第2話 我がいのち、我が信は汝に属す②

「ロニオスが酔っ払って使い物にならない場合を想定して、ディムが考えたプランだよ」

「そういう想定が必要であることが、問題だが…………いや、必要だな。内容は?」

「あらかじめ空中の防御壁シールドを展開して、早期撤退てったい。ロニオスが展開予定だった分量は諦める」

「堅実だ」

『王都周辺の防御壁シールドはギリギリまで待ってほしい』


 その言葉は、アードゥルへの注文だった。

 アードゥルは眉をひそめた。

 王都周辺の防御壁シールドは、地上組が脱出するための時間稼ぎであり、早期撤退の計画と「ギリギリまで待つ」という依頼は相反あいはんするものだった。


「理由は?」

『俺は降下して、確実にこいつの支援追跡バックアップに入りたい。ロニオスが現れずに直接の降下が無理なら、ウールヴェに同調してでも、だ。その時、防護壁シールドがウールヴェを弾くリスクを減らすためだ。こいつがいくら馬鹿でも支援追跡バックアップの俺の目の前で、許されない行動は――まさか、しないよな?』


 後半の台詞セリフは、完全にカイルに向けられていた。その思念波の威圧にカイルは蒼白になり、ガタガタ震えた。


「許されない行為とは?」

『撤収時間を見誤ることだ。こいつは前科がある』

「前科?」

『この惑星の初回同調探索時に、俺の撤収命令を無視して、心拍停止をおこして死んでいる』

「――」


 アードゥルはギョッとしたようにカイルを見た。カイルは目を泳がせた。


『その時、俺は言ったよな?同じことをしたら、支援追跡バックアップの任を辞退すると。忘れたとは言わせないぞ?』

「……覚えているよ」

『お前は誓ったよな?』

「二度としないよ、多分……」


 思念の威圧が倍増になった。


「お前は勇気あるなぁ。この状況で『多分』なんて余計な言葉を付け加えて挑発するなんて」


 アードゥルが呆れ気味に感想を述べた。


「挑発なんかしてないよっ?!ちょっと誤解を生むようなことを言わないでよっ!」

「挑発以外の何物でもないだろう」


 アードゥルの指摘に、ディム・トゥーラの威圧はさらに倍になった。衛星軌道上の定点のシャトルの中にいるはずのディム・トゥーラが、まるで真後ろで立っているような激怒の波動だった。

 カイルの背後に人食い虎が口を開けて控えている心象があった。

 カイルはなぜディム・トゥーラのウールヴェが虎姿だったのか理解できたような気がした。虎は頭がよく、知恵があり、素早く行動し、時には容赦がない――ディム・トゥーラそのものだった。

 カイルは断罪されそうな恐怖と闘いながら主張した。


「だって世の中には『絶対』なんて、存在しないじゃないかっ!僕はディムに嘘はつきたくないっ!『絶対しない』なんて嘘くさいじゃないかっ!僕はディム以外の支援追跡者は嫌なんだっ!ディムが辞退するようなことは全力で回避するに決まってる!」

『――』


 沸騰した湯が唐突に常温に戻ったかのように、周囲の威圧は消失した。


「双方、馬鹿正直の不器用か」


 ぼそりとアードゥルが呟いた。






 イーレはライアーの塚の地下拠点に設けられた避難所に待機していた。

 つくづくと原体オリジナルは頭がいいと感心をした。


 ジーンバンクの柱は完璧に擬装ぎそうしてあり、どう見ても遺跡の石柱だ。床の石材は保温材が組み込まれている。長期に滞在できるよう配慮されている。

 規則正しい間隔で、保温機能を備えたテントが設置されている。このテントもこの拠点に用意されていた備品だ。これも西の民の物に似せてある――いや、元々西の民の伝統の文様すらもエレン・アストライアーがもたらした可能性すらある。


 イーレは一番大きい天幕にファーレンシアや歌姫とともに滞在していた。ハーレイや他のエトゥールの第一兵団は、ともに右往左往する民衆に指示を与えているのだが、まだ平穏だった。


 まだ――。


 拠点の安全は、大災厄前後の民衆の動揺をどれだけ抑え込めるかにかかっている。


「大丈夫だ、イーレ」


 イーレの不安を読み取ったように、エルネストは言った。彼は歌姫のそばで、のんびりとくつろいでいる。


「これだから精神感応者は嫌いよ。勝手に人の心を察して」

「私は君の原体オリジナル支援追跡者バックアップだったから、君の動揺の癖がよくわかるんだよ」

「どんな癖よ?」

「自分の手をぎゅっと強く握りしめる。表情が硬くなる。外をじっと見つめる――」

「もう、結構よ」

「きいたくせに」


 エルネストは小さな笑いを漏らす。


「貴方って本当に性格悪いわね。その性格の悪さ、治した方がいいんじゃない?」


 笑われてイーレはむっと反応した。


「どこが悪いというのかな?単に君を愛してやまないだけだが?」

「――」

「アドリー辺境伯、夫の前で堂々と妻を口説くどくのはやめてもらいたいものだが?」


 やんわりと若長のハーレイがイーレに対して助け舟を出す。


口説くどいているのではなく、昔の同僚に対しての親愛の情を示しているだけだ」

「イーレがそういう直接的表現を苦手としているのに、からかっているだろう。それがメレ・アイフェス風冗句と言うなら仕方がない面があるが、そろそろ長棍ちょうこんが飛ぶ」


 そう言って、ハーレイはさりげなく、イーレの長棍ちょうこんを彼女の手が届く範囲から遠ざけ、武器を探るイーレの手は空を切った。


「ハーレイっ!どっちの味方よっ?!」

「基本、イーレだが、暴れる妻をなだめるのも夫の務めだろう?」

「確かになだめるのが上手いな」


 エルネストが感心をする。


「慣れだ。さて――」


 ハーレイはイーレににらまれて話題の転換を図った。


「実際、今の様子だとこの避難地の暴動の危険性は高いが、どうすればいいか?アドリー辺境伯に何か策は?」

「いくつかある」

「聞かせてもらいたい」

「暴力で暴動を鎮圧ちんあつするのは西の民がいるから簡単だが、双方ともに遺恨いこんを残すことになる。それはカイル・リードに釘を刺されている」

「あの子も馬鹿じゃないのね……」

「いや、馬鹿だと思うぞ?」


 イーレのつぶやきに、エルネストは思いっきり否定した。


「その馬鹿につきあわされているアードゥルに今回ばかり同情する。まあ、アードゥルは昔から小動物に弱かった」

「小動物?人間には冷たくて小動物には優しいと言うの?」

「たまに衰弱すいじゃくした子猫とかを拾って、世話をしてました」


 ミオラスがアードゥルをかばうように言いえた。


「私を殺そうとした人でなしと同一人物の話だとは思えないわ。だいたいカイルが小動物?」

「ほとんどの人間を魅了して振り回すと凶悪さは、子猫か子犬並みだと思うが?」


 その場にいた全員が納得しかけ、ファーレンシアだけがうれいの溜息をついた。


「ファーレンシア様、カイル様が愛らしい子犬扱いされるのは嫌ですか?」


 そばにいたリルが不思議そうに尋ねる。


みょうなんですが、でるライバルが増えそうで……。しかも本人は魅了している事実に気づかないですし……」

「ああ、なるほど。サイラス目当てに店にくる女性客に私がヤキモキして本人に自覚がないような状況ですね」

「それこそ、みょうです」

「カイルをでる物好ものずきは、姫様ぐらいです」


 イーレの言葉に、ファーレンシアは顔を赤らめる。


「カイルが周囲を魅了する小動物説は保留にして、具体策を聞かせてもらおうか」


 若長のさらなる追求にエルネストは不敵ふてきな笑みを浮かべた。


「どうして人は不安になると思う?」

「まるで占者せんじゃ禅問答ぜんもんどうのような問いだな。――そうだな、恐怖や未来の不透明さ、立場の不安定さ、安心感の欠如、しいたげられる弱者的経験の記憶、心身の不健康ってとこか?」

「悪くない回答だ。それらを払拭ふっしょくする手段の一つは強者の庇護ひごだ。今までのエトゥール王や賢者の守護下にいた状況がそれにあたる」

「ふむ」

「それがなくなる未来が迫っていて、人々が不安になっている。王都が消失する――その事実をまだ受け入れることができていない。つまりは覚悟ができていない。だから手っ取り早く現実を受け入れてもらう状況を作ればいい」

「いったい……」

「見せればいいだけだ。実際に地上に迫りくる恒星間天体がエトゥールを滅ぼす様を」


 皆が唖然としてエルネストを見つめた。


「その有様は衝撃的しょうげきてきすぎて、暴動を起こす気力すら奪うだろう」


 初代の賢者メレ・アイフェスは冷酷に言い放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る