第10話 絆⑩

――俺が戻らなかったら、馬を二頭残して帰還してくれていい。


 ディム・トゥーラは、戻らなかったら帰るように指示していたが、残された面々は、素直に従う気はなかった。


 境界線のようにディム・トゥーラが張り巡らした麻紐あさひもの外側に、ハーレイとミナリオは野営地を設けた。明らかに長期滞在を想定した作りで天幕を張っている。念のため、とイーレが二人に確認をした。


「…………貴方達、帰る気がないわね?」

「ディム様には食糧がある限り残ります、と宣言しておりますので」


 しれっとミナリオは答えた。

 イーレはその言葉に呆気にとられた。


「まさか、そこまで計算して答えたの?!」

「カイル様は導師達メレ・アイフェスが嘘を見抜くことをよく言ってらっしゃいました。だから嘘をつくことを回避しただけです。だいたい、『わかりました』と答えたら、立場上、私は指示に従って帰還せねばなりません。メレ・アイフェスは王族に匹敵する存在ですから逆らうことはできません」


 専属護衛は、とつとつと語った。 


「…………そういう身分の上下関係、嫌いなのよね……命令に絶対服従とか……」


 イーレがぼそりと言う。

 ハーレイが笑いを噛み殺した。


「だから、エトゥールより西の地の方が気楽だろう?」

「本当にそう思うわ」

、この場で待つ――そういうことだな?」

「はい」

「狩りをすれば、携帯食料の消費を減らせるだろう。数か月はいける」

「ご協力をお願いできますか?」

「まかせておけ」

「ありがとうございます」


 狩に慣れているハーレイが肉を調達し、ミナリオは森の恵みを収穫した。イーレは、クトリからの情報を元に、周辺の警戒役を担当した。

 端末を扱えるのはイーレしかおらず、これは仕方がなかった。


 エトゥールに待機しているクトリから、フルに周辺情報を取得できたことは幸いだった。四つ目やその他の生物の位置情報の把握は完璧だった。

 ハーレイとミナリオには、耳飾りに模した通信機をもたせ、イーレは指示をとばし安全を確保した。


 不思議なことに四ツ目も他の獣も、ディム・トゥーラの作った麻紐あさひもの境界線から一定距離以上、近づいてこなかった。


「これ、なんでかしらね?」

「俺にもわからん。ただウールヴェも飛んで移動できないなら、獣たちが忌避きひする何かがあるのだろう」

「重力波の異常を感知しているのかしら?」

「その『じゅうりょくは』がどういうものか理解できないが、異常があるならそうかもしれない。もしくは、己より強い存在とか――だな」


 野生動物達が本能で回避する場所――ディム・トゥーラは大丈夫だろうか。

 イーレは不安になった。

 野営が5日目になるとイーレの不安はさらにつのった。


「……意外に時間がかかってるわね」

「そうだな」


 状況が変わったのは、その時だった。


『ディム・トゥーラの通信が回復しました!そばまで来ています!』


 クトリの報告に全員が天幕から飛び出した。


 ほどなく常緑針葉樹セコイアの森の奥からディム・トゥーラ達の姿が見えた。人影は彼とアードゥルを合わせての二人分しかない。


 カイルは?

 カイル・リードはどうしたのだろうか?

 

 安全帯ハーネスの特殊ワイヤーを回収してディム・トゥーラ達が近づいてくるのを、待機組はやや緊張して待った。専属護衛のミナリオはカイルの姿がないことに青ざめていた。


「おかえりなさい。無事で何よりね。…………カイルは?」


 ディム・トゥーラはあごでやや巨大化した自分のウールヴェを示した。

 白い虎の背中には、布に包まれた人型の荷が麻縄あさなわ布紐ぬのひもにぐるぐるの簀巻すまき状態でウールヴェの背に固定されている。

 それはまるで死体運搬のようだった。


「間に合わなかったの?!」


 イーレはさすがに悲鳴に近い驚きの声をあげた。


「生きてる。健康そのもの。俺がなぐったから気絶した。俺に手加減する余裕がなかった」

「………………」

「………………」

「………………」 


 西の民の夫婦と専属護衛は、ディム・トゥーラの説明を咀嚼そしゃくしたあとに、そろって深い安堵の吐息をもらした。


 ハーレイとミナリオは、慌ててカイルをウールヴェの背から下ろすために、麻縄と布紐を外す作業に入った。


「ややこしいことしないでよっ!!」


 イーレの抗議はもっともだった。


「ややこしいこと?」

「死体を運搬してきたかと思っちゃうでしょう?!」

「死体の方がまだ可愛げがある」

「もしもし?」


 ディム・トゥーラは明らかに不機嫌だった。何があったのだろうか、とイーレは訝しんだ。


「今日は、このままここに一泊しましょう。5日も音沙汰おとさたがなくて、さすがに心配したわよ」

「5日?」

「ええ、貴方が出発して5日がたっているのよ」


 

 5日――その時間の流れのギャップにディム・トゥーラは考え込んだ。

 彼等に待機してもらい別れてから、目標の中心地までせいぜい半日、問題の場所の滞在は短時間であることを意識した。

 帰路は途中休憩をはさんだが、合計で24時間に満たない歩行距離と時間と思っていたが、違ったようだ。


 重力物理学の研究者なら、重力波と時空の歪みについて狂喜乱舞して、実証実験に走るかもしれないが、ディム・トゥーラにとっては、ただの脅威きょういだ。

 比較したイーレの持つ端末の日時と、ディム・トゥーラの端末の日時の差異が、5日という時間経過を証明していた。


「…………」

「ちょっと怖いわね……」


 イーレが怪現象に腕をさすって、珍しくおびえた。

 禁足地である理由は案外これではないだろうか、とディム・トゥーラは思った。

 二人のやりとりを黙ってきいていた当事者であるアードゥルが口を挟んだ。


「つまり、私とカイルがのほほんとあの地に1年くらい滞在していたら、伴侶達は年老いて死んでいました、なんて可能性が本当にあったのか?」

「…………あったかもしれない」


 ディム・トゥーラも否定できなかった。


「多大な借りができたようだ」


 アードゥルは遠まわしにディム・トゥーラに救出の礼を言った。

 ディム・トゥーラは首を振った


「カイルに巻き込まれた分で相殺だろう。足りない分はカイルに要求してくれ」


 アードゥルは支援追跡者バックアップの容赦ない見捨て方に笑った。


「カイル・リードはお前への借りで破産していると思うのだが?」

「よくわかったな」

「おまけに、お前はこの先も苦労する」

「そういう不吉なことを言うのはやめてくれ」


 その時、叫び声があがった。

 驚きの声を発したのは、ハーレイとミナリオだった。


 麻縄あさなわ布紐ぬのひも長衣ローブ簀巻すまきから解放されたカイル・リードは、まだ気絶して横たわっていたが、彼の身体から漏れでる気配は異常だった。

 加護をもつ二人は、まともに正面から威圧いあつを受けたに違いなかった。


「なんだ、これは?!まさか……」


 恐れを知らぬ西の民の若長がひるんで、唖然としてカイルを見下ろしている。


「まるで精霊が降臨しているようだっ!」

「勘がいいな……」


 ハーレイの反応にディム・トゥーラは感心した。


「ディム?」


 イーレも威圧を感じ取ったようだった。

 ディム・トゥーラはカイルを指さして言った。


「カイルが世界の番人の依代よりしろになっていて、こんな風に威圧がダダ漏れになっている。今後の傾向と対策について、この場で論じたい。と、いうか方針が決まるまでここから帰れないと思ってくれ」

「「「はい?」」」


 強制宿泊キャンプの始まりだった。




 陽も落ちて、ハーレイ達は手慣れた様子で、焚き火をおこし、食事の準備を始めた。

 こうなると叡智えいちに満ち溢れたはずのメレ・アイフェスは役立たずだったので、彼等は大人しく客人の立場を享受した。


 ディム・トゥーラはようやく、探索中に昼や夜の時間による陽光量や気温の変化がとぼしかったことに思い当たった。

 今は陽が沈み、肌寒さを感じる。

 あの重力異常地帯では、感覚も麻痺していたのかもしれない。


 ディム・トゥーラは、ハーレイが狩ったと思われる野生生物のあぶり肉を食しながら、三人にカイルの内部で世界の番人が眠っていること、異常な威圧はその強大な力が漏れ出ていることを説明した。

 イーレがその根底にある問題をすぐに察した。


、一般人に接触させられないわよ?神々しい精霊の代理人として宗教的にあがめられるか、カストが主張するように世を滅ぼす魔獣扱いにされるのがオチよ」

「俺も同意見だ」

「かと言って、観測ステーションに行かせれば――」

「間違いなく中央セントラルに強制送還で、モルモットだろう。おまけにそうなった時に、観測ステーションやシャトルが破壊される恐れもある」

「西の地で預かるぞ?」


 ハーレイは嬉々ききとして言った。


「カイルは間違いなく、西の地の全ての氏族をまとめあげる大長の地位につける」


 精霊信仰に厚い西の民に、カイルの異常状態の忌避感はないようだった。むしろ崇拝に近く、先程のイーレの説を証明していた。

 ディム・トゥーラは吐息についた。


「それはエトゥールと西の地の国際問題に発展する。最後の手段にさせてくれ」

「残念だ」


 ハーレイは本気で残念がっていた。

 ディム・トゥーラはアードゥルに視線で意見を求めた。

 敵対関係が終了している初代は、今や有用な意見を求めることができる必要な観察者オブザーバーだった。


「とりあえず隔離かくりするしかなかろう」

「……どこに?」

「木の葉を隠すなら森の中に、と言うだろう。エトゥールには奇跡を大盤振おおばんぶいする名所があるじゃないか」

「…………名所?」

「聖堂ですか!」


 察したのはエトゥール人であるミナリオだった。


「確かにあそこなら多少の違和感は誤魔化せます」

「大災厄で空っぽに近い状態なら、人に対する影響も最小限、落ち着くまでの時間稼ぎになる。つまりは様子見を推奨すいしょうする」

「いいね、それ」


 横たわるカイルから声が飛んだ。

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