第15話 絆⑮

 カイル達は帰還を急がなかった。今後のことを話し合いながらの幾度かの野営やえい休憩きゅうけいののち、精霊の泉近くまで辿りついた。禁足地を離れて、すでに数日がすぎていた。


 世界の番人が眠りについても、精霊の泉の神聖さは保たれており、数種の野生動物が水を飲みにきていた。ここでの狩が禁じられていることを悟っているかのように、人間達の出現におびえる気配は皆無だった。


 草食動物と肉食動物が休戦協定があるかのように、争うことなく、並んで水を飲む姿は異様でもあった。ここでは縄張り意識や食物連鎖の方程式は存在しないらしい。


 ディム・トゥーラがしばしその様子を観察し、所持していた端末に記録を残したことを、カイルは見逃さなかった。


「…………研究馬鹿……」

「なんとでもいえ、許されるなら何日かキャンプしたいほどの絶好の観測ポイントだぞ?」

「なんだったら、何日かここで滞在してから帰っても――」


 提案しかけたカイルは、背後からすさまじい威圧いあつを感じた。

 驚いて振り向くと二匹のウールヴェ達がカイルをにらんでいた。


 その視線は明らかに『ふざけんなよ、お前ら』だった。


「……えっと……ダメみたい……」


 ディム・トゥーラもウールヴェの苛立ちを受け取ったらしい。残念そうに溜息をついた。


「……そうみたいだな……寄り道がダメなのか、神聖な場所での観測がダメなのか、気になるところだ……」

「どっちかな?もしかして両方かな……?」

「だが、ある意味、安全な場所に移動装置ポータルは定着したな。野生動物や四つ目に襲われる心配がない。サイラスの場合とは、えらい違いだ」

「逆にサイラスがこっちに来てたらと、想像すると怖いよ」


 ディム・トゥーラは、しばしその仮定を検討してみた。


「………………脳筋vs脳筋をきっかけとする西の民とエトゥールの全面抗争しか浮かばないのは何故だ?」

「……それ、正しい予想解析結果だよ……」


 しびれを切らした二匹のウールヴェに追い立てられるように、一行は近くにある移動装置ポータルに向かった。


 カイルは泉のそばの切りひらかれた空き地に、かつてイーレが設置した移動装置ポータルが変わらずあることをみて、ほっとした。

 これを踏めば、エトゥールの旧離宮に飛んで帰ることができるのだ。


 帰る――それは不思議な言葉だった。


 中央セントラルで自由とは言い難い生活を送り、そこから逃れるためだけに、所長のエド・ロウと共に幾つかの辺境の惑星探査を受けて過ごしていた。最後にたどり着いたのが、この惑星だった。

 帰りたい場所など今まで存在しなかったが、今はエトゥールに――そしてファーレンシアの元に帰りたかった。


 帰る場所があるとは、なんと幸福なことだろう。


 カイルはその感情にしばし浸った。

 それから胸にそっと手をあてた。世界の番人は変わらずそこに在った。

 成り行きの最善策とはいえ、強大な力を宿してしまった今、能力者であるファーレンシアはこの身から漏れ出る異形の圧に怯えるかもしれない。

 世界の番人が力を取り戻し、依り代状態から解放されるまで、自由にファーレンシアとは会えない可能性もあった。



 カイルは覚悟した。世界を救う代価は高かった。



 ファーレンシアに手紙を書こう。会えなくてもそれは可能だ。

 まずはエトゥールに戻り、今まであったことを手紙にしたためて、彼女のウールヴェにたくし――。


 そんなことを考えながら、カイルは起動された移動装置ポータルを踏んだ。

 周囲の景色が一気に変わる。

 森の中から、贅沢な絨毯じゅうたんの敷き詰められたエトゥールの旧離宮だ。



「カイル様!!」



 懐かしい声に、カイルは驚いた。

 一番会いたいと思っていたファーレンシアの姿が、離宮の移動装置ポータルのそばにあった。


「……ファーレンシア……?」


 カイルが移動装置ポータルの光から出てくると、まぼろしじゃないことを確かめるように、ファーレンシアの方がカイルの腕の中に飛び込んできて、カイルの身体を強く抱きしめた。


「カイル様……無事で……よくご無事で……!」


 ファーレンシアは大粒の喜びの涙を流し始めた。


「…………ファーレンシア?」


 カイルはまだ呆然としていた。

 アドリーで出産後、体調を崩し療養りょうようしているファーレンシアがここにいることが信じられなかった。

 恐る恐る腕の中のファーレンシアを見下ろす。


「本当にファーレンシア?」

「……はい……カイル様は本当にカイル様ですよね?」


 カイルのボケた質問に、ファーレンシアは泣き笑いの表情を浮かべた。


「うん、僕だけど……え?なぜ、ここに?」


 失言に近い言葉に、カイルはまだ泣いている伴侶に両頬りょうほほをつねられるというむくいを受けた。


「痛い痛いっ!」

「カイル様……ひどいお言葉ですわ……どれだけ心配したと思っているんですか……!」

「ファーレンシア、痛いよっ!」

「夢やまぼろしじゃない証明です」


 ファーレンシアは泣きながら怒っていた。


 確かにつねられる頬の痛みは、そこにファーレンシアがいることの証明になった。


「私がカイル様の帰還にかけつけない薄情な妻だと思っていたのですか?ミナリオが報告にきて、お兄様と今後の方針を練り、エトゥールに移動し、聖堂の改修とその周辺に人が立ち入らないようにして準備をしていたのですよ。カイル様の帰還をいまかいまかと待ち構えていたのに――」


ファーレンシアは、カイルをキッと睨んだ。


「精霊の泉に数日とどまる提案をするとは、どういうことですか?」


 はっ!バレてる!

 あの時のウールヴェの威圧いあつの源流を悟り、カイルとディム・トゥーラは青ざめた。研究馬鹿の朴念仁ぼくねんじん達は、自ら掘った墓穴に深くハマっている状況をようやく悟った。

 ディム・トゥーラの方が賢明にも、慌てたようにびた。


「すまない、姫。俺が状況の空気を読まずに、精霊の泉の動物に夢中になったんだ」

「ディム様はよろしいのです」


 ファーレンシアはディム・トゥーラに寛大だった。


「ディム様がいなければ、カイル様とアードゥル様はずっとあの空間に閉じ込められていた可能性があった、とアードゥル様がおっしゃってました。今回の救出劇の多大な功績による褒賞ほうしょうを要求する権利がございます。空気を読んでないのは妻を忘れて放置するカイル様ですわ」


 ディム・トゥーラは糾弾の対象から外れたことに、ほっとした。


「そういうことなら、いくらでもカイルを糾弾きゅうだんしてくれ」

「ありがとうございます」

「ディム、ひどくないっ?!」

「これは明らかに夫婦間の問題だろう。俺の関与する範疇はんちゅうじゃない」


 上手い逃げ方だ――周囲の人間は、ディム・トゥーラの機転と問題のすり替えと保身と鮮やかな人身御供ひとみごくうぶりに、感心した。

 カイルのうでの中にいるファーレンシアは、まだ泣きながら怒っている。カイルはファーレンシアを見下ろしながら、おろおろと狼狽うろたえていた。カイルが想像していた再会とかなりへだたりがあった。


「ファーレンシア、その……、なんというか……」

「カイル様は、もう私を愛していらっしゃらないのですか?」


 涙目で訴えるファーレンシアにカイルが勝てるわけがなかった。しかも絶対に勝てない台詞セリフだった。


「そんなことはないっ!愛してる!」

「本当ですか?」


 ファーレンシアはポロポロと再び泣き出した。


「やっとの再会なのに、反応が薄すぎます……」

「反応が薄いなんて、そんなこと――」

「私はずっと待っていたんですよ。無事だと信じていても、不安で不安で……」

「ファーレンシア……」

「もう、戻ってきてくださらないのか、と……ここにいるカイル様もまぼろしじゃないかと……」


 カイルはようやくどうすればいいか悟った。

 カイルはファーレンシアを優しく抱きしめてささやいた。


「………………帰ってきたよ。遅くなってごめん」

「………………お帰りなさいませ」

「………………ただいま」


 もう一度、ファーレンシアに強く抱きしめ返えされることで、カイルも再会の混乱がおさまりつつあった。

 だが、確かめなければいけないことがある。

 カイルはファーレンシアに尋ねた。


「ファーレンシア、今の僕が怖くないの?」


 ファーレンシアはその質問を予想していたかのように、泣きながら少し笑った。


「まあ、やっぱりひどい。カイル様は私が誰だか忘れているのですね」

「…………はい?」

「私はエトゥールの姫巫女ですよ。世界の番人の声を聞き伝えていた私が、どうして怖がると思ったのですか?」

「………………………………あ…………」

「カイル様の中に世界の番人がいらっしゃることは、わかります。れ出る威圧いあつに恐れおののく者が出る可能性も理解できます。でも、私もそれらの人々だと分類されるのは、いささかひどすぎます」


 ファーレンシアはねたように主張した。

 カイルがその言葉に反射的に強いハグを返したのは、ファーレンシアの度重なる教育の成果と言ってもいいかもしれない。


「カイル様?」

「よかった……。ファーレンシアにおびえられることが、ずっと怖かった……」


 カイルの小声の本音に、ファーレンシアは胸が詰まった。


「カイル様はカイル様です。その中に世界の番人がいても、いなくても、私が愛した人です」


 その言葉をきいたカイルは、ファーレンシアのくちびるに長いキスを落とした。

 ファーレンシアの顔が真っ赤になった。


 カイルは、その反応にはっとした。二人きりではないということを思い出したのだ。


 慌てて背後の移動装置ポータルの方向を見る。

 そこにいる西の民の夫婦はニヤニヤしながらカイル達を見守っていた。ディム・トゥーラは揶揄やゆする表情でもないが、カイルの視線に対して、意味ありげに別の方向を見た。


 そちらには、メレ・エトゥールをはじめとする関係者が、二人の再会の儀が終わることを微笑ほほえみながら待っていた。


 セオディア、シルビア、ミナリオ、マリカ……刺激が強かったのか、リルとクトリは同じく顔を真っ赤にしているし、その背後にはなんと、ガルース将軍達一行までいた。


「私達は気にするな。ファーレンシアの誤解の解消と、夫婦仲の回復の方が、重要な問題だ」


 セオディア・メレ・エトゥールの言葉が、カイルにとどめをさした。

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