第20話 我が光を示される汝に栄光あれ⑦

「…………トゥーラ…………」


 カイルは呆然と近づいてくる自分のウールヴェを見つめた。

 白い狼に似たウールヴェは、カイルの前に立った。


――ごめんね かいる


「…………なんで、謝るんだ……?」


 カイルは緊張と恐怖で、喉がカラカラになり問いかける声が震えていることを自覚した。


――ずっと一緒にいるという 約束が守れないから


 カイルは精神への衝撃にくちびるを噛んで耐えた。トゥーラの言葉が意味することは、残酷ざんこくだった。


「…………いやだ…………」


 カイルは首を振った。


「いやだ……いやだ……絶対にいやだっ!こんな選択は間違っているっ!僕はこんな選択はしないっ!したくないっ!僕にさせないでくれっ!!」


 カイルは叫んだ。


――かいる


 トゥーラはカイルに近づくと、カイルの身体に頭をり付けた。カイルを落ちつかせるとても深い愛情が流れ込んできた。カイルはしゃがむとトゥーラを強く抱きしめた。

 トゥーラとのきずなの深さを証明するかのように、流れ込む愛情は膨大ぼうだいだった。


――かいる 聞いてくれる?


 カイルに語りかけるトゥーラの思念はいつもより、ずっと大人びていた。


――僕達は ずっと人間を見てきたんだ


――ずっと ずっと ずっと 見てきたんだ


――人間の全てを 見てきたよ


――綺麗な面も 汚い面も全て


――殺された仲間もいるし 四つ目になって世界の理からはずれた仲間もいる


――いろいろな記憶を 僕達は共有しているんだ


 記憶の共有――それはかつてトゥーラが語ったことだった。死んだウールヴェは、世界の番人の元に帰り、記憶が共有されると。

 かつてセオディアをかばい死んだウールヴェやカスト王に殺されたウールヴェは、世界の番人の元に帰っていった。

 今ではカイルもそれがこの世界の仕組みだと理解していた。


――そんな中でね かいるは とても稀有けうな存在だった


――与える者が与えられる そう口癖のように言ってたね


――それは世界の真理で それをできる人はわずかなんだ


――かいるの選択は たくさんの人の心を救い未来を与えた


――そして無関係のこの世界のために奔走してくれた


――僕達は それに報いたいと思った


――それが僕達の総意で 『選択』なんだよ


――そして世界の人々は救済を望んでいる


「……それでも、嫌だ」


――かいる


――僕達は世界の番人の手足であり 分身であり 子供でもあり 世界そのものでもあるんだ


――それと 同時に使役主に対する 守護者でもあるんだ


――その僕達が世界を守るために行動するのは 当然でしょ?


「――」


 カイルは黙り込んだ。ウールヴェ達の行動を止めることができない予感がひしひしと迫ってきた。


――かいる ごめんね 重荷を背負わせて


――でも 命じる存在が必要なんだ


――命じるはずだったロニオスがいないんだ


「……お前達はどうなるんだ……?」


――何もならないよ みなもとに帰るだけ


「死ぬってことだろう?!」


――かいる そうじゃないよ


――例えるなら 大地に降り注ぐ雨が集まり川になりやがて海にたどる


――その海から 雲が生まれ雨となって再び大地を潤す


――僕達は世界を循環じゅんかんしているんだ ただ世界の番人の元に戻るだけ


――これは死じゃないんだ


――だって僕達は 世界から生まれているから


――世界に帰ることは自然なことなんだよ


――季節が巡るのと同じぐらい自然なことなんだよ


 何か重要なことを言われていたが、カイルは半分も考えることができなかった。


「僕はお前がいなくなるのは嫌だ」


――僕も 離れるのは嫌だよ


「孤独になりたくない」


――うん


「だったら、行かないでくれ」


――僕達が行くことで、人々の苦しみが軽くなる それでも かいるは 止める?


「――」


 カイルの右手に地上世界の安らいだ未来が、左手に世界の番人の分身であるウールヴェの存在が乗っていた。

 地上世界の未来を選べと、きずなのあるウールヴェは強要していた。


――かいる


「…………なんだい」


――この世界を愛してくれてありがとう


 カイルはその言葉に泣きたくなった。

 実際、泣いていた。

 愛した世界は、美しく純粋で清浄でいやしに満ちていた。だが、運命の選択は残酷で無慈悲だった。


 自分がする残酷な選択は、確かに生涯しょうがいいるに違いない。人間の自己中の極みだった。

 だが、地上の短命な人々に大災厄後の過酷な生活を強いる権利などカイルにはなかった。

 トゥーラは黙って泣き続けるカイルに寄り添った。




 どれぐらい時間がたっているのか、カイルにはわからなかった。だが、いつまでも受け入れ難い現実から逃避しているわけにはいかない。

 世界の番人の不可思議な力で元の時間に戻れるとしても、大災厄はまだ解決していないのだ。

 カイルは涙をぬぐいながら見えない存在に呼びかけた。


「……世界の番人」


――――なんだ?


「……貴方達は何なの?」


 カイルの質問を面白がる気配があった。


――――我々を何であるか定義づけるのは人間の役目だ


――――だが、ロニオスは面白いことを言っていた


「……なんて?」


――――かつてはロニオス達の歴史にも同じような存在があったと


「……え?」


――――人間は欲深く、その概念と信仰を人民の支配だけに利用し、多様化した信仰は様々な対立を産み出し、世界を混沌とした状態にしたそうだ。それこそ滅亡の寸前まで陥ったらしい


「……そんな話、知らない」


――――そうだろう。政治的統合のために、宗教的権威者から権力の全てを取り上げ、邪魔な信仰そのものの概念を歴史的資料から全て抹消まっしょうしたそうだ


「…………抹消……」


――――目の見えない曖昧な精神的信仰などの存在を封じて、理論で説明できる科学のみを発展させた。それはやがて脳科学分野の発展を生み、当たり前のように能力者達が多数存在する世界が成立した……そうロニオスが説明していた。信仰や宗教の概念など古代文明などについての研究書にしか残されておらず理解している者はそうそういないと彼は言ってた


「確かに僕達の世界では宗教や信仰にまつわる事柄や儀式は淘汰とうたされているけど……」


――――文明の進化と統括のために、見えない世界を捨てた。


――――概念を消滅させて、信仰も宗教も現存しない


――――我々は人がその存在を信じる想念を必要としている


――――我々のような存在が生きていけない世界。それがロニオス達の文明だ。


「……そうかもしれない……僕達に確かに精霊とかたましいとかの概念はなかった。だから、理解し難いものだった。死が縁遠いものだから、転生の概念もファーレンシアから聞いて初めて知った」


――――その排除された概念を再び世界に呼び起こすことを恐れたからこそ、未成熟な文明との接触を根本こんぽんに禁じたらしいぞ


 カイルは思わず笑いを漏らした。

 文明に影響を与える直接の接触を禁じる――その法の根本は、未成熟な文明に与える影響ではなく、無機質な科学文明を揺るがしかねない概念の復活を恐れたことになる。


「僕はまさに重罪人だったわけだ。地上と接触して、見えない世界を学んでしまい、概念を掘り起こしたから」


――――その重罪人の先駆者はロニオスだったわけだが……


――――我々の世界とお前達の世界は対極に位置する


――――お前達は散々、我々の世界にいきなりやってきて好き勝手に過ごしたあげく、滅亡の回避の手助けもせずに帰還した


――――そうかと思うとふらりとまだ戻ってきた


――――遥か高みより覗くためにカラクリまで用意して、失礼極まりない


 探索機シーカーのことか、とカイルは理解した。


「えっと……探索機シーカーを壊したのは、やっぱり世界の番人なの?」


――――そうだ


「どうやって?」


――――東国イストレの文化を応用させてもらった


「それはいったい……」


――――ハエ叩き


「……………………」


 カイルは膨大な知識から、飛ぶ害虫を駆除する柄のついた網枠の道具に辿りついたが、地上から敵航空兵器などを撃墜する対空兵器の俗称としても用いられた中世の言語も検索ヒットさせてしまい、なんとも言えない気分に陥った。


 高額な探索機械シーカーが、蝿叩きをふりまわす世界の番人に害虫として叩き落とされ駆除されている光景が浮かんだ。


 状況把握としては、正しいのだが、まさに無敵の対空兵器すぎる。はっきり言って怖いの一言につきた。


 カイルは、しばらく考えこんだ。


「世界の番人」


――――なんだ?


「ロニオスの代理で、重荷を引き受ける。ただし、いくつかの条件がある」


――――条件だと?


「まず、僕の関係者のウールヴェを対象から除外してくれ」


――――だが


「わかっている。トゥーラは『選択』の代表で外せないことは……。だけど、ファーレンシアやメレ・エトゥールのウールヴェは、大災厄後の復活にはかかせない。きずながあることで『選択』による衝撃を使役者が受けることを回避するべきだろう。ミナリオやハーレイ、リル、ガルース将軍達――エルネストも隠し持っていたかな――不平等かもしれないが、僕の関係者達がきずながあることで、耐え難い心的外傷トラウマを受ける事態は避けたい」


 世界の番人はしばらく沈黙した。

 まるでカイルの指摘と提案をウールヴェ達と吟味ぎんみしているようだった。


――――わかった。彼等のウールヴェは世界に残る


「あと、確認したいことがあるんだ」


――――なんだ?

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