第16話 絆⑯

 カイルは自分の帰還にこれだけの数の人間が集まっていることに呆然とした。


「セオディア・メレ・エトゥール……」

「なにか?」

「これは、いったい……」

「地上を救った導師メレ・アイフェス凱旋がいせんなのだ。当然、こうなる。人数を絞るのにだいぶ苦労した」


 だが、それらの人々と会話を交わす前にカイルは、侍女達に囲まれた。対象に若長夫妻とディム・トゥーラも含まれていた。

 そしてそのまま問答無用に侍女集団は、旧離宮からカイル達を拉致らちった。


「いってらっしゃいませ」


 ファーレンシアのにこやかな見送りに、カイルは既視感を覚えた。





 侍女達に連行された先は、大災厄以降無人だったはずのエトゥール城の浴室にだった。石造りの広すぎる浴槽は、常と変わらずに豊潤ほうじゅんなお湯に満たされていた。

 幸いにも西の民の若長もいたので、異文化の風習の違いによる軋轢あつれきを回避するためか、服を強引に脱がされることは免れた。


 侍女達が残念そうな顔をしていたのは、気のせいだろうか?


 ディム・トゥーラやハーレイ達が侍女達に服を剥がされるところは、見たかった気がする――過去の受難が自分だけの体験であることを、カイルは残念に思った。その失望を二人に悟られるわけもいかず、カイルはそっと遮蔽しゃへいを強化した。


 旅路のあとの入浴は最高だった。

 お湯による入浴が初めてのはずのディム・トゥーラも目を閉じて気持ちよさそうに堪能たんのうしていた。


「なあ、もしかして、このお湯に麻薬まやく成分とか含まれていないか?」


 ディムの問いかけにカイルは吹き出した。考えることは、同じらしい。やはりこのお湯には、人を腑抜ふぬけにする効果があるに違いなかった。




 風呂上がりには、ディム・トゥーラにまで豪勢な刺繍の長衣ローブが用意されており、本人を大いに困惑させた。

 長衣ローブをまとったディム・トゥーラは、長身、動じない性格、鋭い眼差し、エトゥール人と同じ茶髪と茶色のため、どこからみてもエトゥールの上級貴族だった。

 これにはカイルの方が、あっけにとられた。彼は、エルネスト並に違和感なく貴族集団に潜むことができるに違いない。


「よく、似合っているよ」

「本当に似合っているな。まるでエトゥールの王侯貴族だ」


 ハーレイまでが、その容姿を賞賛した。


たけがぴったりだ。しかも素晴らしい刺繍ししゅうじゃないか」


 ディムは感心したように刺繍ししゅうに見入った。

 ディムの長衣ローブの意匠は、白い虎の精霊獣だった。ハーレイの着替えは、森とふくろうの刺繍があり西の民独自の特徴的の紋様もんようが組みこまれていた。その気遣いにハーレイは喜んだ。

 カイルの意匠はいつものように当然白い狼で、カイルはまたもや切ない気持ちに陥った。



 隣にウールヴェのトゥーラはいない。



 着替えを終えたカイル達は、防御壁シールドに覆われている聖堂に案内された。防御壁シールドは人が通過できる設定になっていた。

 防御壁シールドを通過したカイルは、驚きの声をあげた。


 防御壁シールドの中はこれ以上にない濃密な癒しの空間になっていた。

 

「エルネストの遮蔽しゃへいがきいているな」


 ディム・トゥーラは満足そうに頷いた。


「遮蔽?」

「この癒しの波動が、精神エネルギーに似た産物なら、物理的な防御壁シールドより、支援追跡者バックアップが使う遮蔽しゃへいの方が封じる効果があると思ったんだ」


 ディム・トゥーラはカイルに説明した。


「封じる?」

「世界の番人の精神エネルギーの産物が癒しであるなら、瀕死状態でエネルギーを消耗するのは悪手だろう?王都の外側は傷ついた大地で、癒しを欲しているじゃないか」

「大地も癒しが必要だと?」

「まあ、時間はいくらでもあるから試して見ればいい。隔離室としては、最高級のグレードだろうな。こうして、癒しに満たされているなら、案外世界の番人からの解放も早いんじゃないか?」

「参照循環な気もするけど……」

「まあ、そうだな。だが、外部の精神エネルギーの消費は回避されているはずだ」


 聖堂の扉をあけて足を踏み入れたカイルは驚いた。

 長椅子は全て取り払われて、冷たいはずの石床には厚い絨毯がひかれ、最高級の貴賓室に変わっていた。部屋として板壁で仕切られている。寝室や談話室まで移動していた。


「なに、これ?!!」

「生活しやすいように、全て調整した」


 先着しているメレ・エトゥールが、やや自慢げに案内した。


「いや、やりすぎでしょ?!」

「さすがに時間がなくて浴室と厨房は組み込めなかったが、それは後工事になる」

「いらないよ!」

「ファーレンシアと娘も一緒に暮らすのに?」

「え?」


 娘――カイルはその言葉に、ドキリとした。あれだけ人がいながら、生まれたはずの赤ん坊がいなかったことにカイルはようやく気づいた。


「生まれた僕の子供はどこ?」

「今、フランカ達が連れてくる」

「娘――僕の娘は可愛い?」


 親バカな発言にメレ・エトゥールは、やや恨めしげな視線を投げた。


「メレ・エトゥールの私ですら、まだ面会をしていないのだぞ」

「え?なんで?」

「エトゥールの風習だ。早く、父娘の対面を済ませてくれ。毎日、侍女達にいかに愛らしいかを語られることは、拷問ごうもんに近い。姪なのに面会できないんだからな」

「本当に愛らしいですよ」


メレ・エトゥールの横でシルビアが証言をした。


「あまりにも可愛いので、私も子供が欲しくなりました」


 エトゥール妃の大胆な発言に、メレ・エトゥール以外の全員が驚いた。


「こんなに愛らしいのに、メレ・エトゥールは面会することができないなんて、やや理不尽りふじんな風習ですね」

 シルビアの言葉にセオディア・メレ・エトゥールが苦笑を漏らす。

「生まれた赤子が健やかに育つように願う験担げんかつぎだ。だいたい父親より先に面会したら、生涯その父親の男性に恨まれるのが想像できる」

「大げさな……」


 ファーレンシアは二人の会話をきいて、微笑ほほえむ。

 こうやって親子の誕生の面会の儀を無事に迎えることができるということは、僥倖ぎょうこうなのだ。

 戦争や事故で夫が命を落とし、生まれた子供と面会の祝福が与えられないこともある。その場合は、血族が代行することも多い。


「ファーレンシアも一つ肩の荷が下りたな」


 子供と父親を対面させることは、新米の母親の大きな責務でもあった。カイルが帰還し、子供との対面もする――今日は間違いなく吉日であった。

 セオディア・メレ・エトゥールの言葉は正しい


「はい」

「私もようやく姪の顔をおがむことができる」

「将来、お義姉ねえ様と侍女達が甘やかしすぎないかと、それだけが心配です。教育としつけにご協力を」


 ファーレンシアがやや憂えたように言う。


我が妻シルビアを止めるのは難しい」

「甘やかします」


 シルビアがきっぱりと宣言した。

 まだ見ぬ娘が、愛されている――カイルは嬉しくなった。

 そばにいるファーレンシアに確認をする。


「僕も甘やかしていい?」

「それはもう、計算に織り込み済みですわ」

「まあ、甘やかさないわけがないな」


 カイルの性格を理解しているディム・トゥーラも、ぼそりと同意した。


「度がすぎる場合は、一緒にいさめてくださいませ、ディム様」

いさめれるか自信はない」


 支援追跡者バックアップはファーレンシアに対して首を振った。


「それはいさめられないほど度がすぎる可能性があるという意味ですの?それとも一緒に甘やかす方に回るとか?」


 後半の指摘に、ディム・トゥーラの目が泳いだことを、ファーレンシアは見逃さなかった。




 その時、聖堂の扉が開いて女官長のフランカと数人の侍女達、専属護衛が入ってきた。カイルはすでに専属護衛に守られていることに驚いた。

 皆が注目するフランカの腕には、ラタン網籠クーハンが抱えられていた。絹糸で作られた軽いヴェールが網籠クーハンの上にかかっている。

 フランカが立ち止まり誇らしげに口上こうじょうを述べる。


「今日は良き日でございます。カイル・メレ・アイフェス・アドリーに、エトゥールの新たな王族の血を持つ者をご紹介できます。さあ、どうか、この愛らしい幼き姫に父としての祝福しゅくふくをお与えください」 


 フランカの後ろに侍女と女性の専属護衛達が大集結をして、いっせいにファーレンシアとカイルに頭を下げた。


「さあ、カイル様。貴方の娘です。どうかご覧ください」


 カイルはドキドキと胸が高鳴った。

 娘。自分とファーレンシアの子供。

 自分の血をひく娘。

 新たな家族。

 愛する存在――。

 カイルは女官長に近づき、娘との初めての交流をしようとした。



 それまで侍女や女官長に愛想を振りまいていた網籠の中の乳児が、何かにおびえ激しく泣き出した。まるで火傷やけどをしたかのような泣き叫びだった。



――え?


 カイルは圧を感じ、次の瞬間に凄まじい力を無防備な身体に受けた。

 父娘の初対面の儀を見守っていた関係者は唖然とした。近づいた父親であるカイルの身体が、はるか後方のかべまで見えない力によって弾き飛ばされたのだ。





 注視していたディム・トゥーラだけが行動できた。

 壁にたたきつけられる寸前だったカイルを保護したのは、ディム・トゥーラのウールヴェで、短距離の転位でその虎の身体を壁とカイルの間に滑り込ませていた。シャトル内の事故防衛の再現でもあった。


 異変はそれだけではなかった。同時に聖堂には激しい横揺れが生じていた。


 フランカや侍女達はその激しい揺れに転倒した。聖堂内のほとんどの人間が同じ状態だった。立っていることができずに尻餅しりもちをつくか、床に手をつくことで激震に耐えた。


 ディム・トゥーラは異常事態の元凶に向かって飛び出した。


 それはほんの数秒の出来事であった。

 転倒したフランカの手から籐の網籠クーハンが離れ、空を舞う。

 女官長と侍女達の悲鳴があがる。

 網籠クーハンが床に落ちる前に、滑り込んで受け止めたのはディム・トゥーラだった。

 サイラスかアードゥルがいれば違う対処ができたかもしれない、と後々ディム・トゥーラは思った。


 網籠クーハンのヴェールが舞い上がり、ディム・トゥーラはクッションの中の乳児と目があった。

 瞳はエトゥールの姫と同じ澄み渡ったみどりだ。まだ生えそろってない髪の毛は金色――それに気を取られる前に精神的遮蔽しゃへいを自分の周囲に展開した。ディム・トゥーラは全てを理解していた。


 地震がぴたりとやむ。

 姫が無事なことに誰もが安堵し、天上のメレ・アイフェスの行動を称賛した。

 ディム・トゥーラは、息をついた。


「大丈夫だ。赤子に怪我はない。シルビア、念のため確認してくれ」


 駆け寄ったシルビアが網籠ごと赤子を受け取り、ディム・トゥーラはすぐに壁際かべぎわ昏倒こんとうしているカイルの様子を見に走った。


 女官長や侍女達はやや呆然としていた。

 あまりの事態に、ファーレンシアとセオディアも立ち尽くしていた。

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