第10話 我は汝が誇りの源①

 毎日が平穏に過ぎていく。

 満たされているようでどこか退屈な日常。

 仕事と称して繰り返されるルーチン。それは単調であり、明日は変わらず訪れると思っていた。


 でも知ってしまった。

 大切なものが突然失われることがあるということに。

 その不条理は災厄そのものだ。


 当たり前の生活が、当たり前である幸福を人々は忘れてしまう。

 それを思い出させるために、災厄はあるのかもしれない。


 だが、不条理だ。

 なんの予兆もなく、絶望の大穴に突き落とされるのだ。

 そこから這い上がって見ろ、と。

 足掻いてみせろ、と。

 喪失の悲しみに耐えろ、と。

 未来の希望を想像できない今を生きろ、と。

 明日をどうしたらいいかわからない難事に立ち向かえ、と。


 どうやって?

 気力もない。

 希望もない。


 世界はそこに暮らす人々に何を求めているのだろう。





 しばし、ロニオスの思念が途絶とだえた。


「ロニオス?」


 アスク・レピオスは呼びかけた。

 返事はない。シャトルの航行距離がロニオスの思念領域から離れたのだろうか?彼が観測ステーションにいるなら、ありうることだった。


「ロニオス・ブラッドフォード?」


 アスク・レピオスは再度、呼びかけた。

 やがて、小さな笑い声が聞こえた。


「ロニオス?」


 笑いの思念が徐々に大きくなる。

 なぜだかわからないが、ロニオスは笑っていた。笑い転げているというのが正しいかもしれない。


『これは……傑作けっさくだ。いやいや、こんな選択があるとは…』

「ロニオス?」

『君の思惑は、若い世代に阻止そしされたよ、アスク・レピオス』

「は?」

『だから、君のたくらみは、ものの見事に阻止された。乗員は無事だ。シャトルも無事だ。私が手を貸さなくても、彼は見事この難題をしのいだ。素晴らしい』


 ロニオスの指摘に、アスク・レピオスは端末に飛びついて状況を確認した。


「馬鹿な!シャトル内の生体反応バイタルはなくなっているっ!」

『機械判定に依存いぞんするのは、我々の悪い癖だ。そうやって、データばかり追いかけるから、判断や想像力が退化していく。面白い証明事例だな。まあ、誰が細工したかしてしるべし、だ』

「ジェニ・ロウか?!」

『彼女以外の誰がいるというのだね?彼女はまさに君の天敵だな。笑ってしまうよ。実際、笑わせてもらった』

「馬鹿な――いや、例え乗員が生き延びていたとしても――」

『彼の選択は非常に面白いものだったよ。脱出ポットの全エネルギーを宇宙塵防御デブリ・シールドシステムに注ぎ込み回復させるなどという発想はなかなかできないだろう?若さゆえの特権かもしれないな』

「シャトルから脱出できないぞ?!」

『そうだよ。わかっていながら彼はそれを選択した。自分の役割を果たすために』


 ロニオスの口調は、どこかほこらしげだった。


「自己を犠牲にしてか?!狂っている!!」

『いやいや、狂っているのは我々の世界かもしれないよ?アスク・レピオス。私はそう考えているし、少なくとも君と私は同類だ。君も私も狂っている。――ところで、私がこちらに来た理由をもう一度言おう。私は君と昔話むかしばなしをしにきた』


 声と思念の威圧いあつが増した。


「………………昔話むかしばなし……?」

『そうだ、昔話むかしばなしだ。この惑星に来た頃の話は、昔話むかしばなしに該当する。それぐらい地上では、年月が立っている。彼等はきわめて短命で、我々と違う時間軸を過ごしている』


 ロニオスの思念に冷たさが増した。

 いや、思念ではない。実際にシャトル内の温度が急激に下がったようだ。その証拠にレピオスの吐く息が白くなっていた。

 シャトル内の温度が10℃以下になったとでも――。

 アスク・レピオスは慌てた。空調の故障か?


 空調は正常に起動しており、それにもかかわらず、内部温度はゆっくりと低下している。まるでそれはカウントダウンだった。


「何を……」

『今更、君が私のつまたる地上人の治療を拒否したことは、責める気はない。そう、治療を拒否したことは――ね。この長い年月、どうしても、君に確認したいことがあったのだよ。もちろん、君は覚えているだろう。いや、忘れたとは言わさない』


 ロニオスの声の冷たさがさらに増した。


『君は私の妻であるリヴィアの生命維持ライフ・サポート装置システムを切らなかったかね?』





 気温は完全に下がり、空気中の水蒸気が細かい氷の結晶となって壁や床に現れていく。それはゆっくりとアスク・レピオスの足元までせまってきた。てつく床の侵食は止まらない。

 シャトル内の照明が消えた。

 宇宙空間の絶対零度に近い温度にも耐えられる設備が異常をきたす。極めてありえない状況だ。しかも警報音アラームが鳴らないのだ。


 ロニオス・ブラッドフォードの声が脳裏に響く。


『君の口から聞きたい。君はリヴィアの生命維持ライフ・サポート装置システムを切ったのかね?』

「それは……それは……」

『切ったのかね?』


 追求はむ気配がなかった。


「ああ、切ったとも」


 断罪の圧に耐えかねアスク・レピオスは叫んだ。


「それの何が悪いと言うのだ?!薄汚い地上人が混血児を産むなど、我々の遺伝子に対しての冒涜ぼうとくだからだっ!!」

冒涜ぼうとく?』

忌々いまいましい。君はすっかり地上に毒されていた。目を覚まさせるためにやったことにすぎない。それを責められるいわれはない」

『だから彼女の命を奪ったと?』

「君を地上にしばける物を排除はいじょしただけだ。感謝してほしいくらいだ」

『なるほど』


 ロニオスの思念は、激昂げきこうすることなく平坦だった。


『では、もう一つ質問をしよう。私が地上人と関わりを持って、それが腹立たしい事実であろうとも、なぜたかだか50年待つことができなかったのか?彼女の寿命じゅみょうはせいぜいそれぐらいだ』

「なぜ、待つ必要があるんだ。たかだか50年と言うが、こんな下賤げせん人種じんしゅにそんな時間をかける価値はないっ!」

『君がこの世界を下賤げせんと評する理由を聞いても?』

「言わずもがなだろう!我々のような特別な存在が、こんな辺境の極めて未文化な文明になぜ恩恵おんけいを与える必要があるのだ?関わるのもけがらわしい」


 アスク・レピオスは苛立ちを隠すことをやめた。


「ここは実験場だろう?我々は実験動物の育成ケージの中で生活したりするか?しないだろう?こんな下等な生命体になぜ労力をく?君はなぜ血迷った?」

『なるほど、君の意見はよくわかった』


 姿は見えないというのに、意見を傾聴けいちょうし、あごに手をあて深い思考をする研究者の姿をアスク・レピオスは感じた。


『君と私では、根本的な思考の前提条件が違うのだな』

「……なんだって?」

『これでは、歩み寄りも、思考のすり合わせもできない。残念だ』

「どう違うと言うのだ?」

『まず君は選民主義的に我々を特別な尊貴そんきな存在と考えている』

「実際そうだろう」

『私はそう思っていない。我々など生命力を失ったむなしい老人集団だ。ほら、ここで、すでに前提の乖離かいりがひどい』

「……………………は?」

尊貴そんきな存在とは、肉体と短命に縛られ、なおエネルギッシュに生き抜く地上人だと思っている。実際、彼らは素晴らしい』


 実際にロニオスの口調は陶酔感とうすいかんに満ちあふれていた。アスク・レピオスはその言葉を呆然ときいた。


「連中のどこが尊貴そんきというんだ?!」


『逆境に立ち向かう強い意志、家族に対する愛情、失われた騎士道精神を体現するかのように社会的弱者に手を差し伸べる慈愛。真逆に強い嫉妬しっとや欲望に忠実に行動したり、時には犯罪に走り人をおとしいれる。そして、世界を見守る見えない存在を信じて祈る。この混在ぶりの中で、どれだけ膨大ぼうだいな思念エネルギーを発していることか――。アスク・レピオス、我々と彼らの決定的な差は、なんだと思う?』

「…………差?」

『生に対する執着しゅうちゃくと他者に対する情愛じょうあいだよ』


 ロニオスは静かに語る。


『死に恐怖を感じず、情を持たない我々は退化している。やがて、種全体の生存曲線はジリジリと下降してゼロになるんだ。平穏すぎて生きることに飽きてしまうんだよ』

「………………いったい何を言っているんだ?」

『君があまり、聞きたくないことだと思うのだが?』


 多分、ロニオスはにっこりと笑っている。古典遊戯ゲームで最後の最後に、手の内を明かし、相手に敗北を突きつけるときの、腹立たしい彼の癖だ。


『滅亡に瀕しているのは君が尊貴そんきと称している我々の方で、存続には、君が下賤げせんと認定している遺伝子を必要としている』

「…………何を…………何を……」


 あまりの暴論に、アスク・レピオスは激昂げきこうした。


「何を馬鹿なことを言ってる?!ふざけるな!そんな仮説理論は認めないぞ?!」

『選民主義者には認められない、耐え難い話だろうねぇ』


 ロニオスは、他人事ひとごとのような感想を述べた。

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