第37話 閑話:拠点の思い出①

「エレン、顔色が悪い」


 アードゥルは拠点に戻って再会した伴侶の憔悴しょうすいぶりに唖然とした。

 いったい何があったのだろう。


 アードゥルの妻でもあるエレン・アストライアーは身体が丈夫というわけではない。むしろ標準的に言うと虚弱きょじゃくな部類に入るだろう。それは彼女の繊細な精神感応能力テレパスのせいでもあったし、彼女自身の食の細さと体力のなさにも起因していた。

 彼女の顔色は、体内チップの調整があるにもかかわらず、すこぶる悪かった。


「どうした?地上の未知の風邪か?すぐに中央セントラルに戻って治療を――」

「そうではないの。心配をかけてごめんなさい」


 エレンはアードゥルの頬にキスをした。それは、アードゥルが帰宅したときの欠かすことがない儀式に近い。

 エレンは赤い瞳でアードゥルを見つめ、暗に『ハグして』と求めてきて、アードゥルは愛する伴侶の望みをすぐにかなえた。エレンはさびしがりやでもあり、スキンシップを求めて甘えてくることが多かった。


「――いったい?」

「ロニオスの子供の夜泣きが酷いの。ジェニもこんな感じよ」


 夜泣き――聞き慣れない言葉にアードゥルは検索をかけた。中央セントラルでは死語しごに近い言い回しフレーズで「乳児が眠らないでぐずり、泣き続ける状態」という答えを得た。


「防音室があるだろう?」


 夜泣きの何が問題なのか?

 地上人が出入りする地上部には、いろいろと細工が多数ある。多分エレンが言う「子供」とは、最近生まれたはずのロニオスと地上人の間にできた三番目の子供のことだと、アードゥルは理解した。だが、アードゥル自身は調査研究のため遠征えんせいしていたため、まだ面会はしていない。


 その赤子の夜泣きと彼女の憔悴しょうすい因果いんが関係がわからなかった。

 エレンはアードゥルの無理解に失望したかのように首を振った。


「防音の問題じゃないの。今、ロニオスが不在で、こんなことになるとは思わなかったわ」

「どういう意味だ」


 エレンは迷ったようだったが、アードゥルを案内することに決めたようだ。アードゥルは地下拠点ではなく、地上部に設けられた偽装地区に案内された。

 地上にでたとたん、アードゥルの鋭い感覚は、大きな違和感をとらえた。

 

「頭と耳が痛い」

「みんな、そうよ」

「なんだ、この発振現象ハウリングは。どこかの機械が深刻なエラーを起こしているんじゃないか?なぜ修理しないんだ?」

「ロニオスの子供よ」

「なんだって?」


 部屋に入るとジェニ・ロウがやはり憔悴しょうすいした表情で、大声で泣き叫ぶ赤子を抱いていた。


「ジェニ」

「ああ、天の助けが来たわ。お願い、アードゥル。この子を遮蔽しゃへいしてあげて」

「なんだって?」


 わけもわからず、求めに応じると不快感は消失し、同時に赤子は泣き止んだ。

 アードゥルは驚いてジェニの手の中の赤子を見た。この赤ん坊が発振現象ハウリングの発生元だったのか?

 金髪と金色の瞳を持つ赤ん坊は、今までの癇癪かんしゃくがなかったかのように、無邪気に笑みを見せている。金色の髪と瞳は、父親と同じだった。


「これが最近生まれたロニオスの子供なのか。彼にそっくりだ。ところでジェニ、いったい何が――」

「アードゥル、重要な命令をするわ」

「な、なんだろう?」


 ジェニ・ロウの表情は鬼気迫ききせまる物があった。


「まずは手を出して」

「うん?」


 アードゥルは片手を出した。


「両手」

「言ってくれないと」

「今から繊細せんさいなガラス細工のようなものを渡すから、落とさないでね?」

「うん?」

「はい」


 アードゥルが理解するより前に、赤子はアードゥルに手渡された。  


「?!!?!?!」

「そのまま抱いて、遮蔽しゃへいを続けて1時間ほどお願いよ」

「ジェニ?!」

「私達はクタクタなのよ。貴方の遮蔽しゃへいだけが頼り。お願い。助けて」

「アードゥル、お願いよ」


 エレンまですがるようなひとみ懇願こんがんしてきた。


「そっちのリクライニングソファーを使っていいわ。私達もこの部屋にいるから」

「1時間預かってどうするんだ?」

「1時間、この子が泣かないなら、それは奇跡よ。でもその1時間が私達には必要なの」

「1時間で何をするんだ?」

「古代時代から、赤子を育てる女性達が、皆、あこがれてほっしたものよ。男性の理解が得られにくく、悲嘆にくれる女性が多かったと。離縁の理由の一つにもなったという歴史的事実があるのよ」


 途中、妻帯者さいたいしゃであるアードゥルには不吉な言葉が混じっていた。離婚の理由にもなるほど、ほっするものとはいったいなんだ?! 


「それは、いったい……?」

「邪魔をされない睡眠すいみんよ」

「は?」


 アードゥルが追及する前に、ジェニはくずれ落ちるようにソファーに横たわり、瞬時に眠りにおちた。

 振り返ると同様にエレンも別のソファーを陣取じんどって、眠りに落ちている。

 この部屋に、密かに睡眠用ガスが散布されたのか、とアードゥルが疑うレベルだった。

 だが、そんなことより重大な問題がアードゥルの前に立ちふさがっていた。

 

「…………をどうしたらいいんだ……」


 アードゥルは赤子あかごを抱いたまま、硬直したように途方とほうにくれた。






 繊細なガラス細工のようなもの――ジェニは矛盾むじゅんしているとアードゥルは思った。

 そんな繊細なものを、なぜ粗忽そこつな男にゆだねるか、という最大の問題点を完全に無視していることだ。


 小さい。

 軽い。

 華奢きゃしゃ


 アードゥルはあせをダラダラとかき始めた。

 ジェニは大きく間違っている。「繊細なガラス細工のもの」ではなく、「繊細なガラス細工取り扱い注意のもの」が正しい。


 赤子は、じっとアードゥルを見つめて、何が楽しいのかキャッキャッと、はしゃぎ始めていた。


 頼みのつなであるエレンはジェニ同様に爆睡ばくすいしている。

 リクエストの1時間ほど遮蔽しゃへいを維持することは、お茶の子さいさいだが、この壊れ物に触れている自信は皆無かいむだった。


「そうだ、エルネストがいるっ!」


 乳児を抱いたまま、思念波で検索スクリーンを展開する。

 エレンの支援追跡者バックアップで始終彼女の側にいるはずのうざったい男の所在地を検索する。彼なら何らかの事情と対処法を知っているはずだ。

 エルネストの現在位置を確認したアードゥルは失望のあまりうめいた。


 あろうことか、エルネストはロニオス・ブラッドフォードと共に、中央セントラルに一時帰還している。



――この役立たずめっっっっ!!!



 アードゥルは心の中でエルネストを罵倒ばとうした。

 アードゥルは赤子を抱きかかえたまま、よろよろとジェニ・ロウが指定したソファーに腰をおろすしかなかった。

 なぜか元凶の本人はアードゥルの腕の中で上機嫌だった。


 しばらく呆然としていたアードゥルは、部屋に古風な作りの木製の囲い台があることに気づいた。中に柔らかな毛布が敷き詰められている。アードゥルはそれが赤ん坊のための簡易寝台ベッドであることを察した。


 そろそろと立ち上がり、静かに移動して、腕の中の乳児をその中に下ろそうとする。


 だが、赤子あかごの方が上手うわてだった。


 本能的に放置されると悟ったのか、ブルブルと震えると涙目になり、盛大に不満を訴えようと構えた。

 アードゥルは慌てて、腕の中に抱き戻して、癇癪かんしゃくを起こされるという事故を未然に防いだ。赤子あかごの機嫌はみるみるうちに回復した。


 何度かチャレンジしてみたが、全て看破かんぱされ、アードゥルは白旗しろはたをあげた。抱いていれば、機嫌がいいのだ。疲れ切ったエレン達を起こすリスクは回避するべきだった。


 遮蔽しゃへいはどうだろう。

 職業病のように、ほとんど反応実験の追求になっていたが、アードゥル本人は気づいていなかった。


 遮蔽しゃへいを薄くすると、愚図ぐずり出す。遮蔽しゃへいを厚くすると機嫌がよくなる。典型的な精神感応者テレパシストの反応だった。


 アードゥルは唖然あぜんとしたが、ロニオス・ブラッドフォードの子供なら遺伝確率的に能力者であることは当たり前だ、という事実に気づいた。規格外の子供は、やっぱり規格外なのだ。


 まあ、ロニオスなら何らかの対処をすぐ行うに違いない。


 この子供が「夜泣きが酷い」という状態に陥り、周囲に発振現象ハウリングをまき散らしていたのは、不特定多数の思念を拾っていたためではないだろうか。多数の雑音が大音響で聞こえてくれば、確かに恐怖かもしれない。

 それを訴える行為が、さらに周囲の人間を悩ます。悩んでいる不安に満ちた思念を拾い、訴える。

 究極きゅうきょく悪循環あくじゅんかんだった。



 アードゥルは1時間という時間が簡単に過ぎていたことに気づかなかった。

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