第6話 我は汝を支えん②

 ライアーの塚の地下拠点では、避難民達のほとんどが棒立ぼうだちで空中に浮かぶ映像に見入っていた。


 天井から聞こえていたエル・エトゥールの声は途切れ、王都の上空に出現したまぼろしのように美しい極光オーロラがおさまると、多数の流星とともにまばゆい光がよぎりはじめたのだ。その光は、途中でさらに激しく爆発発光している。たまに雷鳴に似た爆発音も響いていた。


 王都に落ちないのが不思議なほどの数の光が、天空から飛来した。空中に映し出されているその光景のリアルさに皆が息をのみ、震え上がった。言われていた災厄の規模が想像と乖離かいりしていたからだ。


 いやエトゥール王は最初から言っていたものを、勝手に過小かしょう解釈かいしゃくしていたのは自分達だ――ようやく、エトゥールの民はその真実に気づいた。


「お母さん……怖い」


 幼い子供は怯えて母親の身体にしがみつく。美しい光のカーテンが広がった後の、空が爆発する様子は不気味ぶきみであり、その落差が激しかった。


「大丈夫よ……精霊様が守ってくれるから……」


 母親は子供を強く抱きしめ、半ば自分に言い聞かせるように言った。祈りの成句を口の中で繰り返す。


「なんということだ……」

「世界の終わりか……」


 避難している民衆の大多数は、エトゥール王と精霊の姫巫女の予言通りに災厄が始まったことに呆然としていた。

 老人達は終末に等しい光景にひざまずき、精霊に、そして世界の番人に救済を祈っている。


「……このごにおよんで『精霊』か」

「それしかすがるものがないもの……」


 エルネストの幾分侮蔑ぶべつのこもった言葉に、イーレがとりなすように言った。


「私だっていのりたい気分よ。これをどうにかしようなんて、カイルはどうかしているわ」

「全くだ……」


 エルネストもその点は同意した。


「だが、いのって何になる?」

「さあ、人の力でどうにもできないことに直面したら、人の力以外の奇跡にすがるのは無理もないと思うけど?祈る――その行為で、心の平安が保たれるならいいじゃない。信仰はそうして生まれるものでしょう?少なくとも西の民はそうだったわ。そりゃ、私達のような科学力がなければ、ほとんどの自然災害なんて脅威きょういよね。その最たるものが今、こうして襲来しているのだから」

「――本当に『精霊』とか『世界の番人』とは、なんだろうな?」

「ロニオスに聞いてみたら?」

「生き残ったあかつきには、そうしよう」


 エルネストは短く息をついた。


「エルネスト様……」


 ミオラスはそっと隣に立つエルネストをうかがい見た。


「ミオラス、まだだ」


 その言葉をイーレが聞きとがめた。


「何をたくらんでいるの?」

「何も?」

「……嘘くさい……」


 エルネストはわざとらしく胸を押さえてなげいた。


「こんなに協力しているのに、理解してもらえないとは……」

「そういうところが嘘くさいのよ」

「なるほど。今後の参考にさせてもらおう」

「エルネスト様……」


 見かねたミオラスが元アドリー辺境伯をたしなめる。


「エルネスト様がイーレ様に殴られて気を失われたら、みます」

「私が彼を殴りたいって、よくわかったわね?」


 イーレはミオラスの洞察どうさつに感心してみせた。


「アードゥル様もエルネスト様を殴りたいって、よくおっしゃってましたから」

「どういうところで?」

「もったいぶって、ネタを小出しにして揶揄からかうところに」

「あらやだ、初めてアードゥルと歩み寄れそうな気がしたわ」


 イーレはわざとらしく目を丸くして、口に手をあてた。逆襲を食らい、エルネストは少し遠い目をして天井を振りあおいだ。




 

「始まった……」


 第一兵団長のクレイは王都の上空を過ぎる光をしばしながめてから、同じように空を見上げて避難の歩みを完全に止めているたみに向かって怒鳴った。


「災厄が始まった!死にたくない者は急げ!エトゥール王の警告を無視したおろかなお前達への最後の慈悲じひだ。救済の門はまもなく閉じるぞっ!!」


 はっとしたように、人々は駆け出して、待機しているクレイ達の元にやってくる。クレイは無愛想ぶあいそうあごで、地面に光輝いている円陣を示した。


「円陣に入れば、アドリーの避難地に移動できる。メレ・アイフェスの奇跡の御業みわざに感謝するといい!おろかしいお前達を救うと言ったのだからなっ!」

「……カイル様が嫌がりそうな恩着おんきせがましさですね」


 ミナリオがぼそりと言う。


「カイル様が奇跡を安売りするから、たまにを釣り上げないといけないだろう?」

「まあ、確かにカイル様は究極のお人好しですが……」

「本当になぁ……カストの大将軍ガルースも救うし……正直、あれには不満があるぞ」


 敵対していたカスト軍と対峙たいじして応戦していたのは、兵団員であり、旧友や部下が命を落とすこともあった。その積年の恨みは簡単には消えない。

 エトゥール王の慈悲じひを踏みにじり、今また国境を越え、カスト王自ら進軍しているという報もある。


――カストなどほろんでしまえ


 呪詛じゅそに似たドス黒い想いが、クレイの胸のうちに常にあった。

 その感情はミナリオにも理解できた。ミナリオも第一兵団所属だった親友を国境の小競こぜり合いで、亡くしている。


「一度、カイル様に質問したことがあるのですがね、カイル様の選択や行動の基準がわからない、と」


 ミナリオは告白した。非常に興味深い話題でクレイの方が釣られた。


「それでカイル様は、なんて答えたんだ?」






「僕の選択や行動の基準?」


 ミナリオの質問に当の本人がきょとんとした。


「ごめん。質問の意味がわからない」

「カイル様がメレ・アイフェスであるから、この世界と相容あいいれないことが多数あることは理解しているつもりです。どういう判断基準をお持ちかと……例えば殺人を忌避きひしているとか――」

「ああ、うん、僕の世界では人に危害を加えることは禁忌きんきだね」

「では、メレ・エトゥールが親族の貴族を断罪した件などは?」

「西の民の和議のために、必要だったことは理解しているし、非難するつもりはないよ」

「例えば、今後カイル様が犯罪に手を染めた貴族や平民を処断することは――」

「ああ、それは無理だね」


 予想通りの返答が来たが、理由は少々方向性が違った。


「だって、僕は外部の人間だから、権限をもたないよ」

「……えっと……権限とは?」

「地上の法律は、地上の人間に適応されるものであり、地上人ではない僕らが行使する権限がないということだよ」


 理解できずにミナリオは首をかしげた。


「つまり権限がないから犯罪者に対して、処断するつもりはないということですか?」

「僕は検察官けんさつかんではないからね」

「けんさつ……」

「ああ、えっと、犯罪を捜査して罪の重さを裁定するような存在と言えばいいのかな?エトゥールで言うと、犯罪者を捕まえるのは、兵団とか近衛兵で治安を維持しているよね。それで逮捕者の処断を下すのは地方領主か王、もしくはその代理人だ」

「まあ、そうですね」

「その地方領主の役割をする専門家集団がいる。僕達の世界では、犯罪者にも擁護ようごする立場の人間がついたりもする」


 カイルの言葉は、ミナリオの理解を越えていた。


「は?なぜ犯罪者を擁護ようごするのですか?」

罪状ざいじょう以上の量刑を課せられたりしないようにとか、無実の罪で訴追されないようにとかだよ。ぎぬを着せられた人間を救う手段とか、犯罪者の基本的人権の保護の役割がある」

「……人権……犯罪者の?人殺しや盗賊に?意味がわかりません」

「まあ、そうだろうね」


 カイルはミナリオの反応に微笑びしょうで応じた。


「でも、ミナリオ、ちょっと考えてみてよ。貧困格差や身分差があるこの世界で、貴族に利用されて尻尾切りのように簡単に殺されてしまう存在は、どのくらいいるだろうか」

「――」

「つまりアッシュみたいな職の人だよ。汚れ仕事を引き受けて、いざとなったら切り捨てられる。この世界は、犯罪者の人権以前に不平等が蔓延まんえんしている。貧困ひんこん、身分差など不平等な格差が多数ある。西の民への偏見へんけんもあるよね。そもそも、その人達はぎぬを着せられて処断されてしまう――そういう問題がこの世界にあるんじゃない?」

「まあ……あります……」


 ミナリオは渋々認めた。

 

「それをなくすための地固めの保護の法だと思ってくれていい。拷問ごうもんによる自白の防止、弱者への不当な圧力、出自の差による偏見の回避――そういうものを解決する手段だ。もっとも歴史上、そういう仕組みがあったとしても独裁者により形骸けいがい化することは多数あるけどね」

「……なんとなく意味はわかります」

「僕は基本、地上の政治とか法とかに口を出すつもりはないよ。文明は長い歴史の中でいろいろな方向に変化していくものだ。僕達がかかわることは、その成長を止めてしまうことになるから」


 ミナリオは思わず聞いた。


「……もしセオディア・メレ・エトゥールがカスト王のような暴君だったら……」

「手を貸さなかった」


 意外なことにカイルは、はっきりと言った。


「それはディム――天上のメレ・アイフェスも同じことを言ってた。偽りなく、民衆に寄り添う道を選んだ賢王でなければ、手を貸すつもりはなかったと」

「そうなると……」

「海に災厄は落ち、巨大な津波に人々は飲み込まれていただろうね」

「――」

「すごく薄情に聞こえるだろう?でも、例えば東国イストレで内乱が起きても、君達は干渉せず、東国イストレにいるエトゥールの民だけを保護するだろう。それと何も変わらない。大陸では国が乱立しているけど、僕達に言わせれば、君たちはみんな『地上人』で干渉する理由はないんだ」

「……でも、カイル様は行動なさっている」


 カイルは苦笑した。

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