第31話 カウントダウン⑩

 カイルはそう言って説明用に開封したアンプルを、どちらかに飲むようにすすめた。


「私が飲みます」


 ダナティエは躊躇ちゅうちょなく、カイルの手からアンプルを受け取ると、ガルースが止めるまもなく、飲み干した。カイルはその行為が毒味どくみ役も兼ねていると気づいた。不在の父親に変わり、ガルース将軍を護る――見上げた根性こんじょうだった。


 カイルはからの容器を受け取ると、地面に無造作むぞうさほうった。

 空のアンプル容器が軽い音をたてて地面に触れたとたん、容器の外形の腐食が始まり1分もしないうちに砂になってしまう。

 地面にはかすかな砂粒が見えるだけで、容器は消失していた。ガルースとダナティエは、目をみはった。


「一度開封した容器は、土壌成分に触れると、分解する仕組みなんだよ」

「「どういう仕組みで?!」」

「これはね、土壌にある大量の微生物と 反応して――」


 馬鹿正直に説明しようとするカイルの頭を、アードゥルは背後から拳骨げんこつで容赦なく殴った。

 痛みにカイルは頭を抱え込みながら、しゃがんで耐えた。


「メレ・アイフェスの技術だ。忘れろ」


 アードゥルは説明を中断させ、カスト人の二人ににそっけなく言った。


「ふむ」


 ガルースは地面の砂粒に指で触れて、容器が消失したことを実際に確認していた。未知の技術でも自分で確認しないと気が済まない性格のようだった。


 ダナティエは物怖ものおじせず、アードゥルの腕をつかせまった。無礼ぶれいさを越えて、その行為は馬の絵を得るまで逃すまいとカイルを捕獲したガルース将軍にどこか似ていた。

 意外にもアードゥルは激怒しなかった。


「原理はあきらめます。取り扱いのため、確認したい注意事項がいくつか」

「…………なんだ?」

「もし泥だらけの手で触れたら?」

「開封前なら大丈夫だが、開封と同時に容器が腐食して傷薬を手に浴びることになる」

「なるほど。容器の耐久度は?ガラスみたいに割れますか?」

「割れない」

「再利用時に地面にふれたり、泥だらけの手はダメ、と。丈夫。容器に口をつけたらどうなります?」

「なんだって?」

「汚いものにふれたら分解するということかな、って。口の中もきたない場合、ありますよね?」

「――」


 アードゥルはダナティエを見つめた。


「…………頭の回転が速いな」

「わーい、メレ・アイフェスに褒められた」


 ダナティエは手を叩いて喜んだ。


「……なぜ喜ぶ?」

叡智えいちつかさど賢者メレ・アイフェスに褒められたら、嬉しいのは当たり前です」


 すごい、あのアードゥルを翻弄ほんろうしている――カイルが感心したとたん、カイルはアードゥルに頭を再び叩かれた。

 筒抜つつぬけだった。


「簡単に言うと、土の汚さと口の汚さは種類が違う。容器の再利用で水を飲むために口をつけても劣化はしない。だが時間が経てば、水は雑菌が繁殖して腐るぞ?」

「飲料水とするときは、煮沸にふつしろ、ってことですね?」

「そうだ」

「あと、もう一つ、ガラスではないのは容器の重量のせいだと推察すいさつしますけど、あえてこんな高価なものを使い捨てにするのは、なぜですか?」

「………………」


 アードゥルは、目を輝かせて尋ねる少女を見つめ、視線をそらし、ため息をついた。

 歌姫といい、もしやアードゥルは探究心たんきゅうしん旺盛おうせいなタイプに弱いのでは――と、カイルが訝しんだとたん、またもや後頭部を叩かれた。


「我々にとっては高価じゃなく、安価でいくらでも作り出せる利便性りべんせいの高いものだ。だからこそ地上に痕跡こんせきを残すわけには、いかない」

「なるほど。よくわかりました」


 ダナティエはブツブツとつぶやいて、何事か検討しているようだった。研究者向きの好奇心の強さに、カイルは感心した。


「ガルース将軍、カウントダウンを忘れないでくださいよ?必ずエトゥールから離れるように」

「0になれば、空から星が降ってくる、だったな」

「一つ目の異変は、空が異様に激しく輝く。流れ星が多数生まれて、昼間でも見えるはず。そこから2回目のカウントダウンが始まるから」

「2回目?」

「およそ、その3時間後にエトゥールは消滅するんだ」


 ガルース将軍は黙った。


「一応被害範囲は、例の赤いはただけど、ズレる場合もあるので、必ずエトゥールの国外に避難して。申し訳ないけど、侵攻しんこうしているカスト軍は全滅する」


 カイルは感情を込めないよう、淡々と告げた。

 大量の人間が死ぬとわかっていても、何もできないし、するつもりもなかった。カスト人のこの二人に非道とか鬼畜だとののしられることも覚悟していた。

 だが、罵声ばせいはあがらなかった。それをカイルは不思議に思った。

 老将軍はカイルをじっと見つめていた。それから静かに語りだした。


「アドリーで私達のテントに姫とメレ・アイフェス達がきてな」

「え?」

「あのディヴィの武器の所持を見抜いた千里眼せんりがんの少年のメレ・アイフェスと西の民の若長夫婦と一緒に」


 ファーレンシアとクトリとイーレ夫婦が、カストの避難民キャンプのガルース将軍を訪問した――それはカイルにとって初耳だった。もしかしたら、第一兵団と被害境界線の村々を巡回して不在だった時の話かもしれない。


「千里眼を持つ少年が動く絵を見せてくれた。今までとは比べ物にならないほど大きな星が落ちてくる『想像の動く絵』だと言うものを見たぞ」

「――」

「それに加えて、若長の妻がわかりやすく説明してくれた。星が海に落ちると、恐ろしいことになると。丘よりも高い波が大地を襲い、大陸の半分が水につかり、海では新たな火の山が生まれ、噴煙ふんえんが陽をさえぎる。やがて全てが凍りつく時代がくると」


 はあ、っとガルースは大きなため息をついた。


「実際に星が落ちる光景を見てなければ、眉唾まゆつばな話だと笑い飛ばしていたことだろう。だが、空から星は落ちてきた。導師の警告に嘘はないことは、散々思い知った。世界は滅ぶ――それをメレ・エトゥールとメレ・アイフェス達は、変えようとしていると姫は説明してくれた」

「ファーレンシアがそんなことを……?」

「君の重荷を少しでも減らしたいそうだ」




 カイルは泣きたくなった。

 前にもそんな感情を抱いたことがあった。あれは、自分の助言が引き起こした戦争の結果として、聖堂で死を待つ人々を前にした時のことだ。


――俺はお前の支援追跡バックアップをする。お前がここに戻るまで


 ディム・トゥーラの言葉に救われた時と同じだ。


 一人ではない。

 ファーレンシアがいる。

 ディム・トゥーラがいる。

 シルビアやイーレ、クトリや初代達がいる。


 今、自分は一人ではないのだ。




「本当に世界を救うために、星をエトゥールに落とすのか?」

「……うん」

「美しい王都だった」

「……僕もそう思う」

「あれがなくなるのか……」

「……うん」

「カスト軍のことは、気にしなくていい。我々の問題だし、かなりの平民兵士は救えている。むしろそのことに感謝している。この恩は将来必ず返そう」


 カイル少し視線を落としてから、ガルース将軍と副官の娘を金色の瞳で見つめた。


「貴方の未来が光り輝くものでありますように」


 それは聖句だった。異教の祝福をガルースは激高することなく、受け入れた。そして驚いたことにカイルに同じ言葉を投げた。


「君の未来が光り輝くものでありますように――。導師メレ・アイフェスよ、君は私が人生で会った二番目の知恵者だ。出会えたことを光栄に思う」

「……ありがとう」

「ちなみに一番目はセオディア・メレ・エトゥールだ」


 意外なことをカストの大将軍は言った。


 カイルとアードゥルは、ウールヴェの背にまたがると、将軍達に見送られながら跳躍ちょうやくをした。





「カイル様……」

「泣かないで、ファーレンシア。お腹の子に障るよ」

「は、はい」


 それでも、ファーレンシアは別れの寂しさから、ポロポロと涙をこぼした。これからファーレンシア達は、ライアーの塚の地下拠点に避難して、大災厄が終わるまで待機することになっていた。


「ファーレンシア」

「ご、ごめんなさい。でも、でも――」


 カイルは微笑んだ。


 彼女が愛しくてたまらない。

 人生の中で、ほんのわずかな時間しか共に過ごしていないが、こんなにも自分を愛してくれて、自分も愛することができる存在に出会えるなんて奇跡に等しい。

 カイルはファーレンシアを抱きしめた。

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