第7話 絆⑦

 周辺は平和な光景そのものだった。

 美しい花が満開に咲き、緩やかな風が様々な色の花びらを運ぶ。

 明るく光に満ちた世界で、脱出することもかなわないなら、とばかりにアードゥルは植生の確認を始めた。


「なるほど、季節も植生分布も無秩序だ。この花を知ってるか?」

「知らない」

「ダイモンジソウ、ユキノシタ科の多年草だ。ちなみに花言葉は『マボロシ』」

「…………これは?」

彼岸花リコリス、球根に毒がある。花言葉は『悲しき思い出』」

「…………こっちは?」

「アスター、花言葉は『甘い夢』」

「…………これ」

「スカビオサ、花言葉は『私は全てを失った』」

「………………」

「………………ピンポイントに意味深な花ばかり選ぶのは、わざとか?」

「僕が花に詳しいわけないでしょ?!もっと明るい花言葉がある花がどれか教えてよっ!」


 カイルが弁解している時、地平線近くを数頭のウールヴェが駆けていくのが見え、二人は黙ってその集団を見送った。


 カイル達がこの場所に辿り着いた時、大量のウールヴェ達が地平線近くで、どこかを目指して駆け去るのを見た。

 その数もだいぶ減っている。

 カイルの視線を追いかけて、アードゥルが確認する。


「あれは大災厄で死んだウールヴェ達だな?」

「……うん、多分……」

「ここはどういう場所だ」

「死んだウールヴェが帰り着く場所かなあ……ガルース将軍が夢で似たような光景を見たと言っていた。だけど使役主である主人をなくした大人のウールヴェが戻る場所とも、ロニオスが言っていた」

「……ロニオスは、アルドヴァートの姿をしていた」

「姫巫女のウールヴェと言っていたよね。その姫巫女は僕の母親のウールヴェという理解であってる?」

「ああ」

「面白いよね。僕のウールヴェは、そのアルドヴァートの姿を模倣もほうして血縁関係を主張していたのだから」


カイルは小さく笑ってから、長い溜息をついた。


「トゥーラがいなくなって、僕の心の穴が埋まらないよ。まるで双子の半身を亡くしたようだ。寂しい、つらい、悲しい――こんな空虚な気持ちがあるんだね。多分、世界の番人と同調しているから、これくらいで済んでいるのかもしれない」


 アードゥルはカイルを見つめた。

 無意識にこの場所を必要としたのは、世界の番人ではなく、絆の深かったウールヴェを失った傷心のカイル・リード自身ではないのだろうか、とアードゥルは推察した。


「カイル・リード。お前は自分のウールヴェに会いたかったのか?」

「会いたいよ。会いたいけど、あの集団達のどこにもいないんだ。きずなを失った僕には探すことができないのかもしれない」

「泣くな」

「……泣いてない」

「強がるな」

「どっちなのさ」


 カイルは口をとがらせた。


「ぴーぴー泣いても過去は変えられない。だが弱音は漏らしていい」


 意外なアードゥルの言葉にカイルは思わずきいた。


「なんで弱音は許可なの?」

「心を語るのは、自分と向き合うのに必要な行為だからだ。もっとも愚痴ばかり語れば、負の思念を撒き散らすことになる。それが周囲に悪影響を及ぼし、忌避きひされる行為なのは、精神感応者テレパシストなら理解できるだろう」

「……」

「これは全部、ロニオスの受け売りだけどな」


 アードゥルは最後に付け加えた。

 カイルは種明かしに少し笑って、からかった。


「凍っているロニオスとのきずなを掘り出してきたの?」

「捨てられないから冷凍保存が必要なんだ」


 アードゥルは真顔で応じた。カイルも複雑な関係性を垣間見て、納得してしまう台詞だった。


「カイル・リード、お前はウールヴェとの絆を失ったと言うが、真に失っていれば、ウールヴェなど歯牙しがもかけないのではないか」

「――」

きずなは簡単に消えない。お前とエトゥールの姫、お前と苦労人の支援追跡者バックアップ、お前とロニオス、お前とあのウールヴェのきずなは簡単に消えるものではない。消えたと思うなら修復すればいい」


 カイルは視線を落とした。


「僕はね、人間の薄情さに失望しているんだ。僕自身を含めて」


カイルは、ぽつりと言った。


「僕はあの時、ウールヴェ達を犠牲にして、文明存続の道を選んだ。薄情さと冷酷さの集大成だよ。そんな僕が犠牲にしたトゥーラとのきずなの修復を望むの?僕にはそんな資格はない」

「ウールヴェのきずなに資格がいるのか?」

「……いらないけど……」

「お前のウールヴェは、恨みを抱くようなネチっこい性格か?」

「違うよっ!あの子は素直で優しい子だった!」

「まあ、そうだろうな」


 ウールヴェは使役主に似るというのが、定説だった。

 カイル・リードの素直で傷つきやすい性格を考えれば、そのウールヴェの本質など一目瞭然だった。


「単純な話だ。お前がどうしたいかだ」

「僕が……トゥーラを思ってもいいのかな……?」

「当たり前だろう」

「……少し泣いていい?」

「許可する」


 カイルは花園の中で、失ったトゥーラを想い、泣いた。





 半身であったウールヴェを想い、泣いたことで、カイルの心は驚くほど軽くなった。

 立ち直りつつあるカイルを見据えて、アードゥルは待ち構えていたように言った。


「では、論じようか?」

「…………何を?」

「山ほどネタはあるだろう。むしろありすぎる。ネタも時間も」

「……………………」


 うっかり忘れていたが、アードゥルも初代ロニオスが選抜した研究都市出身の研究員なら、間違いなくと保証できるほどの研究馬鹿に違いない。

 このような状況でありながら討論を望むことが、その事実と研究者特有の悪癖を証明しているのではないだろうか?

 カイルはちょっと遠い目をした。


「まず、ここがどういう場所だと思うか意見を聞かせてもらおうか?死んだウールヴェが還る場所、使役主と死別したウールヴェが休む場所、ロニオスがアルドヴァートの姿で登場した場所、遮蔽されて支援追跡者とも連絡がつき難い場所、生きた人間が我々以外いない場所――」

「実は僕達は死んでいるというオチは?」

「あるかもしれないな」


 あっさりと、アードゥルはその可能性を受け入れた。その肯定にカイルの方が青ざめた。


「やめてよっ!不吉なっ!」

「言ったのは、お前じゃないか。死人同士が意志疎通でき、情報交換までできるとしたら、ぜひ後世に残したい情報だ」


 自分の死すらも、検証材料とする。どこまで本気だろう――カイルには判断がつきかねた。


「まあ、我々が死んでいるなら、ここは死後の国ということになると思うが。死後の国か……なかなか斬新ざんしんで面白い概念だ」


 カイルは複雑な思いでその感想を聞いた。世界の番人との会話がよみがえる。目に見えない宗教的概念を排除した世界。そこには死後の世界なども含まれるのだろう。

 アードゥルの探究心は止まる気配がなく、カイルは観念してそれにつきあうことにした。


「ここがどういう場所か、僕もいろいろ考えていたんだけどね」


 カイルも地平線に近い場所を走っていくウールヴェを見守った。


「境界線――という表現が正しいのかな」

「死者と生者のか」

「うん。ほいほいとこられる場所じゃないのは確かだよ」


 カイルはウールヴェ達が目指している彼方を指さした。


「あっちの方に多数の人々とウールヴェの集団を見たことがある。人々はそれ以上近づくことはなかった。目に見えない境界線があるのでは、と僕は思った。ロニオスはあちらからやってきて――」


 カイルは口をつぐんだ。

 ロニオスが依り代としていたウールヴェ――アルドヴァートのそばにいた青い髪色の女性こそ、自分を産んだ母親だったのだろうか。


「カイル・リード、ここでロニオスと出会ったと言ったよな?」

「うん」

「死んだロニオスとあのウールヴェもここに戻ってくるのか?」


 絆を冷凍保存していると主張するのと真逆に、アードゥルはロニオスを気にかけている。

 だが、言われてカイルは、己の過去の行為を思い出した。


「あ…………えっとね……ちょっと僕は、彼に対して……ね?」

「どういう意味だ?」


 カイルはあきらめて、ぼそぼそと小声で全てを懺悔ざんげした。

 話を聞いていたアードゥルは眉をひそめ、その内容に唖然として、やがては驚愕の叫びをあげた。


「なんだって――?!!!!」


 その反応はカイルの先見の通りだった。





『ディム・トゥーラ、音声と重力波に異常が発生しました』


 クトリの警告に、一行は足をとめた。相変わらず深い森で、異常の発生は視認できなかった。


「わかった。今から座標を拾う。そのまま重力波の測定値をこちらに転送してくれ」

『了解です』

「どうするの?」


 イーレが問いかけた。ディム・トゥーラは肩をすくめてみせた。


「ここからは、非常に原始的な手法かな」

「どういう?」

「異常の発生元座標を計算から割り出す。イーレ達は休憩してくれ。俺が探す」


 ディム・トゥーラは端末を確認しながら、1本のセコイアの大木に麻紐あさひもを巻いた。

 そこを中心に東西南北八方向に歩みをすすめ、重力波異常が発生する境界と方向を確認した。その方向のセコイアの大木に新たな麻紐あさひもを結ぶ。


「彼は何をやっているんだ?」

「わかんない……」


 しびれを切らしたイーレが周辺の探索をしているディム・トゥーラに呼び掛ける。


「ディム?」

「イーレ、多分、この麻紐あさひもの区域から先は武器を持ち込めない。馬も繋いでおいてくれ。イーレ達は待機で」

「でも――」


 ディム・トゥーラは荷袋の中から安全帯ハーネスを取り出し、身に着けた。それから特殊ワイヤーを基準になる針葉樹の大木にくくりつける。ディムはイーレに予備の端末を放り渡した。


「俺が戻らなかったら、馬を二頭残して帰還してくれていい。現在位置はそこに記録してある。おおよその進路履歴はとったつもりだ。ここから迷子になることはないだろう」

「ディム!」

「食糧がある限り残ります」


 答えたのは、今まで黙って付き従ったミナリオだった。


「カイル様をお願いします」

「まかせろ。行ってくる」


 支援追跡者は複雑に張られた麻紐あさひもの交点から、方向を割り出すと、さらなる森の深部しんぶにむかって歩き出した。


 

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