第16話 我が光を示される汝に栄光あれ③

 なんと無力だろう。

 ファーレンシアは何もできない自分に打ちひしがれた。


 身重みおもな今、自分はただ守られているだけで、何もなしていない。それどころか警護に人員を羽目はめになり、明らかに足を引っ張っている。先見の力さえ失わなければ、もっとカイルの役に立てたのだ。

 メレ・エトゥールは、うつむくファーレンシアをしばし見つめ、言葉を投げた。


「カイル殿から伝言だ。『必ず帰るから、待ってて。愛している』と」

「――」


 こんな時だというのに、カイルは自分の存在を忘れずに言葉を伝えてくれる。ファーレンシアはその優しさに救われると同時にせつなくなった。彼は周囲の人間の心情に敏感で、察することに長けているが、誰が彼の計り知れない苦悩を理解できるだろうか?


「ファーレンシア、私はお前が良き伴侶を得たことに、安心した。彼は間違いなく、お前を愛してる」

「……………………」


 しばらく視線を落としていたファーレンシアは、顔をあげた。


「お兄様、今の私にできることはないでしょうか?」

「ファーレンシア?」

「カイル様の伴侶として、私にできることをしたいのです」

「ファーレンシア、今は安全を確保して確実に生き延びることが、彼に対する――」


 ファーレンシアは激しく首を振った。


「正直、泣きたい気持ちでいっぱいです。許されるなら、カイル様の元に駆けつけたい。でも、それができない。でしたら、私は『今』『この時』にできうることをしたいのです」


 ファーレンシアの翠の瞳が、正面からメレ・エトゥールをとらえていた。


「私はエル・エトゥールの名を持つものとして、カイル・メレ・アイフェスの妻として、今できることをします」

「天幕の外はいつ暴動が起こるか、わからず危険だ」

「そう思います」

「ここなら、いざという時にアドリー辺境伯が防御壁で守ってくれる」

「引きこもって安全を図ろうとする王族に誰が従いましょうか?そもそも、お兄様は引きこもるつもりはありませんわよね?今から民衆を落ち着かせるおつもりですよね?」


 セオディア・メレ・エトゥールは、妹の懇願にしばし考えこんだ。


先見さきみは?」

「何もありません」

「世界の番人ともつながれないのか?」

「はい」

「世界の番人は消えたのか?」


 セオディアの問いに今度はファーレンシアが考えこんだ。


「いえ……、いらっしゃる気配はあります」


 気配は感じることができる。

 子供を宿したことで、先見の能力が消えたと思っていたが、そうじゃない可能性があることに、ファーレンシアは気づいた。

 占者ナーヤも先見ができない状態だと聞いている。



 今、未来は均等に道が開かれている。

 滅亡か救済か。



 ではなぜ、世界の番人は沈黙を守っているのか。

 未来への助言ではなく――。


「…………お兄様……ウールヴェは何か語りましたか?」

「いや、何も」


 ファーレンシアのウールヴェも同じく沈黙を守っている。まるで、最初からしゃべれなかったように、言葉もない。

 それは、世界の番人と同じだった。


「ウールヴェは世界の番人の手足――ウールヴェもしゃべらなくなったのは、何か意味があるかもしれません」

「カイルのトゥーラはしゃべっていましたが……」


 そばに控えていたシルビアは思わず指摘した。


「そういえば、そうだったな」


 ディム・トゥーラが出現した現場にいたセオディアは、傷ついた天上の賢者メレ・アイフェスを気遣う白い狼の思念を聞き取っていた。


「だが、カイル殿のウールヴェは、知能の発達の度合いが遥かに上だ。我々のウールヴェとは違う」

「確かに」

「シルビア嬢は世界の番人と何か会話を交わせたか?」

「あの、その前に……」


 メレ・エトゥールの質問に、シルビアが片手を軽くあげた。


「私はいつまで、シルビア『嬢』とシルビア『様』なのでしょう?」

「「……………………え……」」


 シルビアの言葉が、想像の遥か明後日あさっての方向に着弾した。

 シルビアは二人の反応に少し頬を染めて、珍しくモジモジとしていた。


「この混乱のさなか、何を言いだすのかと思われるかもしれませんが……この先どうなるか、わからないこそ……確認するのは今しかないかと思いまして……」


 しどろもどろに言い訳をするシルビアの顔が次第しだいに真っ赤になっていく。


「その……略式かもしれませんが、結婚の儀も行いましたし……ね、ねやも共にしましたし……地上の風習かもしれませんが……そのもう少し……フレンドリーな呼び方でも……」

「貴方は私を『メレ・エトゥール』と呼んでいるが……」


 ぐっ、とシルビアの方が詰まった。


「そ、それは、あくまでも私達が異国の客人であるといった建前たてまえのため、外交上非礼にならないように――」

「夫婦なのに?」


 シルビアは羞恥しゅうちに負けて、顔を両手でおおった。

 かわいい――エトゥールの王族である兄妹は冷静沈着な治癒師の普段とのギャップにもだえた。


「すみません。わ、忘れてください」


 セオディア・メレ・エトゥールは、静かに恥じらっている賢者メレ・アイフェスに近づいた。


「シルビア」


 顔をおおっているシルビアの耳元で、セオディア・メレ・エトゥールは低い声で名前をささやいた。その行為は、シルビアの腰が砕けそうになる破壊力があった。

 実際、シルビアはささやき声に驚き、よろめいた。

 それを口実に、メレ・エトゥールはシルビアの身体を支えて、そのまま自然に抱きしめた。


「シルビア、エトゥール王族としてあるまじき発言を、ここだけの話として許してもらえるだろうか?」

「は、はい?」

「貴女に名を呼んでもらえるなら、大災厄襲来も悪くない――そう思ってしまった最低最悪のエトゥール王だ。名を呼んでくれるか?」

「――」


 シルビアは顔をあげたが、変わらず真っ赤だった。


「セオディア…………様?」

「様はいらない」

「……セオディア……」

「最高だ、シルビア。大災厄に立ち向かう勇気を得た」


 セオディアはシルビアのくちびるに軽い口づけをした。


 ちゃっかり、ドサクサにまぎれている――と、やりとりを見守っていたファーレンシアは思った。

 その心の突っ込みが聞こえたかのようにセオディアが振り返り、ファーレンシアはやや慌てた。


「ファーレンシア、できることをしたいと言ったな?」

「はい」

「では、エトゥールの王族として、なすべきことを共にしよう」

「…………それは?」

「民衆を説得して、動揺をしずめ、暴動を未然に防ぐ。それこそが、カイル殿が求めていた任だ」


 ファーレンシアは力強くうなずいて同意した。


「シルビア、貴方も協力してくれるか?」

「も、もちろんです」


 メレ・エトゥールはようやく抱きしめていたシルビアの身体を解放した。


「二人ともメレ・アイフェスの布地で作った例の外套がいとうを着込むように。いざという時に、あれなら革鎧かわよろいより遥かに丈夫なことは証明されている」

「わかりました」


 マリカがその言葉をきき、荷の中から3人分の外套がいとうを取り出した。メレ・エトゥールは、シルビアの分を受け取ると、彼女が袖を通せるように広げた。

 シルビアは黙って、外套を着せてもらった。メレ・エトゥールとシルビアの外套には、赤い精霊鷹の紋様が意匠として組み込まれている。

 

「シルビア」

「はい」

「正直言えば、貴女が危険な目に遭わないよう、この初代の遺構いこうである中でも一番安全な『かんりしつ』とやらに閉じ込めて、外から鍵をかけようかと思ったこともある」


 意外なことをメレ・エトゥールが言いだした。


「それは監禁と言って、私達の世界では犯罪ですが……」


 妙な突っ込みをシルビアがした。


「同じことをイーレ嬢に言われた。貴女達の世界では男女は対等であり、女性だからという理由で保護されるいわれはない、と」

「その通りです」


 シルビアはイーレが助言したことにも驚いたが、その点を認めた。


「私達の世界では、女性といえども、弱くはありません。男性に依存することなく、職をもち、生活することができます。性別による地位の差がありません。まあ。貴族も王族もいませんが……」

「そうらしいな」

「セオディア。私は貴方を支えたいのです。庇護ひごされる立場ではなく、対等に横に立つものとして。大災厄という重荷を均等に分かち合いたいのです……」


 シルビアの言葉に、セオディア・メレ・エトゥールは微笑を浮かべた。

 彼はいつものように洗練された所作で、エスコートするための手をシルビアに向かって差し出した。


「私の横の場所は永久に貴女の物だ、シルビア」


 新たな殺し文句に、シルビアは自分の脈拍数が跳ね上がったことを感じた。西の民の占者せんじゃ先見さきみは正しかった。彼の言動に完全に振り回されている。

 だが、彼の言葉を心地よいと思っている時点でシルビアに勝ち目はない。完敗なのだ。

 シルビアはその手を取った。

 


「では、始めようか。王族としてたみを導く責務を」

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