、ささっと左右の髪をまあるく整え、手を膝に置いて澄ましました。

「そんな事は、あらしまへん!」

 それから、改めた口調で話しました。

「実は、昨日、おばあさまからも、同じような事を言われました」

「えっ! おばさまも、航君推しやて!?」

「悦子さんっ!」

「あ、あんたが言い出したんやんかぁ!」

「もう、ええです」

 美織はそっぽを向きました。

「え? え? 何? そこまで言うといて。最後まで言いやぁ」

 悦子さんに言われて、美織は、仕方なく続けました。

「おばあさまに、動画が撮れんのか、言われました」

「ほうっ!?」

と身を乗り出す悦子お姉さんに、

「朋美さんのです!」

と念押しして詳しく話すと、悦子お姉さんは、ほうっ、と表情を改めました。

 でも、話を聞き終わると、

「なるほどな」

と、うなずき、事もなげに言いました。

「そんなの簡単やない。あんたがビデオカメラを持って行けばええ」

「そ、それはそうですけど!」

 美織はあわてて言いました。

「でも、美織、そんなもの、持ってまへん」

「買うてあげようか?」

「ええです」

「なんで?」

「実証試験の予定も消化しきれへんのに、そんなん買うて頂く訳に参りまへん」

「変なところで律儀な子やなあ!」

 悦子お姉さんは笑って、それでも、続けました。

「趣旨は分かったけどな。あんたらに動画機能がない理由は、分かってるやろう?」

「はい。おばあさまにも、説明して納得して頂きました」

「ほな、そういう事や」

 悦子お姉さんは、カバンを抱えて席を立ちました。



 車に乗ってお屋敷を後にする二人を、美織は門前まで見送りました。

 走り出す車のバックミラーの中で、美織が深くおじぎをして、やがて門内に戻って行きました。

「でも、ちょっと勿体ない気ぃもしますね」

 狩野さんが言いました。

「何がや?」

 問いかけの意味を、悦子お姉さんは分かっていましたけど、あえて問い返しました。

「美織たちが動画を撮影できたら、防犯や、病気や急変の対応にも使えるのやないですか?」

「まあな。でも、それを言い出したら、きりがあらへん」

 悦子お姉さんは答えました。

「どこかに線引きするしかないんや。

 美織たちを、いくら可愛らしいデザインに作ったかて、自分達のプライバシーをいつ撮影してるか分からんロボットなんて、誰も身近に置きたがらないやろう?

 防犯や見守りかて、ほかに方法があるのやから、美織たちに標準搭載すべき機能やあらへん」

「まあ、それはそうですけど」

 車は、国道1号を近江路へ向けて走ります。

 山科を過ぎて、琵琶湖の手前まで来ると、道路はいつも渋滞しています。悦子お姉さんは、車列の最後尾に車をつけてハンドブレーキを使いました。そうして、しばらく、ステアリングにもたれていましたが、急に言いました。

「でも、撮られる側が承知しとれば、動画を撮るオプションがあっても悪ぅはないなあ‥‥」

「はいぃ!?」

 さっきとまるで逆の事を言い出す悦子お姉さんを、狩野さんが戸惑って眺めました。

 悦子お姉さんは、狩野さんにお構いなしに、ステアリングにもたれて考え込んでいます。

 そうして、いきなり体を起こすと、

「よっしゃ、行けるで!!」

 悦子お姉さんはパンと手を打ち鳴らしました。

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