第18話 我が光を示される汝に栄光あれ⑤

 ミオラスは不思議な空間で、歌いながら、それらを観察した。


 見えない存在は、気配が大きいものから、小さいものまで様々だった。

 聖歌が続いていくと、見えなかったものが淡い光でゆっくりと輪郭を取り出した。


――ウールヴェだ。


 ミオラスは本能的にその正体を悟った。

 まばゆいほど光輝く輪郭りんかくのものもいれば、今にも消えそうな小さな灯火ともしびのような輪郭のものもいる。見上げるような巨大な存在もいる。

 彼らがなぜ、この空間に集合し、聖歌に耳をかたむけているのか、ミオラスには理解できなかった。


 だが、彼女は歌った。

 例え一人でも聴く者がいるなら歌う――それがミオラスの歌姫としての矜持きょうじであった。彼等は精霊であり、世界の番人の手足であり、友であり、世界を支えるいとおしい存在だ。

 彼女は全身全霊をこめて、高らかに聖歌を歌い続けた。





 古代の地下遺構の避難所に歌声は響き渡っていた。

 ミオラスの支援追跡者バックアップであるエルネストですら、仕掛人しかけにんでありながら驚いていた。

 彼女の声量に、用意していた音響装置空中スピーカーなど不要だった。

 いや、何かが力を貸しているのだろうか?プロの歌い手であるとはいえ、この広い空間全体に声を響かせるなど不可能に近い。遺構の面積の大きさと空間から計算すると――。


 自分の職業病的推察に、エルネストは苦笑し、考えることをやめた。




 終末の星は接近していたが、誰もそんなことを気に留めなくなっていた。

 歌姫の独唱によるとうとすぎる聖歌に、感動に震え、涙を流すものが多数いた。


 その聖歌の歌詞はエトゥール人なら誰でも知っている。


 子供が生まれれば祝福の歌になり、死者を弔う時は別れの歌になる。時には結婚した若い二人達の門出を祝う歌にもなった。美しく厳かな音階を誰が生み出したかは知られていないが、古代から貴族も平民も貧民も分け隔てなく口ずさむ音楽だった。


 誰かが唱和しはじめた。


 少しずつ唱和の声が増え、無伴奏の単一旋律モノフォニーが響いた。それを導いているのはミオラスだった。



――私達は夜明けに向かって歩き出す。光と平安と加護を願う。



 ああ、あの時を思い出す。

 ファーレンシアは我が子がいる腹部を優しく押さえながら、思い出していた。

 出会った頃のカイルとともに、絶望の思いと共に聖堂で兵士達の治療に奔走ほんそうした。カイルはあの時、己の無力さを嘆き、救えなかったファーレンシアにわびた。


 なんて純粋な人だろう――当時、ファーレンシアはカイルのことをそう思った。

 騒動に巻き込んだエトゥールの王族を詰ることなく、死にゆく存在に対して涙をこぼし、自分の行動を悔いるのだ。そして、自分の命をけずりながら、他者を救おうとしていた。


 ファーレンシアがカイルに対する恋心を自覚した時でもあった。


 聖堂で全てをやり尽くして、あとは死に行く者達を見送ることしかできないと覚悟を決めた時、シルビアが降臨するという奇跡が起きたのだ。

 当時、聖堂にいた人間にとって、それは間違いなく奇跡だった。


 

 考えれば、彼等との出会いと交流がなければ、今頃、大災厄は海に落ち、巨大な津波が世界を覆って滅亡の道を歩んでいたのだ。



 西の民との和議と交流、四ツ目使いとの邂逅かいこう東国イストレでの対立、和解と協力、カストの大将軍との新たな関係――彼等メレ・アイフェスはまるで切れかかっていた世界の命運を紡ぎ治しているようだった。



 世界の番人よ。今、また奇跡を求めては駄目でしょうか?



 ファーレンシアは、この場のみにくい混乱の有様を世界の番人が静かに見つめていたことをずっと感じていた。


 私達はおろかで、非力な存在です。暴力や欲望で支配する人間もいます。時には他者の命を奪い取ることも――。

でも多数の人間は、親を愛し、子供を愛し、伴侶を愛し、ささやかな幸せを理解し、精霊に感謝の祈りをささげる信仰心の厚きものたちです。


 どうか世界の存続にご慈悲を――。

 そしてこの世界を守るために力を貸している偉大な導師メレ・アイフェス達に加護を――。


 ファーレンシアは祈った。世界の番人の代弁者である彼女は、その場で誰もが求めている救済の祈りの想念をまとめあげて、祈った。

 その想いを、丁寧に折りたたみ、供物のように厳かに両手で世界の番人に差し出す。

 強大な存在にしばしの逡巡しゅんじゅんが見られたが、それを受け取った気配があった。




 その時、はるか上空に虹色のガラスにも似た透明な巨大な盾が広範囲に突然出現し、炎をまとい落ちてきた巨大な天体と衝突した。


衝撃に虹色のガラスの盾は瞬時に砕けるが、次が出現した。

砕ける。

砕ける。

砕ける。

落下を続ける燃える岩石の凶器が、虹色の盾と攻防を続けていた。虹色の防壁は、砕けると新しいものを生み出していた。


 落ちてくる凶悪な星の欠片は、虹色の透明な障壁シールドに何度もはばまれる。


「この非常識な規格外めっ!」


 それを目撃したアードゥルが上空を見上げながら、呆れたように酷評した。


「規格外に規格外って、言われたくないと何度言えばわかるのさ?!」


 カイルは次々と防御壁シールドを展開しながら、アードゥルの暴言に抗議した。

 アードゥルは怒鳴り返した。


「それはこちらの台詞だっ!上空10キロメートル付近に展開する予定だったのに、なんで上空80キロメートルの熱圏付近なんだっ!勝手に計画を変えるなっ!」

「しょうがないじゃない、ディムがいるから飛距離が伸びちゃったんだからっ!」

「飛距離は簡単に伸びるものじゃないっ!」

「え?だって簡単に伸びちゃったし…………ね?」


 同意を求めるように視線をむけてくるカイルに、ディム・トゥーラは既視感デジャブを覚えた。

 シャトルを使った同調実験で、80000キロという規格外の記録を打ち立てた二人は、翌日から関係する研究者から追い回された。この時も、カイルは「なんかディムと組んだら、できちゃった」と無責任これきわまれりな問題発言をした。

 支援追跡バックアップの有用性についての新たな研究分科会まで発足され、ディム・トゥーラは参加を強要され、巻き込まれて散々だったのだ。


――こいつ、規格外ぶりを、また俺のせいにしようとしている


「俺に同意を求めるな。それから俺のせいにするな」


 ディム・トゥーラは、冷淡に応じて全否定した。


「いやいや、ディムの影響は大きいよ?これだけ、飛距離が伸びたことで証明されているよね?」

「だから、俺に責任転嫁するな。俺は無関係だ」

「……………つれない」

「おい、支援追跡者バックアップっ!この規格外を野放しにするなっ!」

「俺の優先順位は遮蔽しゃへいなんだ。今現在この阿鼻叫喚あびきょうかんの思念波を食らったら、こいつは一発で病む」

「子守りをこちらに丸投げか?!」

「そうとも言う」


 高度読み上げの任務から解放されたミナリオは、そばで機材を片付けて撤収準備をしているクトリに、なんとも言えない表情を向けた。

 

「…………クトリ様、この人達、ふざけているんですかね?」

「いや、の会話ですよ?」

「でも、世界が大災厄で終末を迎えるか否かの修羅場しゅらばの会話に思えないんですが……?」

「まあ、確かにそうですが、面子めんつ面子めんつだけに、しょうがないと諦めてください。間違いなく非常識の規格外集団ですから」

「…………………」



 まだ3人はシリアスとは程遠い思えない会話を交わしているが、恒星間天体の落下は、カイルが展開し続ける防御壁シールドによって阻止されていた。

 はたから見ると、例えるなら雑談をしながら、敵の進軍を片手間で食い止めているような構図だった。


「規格外の能力者を理解しようと努力することは、やめた方がいいですよ?労力と精神負荷に見合ったモノは絶対に得られませんから」


 少年姿の賢者メレ・アイフェスは悟りを開いたような口調で、専属護衛に助言した。しかも、やけに説得力があった。

 クトリはカイルに声をかけた。


「カイル、僕達、撤収しますね〜」


 こちらの賢者メレ・アイフェスの態度も少々おかしい。

 天空にここを目指して巨大な星が迫っているのに、そろそろ散歩をやめて戻りますね、に近いニュアンスで避難することを宣言している。


「うん、お疲れ様、協力ありがとう。助かったよ」

「…………カイル様」

「うん、何?」


 そんなメレ・エトゥールの執務室で手伝いが終わったような挨拶はやめてください――そう、抗議する機会タイミングをミナリオはのがした。

 ミナリオは諦めて、意味深なため息をついた。


「夢中になって、帰ることを忘れないでくださいね」


 専属護衛の幼児に言い聞かせるような注意の内容に、カイル以外の全員が吹き出した。


「ちょっと、ミナリオ?!」

「カイル様、皆様、ご武運を。皆様の未来が光り輝くものでありますように」


 ミナリオは戦場での別れの儀礼の言葉を用いることにした。多分、メレ・アイフェス達の挨拶より、こちらの方がふさわしい。


「ミナリオ」


 カイルは移動装置ポータルに向かうミナリオに声をかけた。


「ありがとう。僕は君が専属護衛でよかったよ。ファーレンシアのことを安心してまかせられる」

「……………………」


 青年はいつものように人を魅了みりょうする笑顔を見せた。

 去りがたくさせるとは、相変わらずの無自覚無双の凶悪さだった。


「……………………私が胃潰瘍いかいようで倒れる前に、無事な姿を見せてください」

「それは責任重大だね」


 ミナリオの真顔の突っ込みに、カイルは笑い声をあげた。

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