第8話 絆⑧

 大災厄後の混乱期に重大な協力者である若長夫妻を二重遭難させる訳にはいかない。専属護衛のミナリオは、生き証人でメレ・エトゥールへの報告役だ。

 ディムが、彼等を待機させて、単独探索に切り替えた理由は、条件が前回とあまりにも乖離かいりしていたからだった。

 ウールヴェのトゥーラは死んだ。

 ロニオスも死んだ。

 世界の番人は衰弱すいじゃくしている。

 カイルが問題の場所から帰還できないのは、前回と違いそれらの条件が欠落しているためではないだろうか、とディムは考えた。


 樹高が100メートル以上はありそうな常緑針葉樹セコイア群の中を、ディム・トゥーラはウールヴェ達だけを引き連れ、つき進んだ。


 空気が変わったような気がした。

 標高はそれほどないのに王都では味わえないんだ空気だ。今までの森の空気とも微妙に違う。

 脳へのリラックス効果のあるテルペン類等の揮発性化合物質の濃度が濃いのだろうか。

 

 そんな考察をしたディム・トゥーラは立ち止まって、吐息をついた。

 興味深い場所だが、今はカイルの所在を優先すべきだ。研究者としての癖は押さえ込まなければならない。


 重力波異常の境界線からおよその中心地点を割り出し、見当をつけて歩いてきたものの、カイル達がいる場所の入り口はまだ見当たらない。

 常緑針葉樹セコイアが続くだけだ。


 見当たらないが、カイル達がいるという確信は強くなる一方だった。

 端末はすでに予想通りに無反応だった。


――こんなに手間をかけさせやがって……


 ディム・トゥーラの中でカイルに対する怒りがふつふつと再び沸いてきた。


 見つけたら、まず殴る。

 思いっきり殴る。

 絶対に殴る。


 初回のように世界の番人に巻きこまれた行方不明騒動ではない。確信犯的にカイルは、同調した世界の番人の力を行使して世界の被害を最小限にした。


 恒星間天体の地表面衝突による粉塵ふんじんは、本来なら太陽光の熱量を数十年は吸収拡散し、平均気温を10℃近く下げる予測があった。それは数十年の冷害環境をもたらし、植生をがらりと変え、慢性的な食糧不足を生み出すはずだった。


 それをカイルは阻止したかったのだろう。それは理解できる。


 食という基本欲求が満たされなければ、人の不平不満はまる。今まで、満たされた生活を送っていればなおさらだ。食糧不足は貪欲な執政者の他国への侵略の口実をもたらす。


 カイルが、世界の番人と同調して、先見の能力を得たなら、そういう絶望的な未来を見たのではないだろうか?

 カイルの行動の選択には、彼なりの理由があったはずだ。


 だが。

 だが――。

 

 己を犠牲にしてどうする!あと先を考えないこの馬鹿野郎が――っ!!!!!俺はそういうことをするな、と散々警告しただろうがっ!!


「あの大馬鹿野郎がっ!!」


 ディム・トゥーラの絶叫が森に木霊こだました。





 カイルはびくりと身体を震わせた。


「どうした?」

「ディム・トゥーラが、めちゃくちゃ怒っているような気がする」

「この状況で怒らない支援追跡者バックアップがいると思うなら、お前の頭の中は、お花畑だ」


 アードゥルの言葉は辛辣しんらつだった。





 ディム・トゥーラは自身の遮蔽しゃへいを強化し、共につき従うウールヴェ達に言った。


「俺はカイル達を連れ戻したい。姫のためにも、だ。協力してくれ。お前達が『還る』場所だ。この近くにその入口があるはずなんだ。案内してほしい」


 ウールヴェ達は意味深にディム・トゥーラが手にする端末をじっと見つめた。


「もしや……武器以外に、これもダメなのか?」


 ディム・トゥーラはセコイアの根元に端末をおいた。

 その動作を見届けてから、ウールヴェ達はゆっくりと歩き出した。


 その後を追いかけつつ、ディム・トゥーラは安全帯のワイヤー残量を確認した。境界線からかなりの距離を歩いている。ミナリオ達の証言から計算し用意したワイヤー量だが、足りなければ出直さなければならない。

 

 ある地点でウールヴェ達がぴたりと足をとめた。


 変わらぬ森の中だったが、ディム・トゥーラはを隔ててがあるのは感じた。

 なぜイーレ達のように、知らぬ間にあの場所に辿り着けないのか?なぜ入口が見えないのか?


『認知の問題だよ』

 ロニオスの声が聞こえたような気がした。

『そこにあると思えばそこにある。ないと思えばない。見えない世界があると本当に信じることができるか?世界の番人や精霊獣、ウールヴェ達の存在を受け入れることができるか?ここは、そういう境界の狭間なんだ』

 背後に自分と同じくらい長身の男が立っているような気配をディム・トゥーラは感じた。

『君はどっちの世界に所属する?』

 ぞくりとした。

 これはロニオス・ブラッドフォードの声だ。

 思念波ではない、肉声で聞こえたような気がした。

 どっちとはどういう意味だ?どの世界とどの世界を並べて言っているんだ?

 そんな疑問より自然にディム・トゥーラは答えを口にしていた。


「俺はカイルと同じ世界に属する」


 ロニオスが笑った。

曖昧あいまいな答えだなぁ。どちらにもとれて、どちらでもない。だが、柔軟じゅうなんではある。まあ、私は息子に一本取られてしまったから、これぐらいは導いてあげよう』

「一本取られた?」

 背後にいるであろう人間姿のロニオスを確認する前に、視界がぐるりと回り、森は消えた。


 地平線まで続く花が咲き乱れる草原がそこにあった。


「ディム・トゥーラ!!」


 目標の問題児と、巻き込まれたはずの初代の姿があった。






 会ったら殴ってやる――その決意は霧散むさんした。

 言いたいこともあった――それも思い出せない。


 あの大災厄の混乱の中、行方不明になった二人が生きていた。それで十分だった。

 境界線で立ち尽くしたディム・トゥーラは、二人の姿を確認して、安堵あんどした。この異空間への案内人だったロニオスの声の正体など、彼の頭から吹き飛んでいた。


 生きている。

 無事だった。

 また会うことができた。


 この地にいなければ、またゼロから手がかりを求めることになって、時間がすぎていたのだ。


 問題の二人は、動かないディム・トゥーラの方に、ゆっくりと歩いてきた。

 カイルが嬉しそうに笑った。


「ディムなら絶対に気づいてくれると思ったっ!この空間に閉じ込められちゃった時はどうしようかと――」


 ディム・トゥーラはカイルの言葉に反応せず無表情なまま、カイルの頭に触れた。

 それから顔、耳、瞳孔どうこう、首の脈、肩、腕、指先、背中、腰、足と順番に無言のカイルの身体の検分が続いた。

「?!」

 その点検ぶりにアードゥルがぼそりと言う。

「まるで死体検死だ」

「僕、生きてるよ?!」


 抗議したカイルは、いきなりディム・トゥーラに両肩を強く捕まれ、怯んだ。


 ディム・トゥーラはまだ無表情で無言だった。強い遮蔽しゃへいのため、カイルはディム・トゥーラの感情を読み解くことができなかった。


「ディム?」

「……」

「怪我はないから」

「……」

「あ、あの……?」

「……」


 カイルは視線でアードゥルに意見を求めたが、アードゥルは首を振って突き放した。

 まだディム・トゥーラは無言だった。少し視線を落とし、カイルと目を合わせようとしない。


 昔のようにカイルの方がプレッシャーに負けた。


「ええっと、ご、ごめんっ!反省してるっ!ものすごく反省してるから!心配かけてごめんっ!ごめんなさいっ!許してくださいっ!約束を破ったのは、わかっているっ!ごめんっ!」

「…………………………………………無事でよかった」


 顔を伏せたディム・トゥーラの小声のつぶやきを聞き取ったのは、アードゥルだったが、彼は何も揶揄やゆしなかった。


「…………ディム?」

「意外に到着が早かったな」


 ディム・トゥーラはアードゥルの言葉を聞き咎め、ようやく顔をあげた。


?」


 ディム・トゥーラの怪訝けげんそうな反応に、問題の当事者である二人は顔を見合わせた。


「体感的に4〜5日なイメージだったが……?」

「…………違うの?」

「…………大災厄から2ヶ月以上が経過しているぞ?」


 ディム・トゥーラの言葉に二人は愕然がくぜんとした。


「「なんだって?!!」」


 驚きの声をあげる二人に、ディム・トゥーラはすぐに自分の安全帯ハーネスを確認した。ワイヤーは途中の空間で消えていたが、切断されている気配はなかった。


「ファーレンシアの出産の気配に、予定日より早いから変だと思ったんだっ!2ヶ月っておかしくない?!」

「60日以上として、およそ10倍の体感誤差か……」

「それ、誤差じゃないよね?!」


 ディム・トゥーラは無表情のまま、片手をあげて提案をした。


「話はあとだ。すぐに撤収てっしゅうしよう。この時差はヤバい気がする。アードゥル、ワイヤーを辿たどれるか?」

安全帯ハーネスとは、頭がいいな」


 アードゥルはディムが身につけている安全帯なワイヤーをつかみ、感心した。


「ディムはいつだって頭がいいんだ」

「なぜ、お前が自慢げに言う」

「僕の最強無敵の支援追跡者バックアップだから」

「なるほど、お前をフォローするには知的な支援追跡者バックアップが必要だったんだな」

「……ひどくない?」

「無駄話はあとだ、と言っただろう。脱出するぞ」

 

 ディム・トゥーラは、カイルの腕を掴みなおした。


「あ、ちょっと待って」

「?」


 カイルは、地平線の彼方をしばしぼんやりと眺め、なぜか軽く頭を下げる動作をした。

 ディムは視線を追いかけ地平線の彼方を見たが、花が咲き乱れる草原しか見えなかった。


 ディム・トゥーラにはカイルが何を見たのか、わからなかったが、何かを見ていたことは感じた。


 ディム・トゥーラは慎重に一歩後退した。

 ワイヤーを辿り、引き返すつもりで後退すると、再び視界がぐるりと回転した。楽園のような草原はまぼろしのようにきえ、そこは元の常緑針葉樹セコイアの森の中だった。




 虎と狼のウールヴェが並んで鎮座ちんざし、3人を待っていた。カイルはファーレンシアのウールヴェがいることに驚いたようだった。


「ハーレイ達の場所まで案内してくれ」


 安全帯のワイヤーを辿たどれるとはいえ、念には念をいれて、ディム・トゥーラはウールヴェ達に頼んだ。

 ウールヴェは正しい方向に向かって歩き出し、それがワイヤー方向と一致していることにディムはほっとした。


 ディム・トゥーラは背後を振り返るつもりはなく、横にいるカイルの腕をがっちりとホールドして連行するように歩き出した。


「ディム?」

「とりあえず、この場所から離れる」

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