終章 エトゥールの魔導師

第1話 絆①

痛い。痛い。

ファーレンシアは、気の遠くなるような痛みに耐えていた。話には聞いていたが、実際の経験となると雲泥うんでいの差があった。


 だが、昔の先見の時の発作に比べれば、呼吸ができないわけではない。痛いだけだ。激痛がずっと下腹部を襲っている。

 マリカが濡れた布で、ひたいの大量の汗を拭いてくれたのがわかる。


「ファーレンシア様、もう少しですよ」


 大丈夫、とファーレンシアは微笑んでみせようとして、再びの激痛にうめく。

 短く息を吐いて、吐いて、長く吐いて、とシルビアが言うが、それがなかなか難しい。一定のリズムで呼吸をすることで、赤ちゃんに十分な酸素がいくのだ、とシルビアに教えられた。そうすることで、出産事故の危険リスクが減らせるらしいが、うまく呼吸ができているか、ファーレンシアは自信がなかった。


 シルビアは衛生面を配慮しつつ、ファーレンシアに関して『地上式の出産方法』を選択した。侍女達の出産に何回も立ち会っている女官長であるフランカを中心に、侍女達とシルビアという鉄壁な布陣で、今回のファーレンシアの出産にいどんでいる。


 りきんで、歯や舌を傷つけないようにと、布をんで痛みと闘う。この痛みはいつまで続くのだろう。そしてどのくらい時間がたったのだろう。


――ファーレンシア


……カイル様……。


 ファーレンシアは愛しい伴侶の幻聴に答えた。

 早く帰っていらして。子供が生まれます。私、がんばっていますよ。とても痛いけどがんばっています。この子が無事に産まれるように、力を貸してください。そして早く無事な姿を見せてください。


――大丈夫、心配しなくていいよ


 大丈夫なのはどっちですか?生まれてくる子供?それとも貴方?両方とも大丈夫じゃないと困ります。寂しい。会いたい。痛い。もう貴方がいなくて、どうにかなりそう。痛い。会いたい。会いたい。会いたい。

 どこにいるんですか?どうして帰ってきてくれないのですか?約束したじゃないですか?


――ファーレンシア、必ず帰るよ


 本当に?本当に帰ってきてくださる?

 いつ?それはいつ?一人にしないで。


 夢でも幻でもいいから、会いたい。早く帰ってきてほしい。強く願った時、ファーレンシアは一瞬痛みも忘れ、カイルがそばにいるような気配を感じた。

 抱きしめられている――ファーレンシアはそう思った。

 

「ファーレンシア様」


 ふっと波がひくように一瞬で痛みから解放される。

 いったいどうしたのだろう。

 朦朧もうろうとした意識の中、ファーレンシアは力強い泣き声を聞いた。本能だけで泣いているような声だ。


「生まれましたよ!元気な女の子です」


ああ、よかった。無事に産むことができた。

 ファーレンシアは自分の成したことに、誇りを覚えた。男性には味わうことのできない達成の感情に違いなかった。




「生まれました。元気な女の子です」


 隣室に待機していた男性陣は、シルビアの報告にほっと息をつく。それはセオディア・メレ・エトゥールも例外ではなかった。


「そうか、生まれたか」

「もっと、喜んでいただいても結構ですよ?」


 冷静沈着な様子に、扉から顔をだして報告したシルビアは揶揄からかうように言った。


めいという貴方の親族の誕生なんですから」

「親族……そういえば、そうだな……」


当たり前と言えば当たり前の指摘に、セオディアは困惑した。


「セオディア?」

「病弱なファーレンシアが大人になり、子供を成すなど、想像もしなかった。奇跡はこうも続くものなのか……」

「それが世界を救う努力をした者への報酬というものでは、ありませんか?」


 シルビアはセオディアに近づき微笑んだ。

 セオディア・メレ・エトゥールは、しばし伴侶を見つめ、それからシルビアを強く抱きよせた。


「…………私も自分の子供を早くもちたいものだ」


ささかれた言葉に、シルビアは耳まで真っ赤になった。




 エトゥールの出産では、赤子が初めて面会する男性は父親という風習があるので、不在のカイルをたてて男性達は皆遠慮した。

 胎盤が自然に剥離し娩出される後産も無事に終わり、ファーレンシアはようやく休むことができた。

 猿のようなしわくちゃの顔の新生児を、ここぞとばかりに侍女達が世話をしている。

 

「乳母が何人いることやら……」


 自身がセオディアとファーレンシアの乳母だった経歴をもつ女官長のフランカが侍女達の異様なはしゃぎように、やや呆れの吐息をつく。だが諌める無粋なことは、しなかった。

 フランカの言葉に寝台にいるファーレンシアは笑った。


「フランカ、ありがとう……」

 女官長は微笑みながら頭を下げて、ファーレンシアの礼の言葉に応じた。

「シルビア様……いえ、お義姉様も……ありがとうございました……」

「ファーレンシア様こそ、よくがんばりましたね」


 シルビアの言葉は愛情がこもっていたので、ファーレンシアは泣きたくなった。

 

「ファーレンシア様」

 子供をあやすようにシルビアはファーレンシアの頭を優しく撫でた。

「カイル様の声をきいた気がしました」

「そうですか」

「だから思いっきり強請ねだってみました。早く帰ってきてと」

「そうですか」

「……どうして、あの人はいないのでしょうか?」


 シルビアは手巾でファーレンシアのこぼれおちる涙を優しくふいた。


「カイルは帰ってきますよ。大丈夫です」


 シルビアは優しく言った。


「お義姉ねえ様……」

「ファーレンシア様、カイルの相棒であるディム・トゥーラは、とても離れたところにいながら夢で会話ができたそうですよ。ファーレンシア様の夢もそうかもしれないですね」


 ファーレンシアは、はっとした。

 過去に、カイルとディム・トゥーラとの会話は、真かかの判定を皆で論じたのだ。

 実際、ファーレンシアもその夢を証明するために、同行したことがあった。あの時、カイルのウールヴェであるトゥーラがそばにいたのだ。


「もしかして……」

「ええ、前回のようにはっきりとしないのは、トゥーラが旅立ってしまったからではないか、と私達は仮説をたてています。ウールヴェは精神感応テレパシー――地上で言うところの『加護』を増強していたのではないか、と」

「では、トゥーラがいない今、どうしたら……」

「私達には、まだ力強い味方が残っていますよ」


 シルビアは黙って、ファーレンシアの寝台のそばに控えるウールヴェに視線を投げた。

 死んだトゥーラのつがいだったウールヴェは、白い狼に似た姿を保っていた。


「わ、私のウールヴェが役に立つとおっしゃるのですか?」

「もちろんです。私達は、ファーレンシア様の出産が終わるまで、カイルの捜索を控えたのです」


 急に朝日が差し込むような希望の光が見えてきたことに、ファーレンシアは驚いた。


「探しに……当てがあるのですか?」

「と、ディム・トゥーラは言ってます」

「ディム様が……」

「彼等は今、その準備をしています。だから、私達は信じて待ちましょう」


 シルビアの言葉に、ファーレンシアは何度もうなずいた。





「クトリの言いたいことは、よくわかった。確かに衝突のエネルギー収支があわない」

「でしょ、でしょ、でしょ?!」


 ディム・トゥーラに問題点を認められたクトリ・ロダスは興奮したように前のめりの姿勢になる。

 エトゥール王城の中庭は、書類サイズの金属の板が散乱している。クトリ達がエトゥールの地下拠点から持ちだした端末は、それぞれが観測された情報をフル稼働で解析していた。

 二人の議論を聞いていたエルネストは端末の一つを手にして、計算結果を確認した。


「つまり直径200キロのクレーターなら深度40キロあってもおかしくないと……だが、それは純粋に直径が200キロだった場合では?」

「へ?」


 エルネストの指摘にクトリはきょとんとする。


「カイル・リードが落下する恒星間天体をかなりくだいていれば、本来のクレーター直径は100キロ程度であり、単に深度分を水平にエネルギーを展開した可能性も捨てきれない」

「えええええ」


 クトリは愕然とした。


「そんな物理エネルギーの法則を全無視するような馬鹿な現象が――」

「ウールヴェの特攻だって、十分に馬鹿な現象だろう?ウールヴェがミサイルのような熱量と爆発エネルギーを所持して恒星間天体の質量をぐなんてありえない」

「実際、いだかもしれない。時間があれば、隕石として着弾した恒星間天体の全質量を計測してみたいものだ……。そこから逆算できるかもしれないな……」


 ディム・トゥーラがつぶやく。


「動物の特攻が?」

「あれを動物に分類するのは、専門家として断固拒否する」


 ディム・トゥーラは真顔できっぱりと言う。


「貴方達の研究馬鹿具合もいい加減にしてよ。今は、カイルとアードゥルの行方が問題でしょ?」


 イーレが釘をさし、黙って聞いていたミオラスも、激しく頷いて同意する。

 一方、イーレの伴侶である西の民の若長は、中庭の芝生で寝転んでくつろいでいる。


 呪文のような意味不明の言葉が飛び交う議論が始まった時点で、彼は体力温存の休憩を選択していた。


「その手がかりが、大災厄のエネルギー収支にあると、俺は思ってる」

「なんで?」

「カイルとアードゥルが消えたからだ」


 ディム・トゥーラが端末を指でつつきながら、主張する。


「俺は残って、彼等だけ消えた。アードゥルは、カイルに触れていたから、巻きこまれた」

「じゃあ、カイルは?」

「カイルはあの時、世界の番人と同調していた。ウールヴェの特攻をコントロールしていたと、言ってもいい。カイルがアードゥルに命じて地下1000メートルまで防御壁シールドを展開させたのも、爆発のエネルギーが変遷できることを未来予測したからじゃないか、と思っている」

先見さきみか」


 若長がぼそりと言って、全員が芝生に寝転ぶ西の民を注視した。ハーレイは半身を起こすと胡座あぐらを組んだ。


「もともと占者せんじゃは、世界の番人の審神者さにわであり、先見さきみは世界の番人の助言のようなものだ。カイルが世界の番人と同化していたなら、星の落下の結末は見えていたに違いない」

「認めたくないが俺もそう考えた」


 ディム・トゥーラも同意した。

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