第32話 カウントダウン⑪
「私が
ファーレンシアはカイルの腕の中で、まだ泣いていた。
ファーレンシアの
この時期の先見の光景は
シルビアは地上の出産の危険性をカイルに教え込んだ。
地上では、出産で妊婦が死ぬ可能性は高かった。原始的な出産は、妊婦の出血多量死や
ファーレンシアはまだ王族だったから、見守る侍女達やシルビアが健康管理できたが、一般の妊婦達はいったいどうしているのか、とカイルは
「ファーレンシア、
「でも……」
「ナーヤお婆様も
最近、カイルがナーヤを尋ねると、老婆は沈黙を守るではなくこう言ったのだ。
「何も見えんよ、何もな」
茶を
「ここまで、何も見えないとは、あたしゃ、引退だね」
「何を言ってるのさ、お婆様」
「もしかしたら、世界の番人も見えてないだろうさ」
「……そんなこと、あるの?」
「さあな……そもそもこんな災厄は過去になかったのは確かだ」
「そう……だね……」
「
改まったようにナーヤは言った。
「お前は、望む通り選択すればいい」
「それは……先見?」
「さあな」
望む通り選択する――それは、理想的な話に聞こえるが、怖いことでもあった。
ナーヤが先見ができないことも気になった。
進行軌道上の旧ステーションが恒星間天体の半分を消滅させる。残りの観測ステーションは、爆発の余波を避けるために、惑星の反対側の安全地帯に移動している。
3時間後に飛来するもう一つの欠片には、精製した爆薬を乗せたシャトルをぶつけ、軌道を海から大陸の中央に変える――それに何の問題もないはずだった。なのにナーヤが先見をできないとは何故だろうか?
こうしてカイル達が
海への落下を防ぎ、大津波を回避できた次の課題はいかに、地上の消滅面積の軽減だった。そこに大きく影響するのは、恒星間天体の落下速度だった。
速度を落とすことは、地上組の働きにかかっていた。
上空に
ロニオスとアードゥルの規格外の能力が要になる。
訓練を重ねたとはいえ、カイルはまだ、彼等ほど正確なコントロールを習得できていなかった。
カイルは不安を抱きしめているファーレンシアに投影しないように心がけた。
「ファーレンシア、愛しているよ」
カイルはファーレンシアの耳元で優しく囁いた。
ファーレンシアは、驚いたように一瞬で泣きやんだ。その驚いた顔が、また
「カ、カイル様?」
「僕は、君と出会えてよかった。君が愛しくてたまらない。だから、泣かないで。君と歩む未来のことを語りたい」
「カイル様?」
「大災厄が終わったら、
カイルは少し離れたところにいる侍女のマリカを見た。
「マリカもいるしね」
カイルはファーレンシアに笑ってみせた。
大災厄の話題を
万が一の時のため、セオディアとカイルは今後の指示を書き記し、シルビアに
それでもファーレンシアは不安そうな顔をして、カイルの腕をつかんでいた。カイルはファーレンシアの頭を
「ファーレンシア」
「はい」
「実は、僕にとって、今重大な問題があって、頭を悩ませているんだけど」
「な、なんでしょうか?」
ファーレンシアは緊張した
「…………生まれてくる子供の名前をどうしよう?」
「………………はい?」
「生まれてくるまでの楽しみとして、性別をシルビアに聞いていないんだよね。エトゥール人の名前の付け方とか、王族にふさわしい名前の付け方とか僕には全然知識がなくて、非常に困っているんだ」
メレ・アイフェスの真剣な顔と意外すぎる悩みに、聞いていた周囲の人間はポカンとした。やがて皆の緊張がほぐれて、笑いが漏れた。
「確かにそこら辺は、異郷の方には難しいかもしれませんね」
ミナリオがカイルの言葉に同意した。ミナリオはカイルの
「でしょ?僕はずっと悩んでいるんだ」
「メレ・エトゥールに候補を考えてもらうとかいかがでしょう」
「メレ・エトゥールに?協力してくれるかな?」
ミナリオの意見にカイルは首を傾げて、ファーレンシアを伺い見た。ファーレンシアは頷いてみせた。
「協力してくれるでしょう。将来の兄の子供と名前の候補がかぶるのも問題です。シルビア様の意見も必要です」
ファーレンシアの言葉が飛び火のように向けられ、シルビアをぎょっとさせた。
「ファーレンシア様?」
「シルビア様のつけたい名前もあるでしょうし、これは重要なことです」
「ちょ、ちょっと待ってください。どうして私のつけたい名前とかいう話題になるんでしょうか?」
「兄とシルビア様の子供の話だからです」
ファーレンシアが当然のように言い、言われたシルビアの方が顔を真っ赤にさせた。
「私達の子供はまだ先の話ですし――」
「でも人数は、私より多いですよね?」
「ファーレンシア様っ!!」
シルビアが慌てたように、ファーレンシアの口をふさぐ。
幸いなことに、セオデイア・メレ・エトゥールはこの場にいなかったが、「ナーヤ婆の恋占い」を知らない人間には不思議な会話に聞こえたことだろう。「子供の人数が姫より多い」とはどういう意味だろうかと、皆、首を傾げていた。
事情に通じているマリカが「そういえば子供部屋が足りるかしら」と呟き、シルビアをさらに慌てさせた。
「ア、アイリ、先に行きましょうっ!カイル、本番中に何かあったら、すぐに呼んでくださいっ!」
顔を真っ赤にしたシルビアは逃げるように
「……逃げた」
「……逃げましたね」
二人は顔を見合わせて、小さく笑った。
やっとファーレンシアに笑顔が戻った、とカイルは安堵した。
カイルは、ファーレンシアに近づくと、そっと口づけを落とした。
「僕を待っている間、名前の候補を考えておいて」
「……はい……」
「ファーレンシア、またあとで」
「…………はい、待ってます。待ってますから、無茶はなさらないで」
「うん」
カイルはファーレンシアとマリカが名残りおしそうに
「それではカイル様」
「うん、くれぐれも無茶はしないで、確実に避難してね」
「それはこちらの台詞です」
「まったくですな」
ミナリオの言葉にクレイが同意の突っ込みをいれる。彼等はギリギリまで、王都内の避難民の誘導を王城そばの門前で行うことを受け持っていた。
ミナリオと第一兵団のクレイはそれを見とどめると城門に向かった。
残されたカイルは二人を見送り、空を見上げた。
大災厄まで24時間を切っていた。
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