第28話 カウントダウン⑦

 末恐すえおそろしい……。


 そもそも与えたウールヴェの幼体が、もう猫型に変化していることにカイルは驚いた。

 なぜ副官ディヴィの娘ダナティエのウールヴェが猫型になるのだろう。ガルース将軍が馬型を欲したように、ダナティエは猫型を望んだのだろうか?

 ディム・トゥーラの幼体が虎になったように、幼体の成長はどこかに法則性がありそうだっだが、その法則がカイルにはわからなかった。

 一度、あの娘と話し合う必要がある――カイルはそう思った。


 猫のウールヴェは無駄な会話をする大人達の注意をひくように、何回も鳴いた。その鳴き方は、人を魅了する愛らしい猫そのもので尻尾が二股ふたまたでなければ、完璧な擬態ぎたいだった。

 カイルはひざをつくと、猫の首輪につけられている通信筒から紙を引き抜いた。見覚えあるガルース将軍の筆跡による短文だったが、内容の深刻さは十分伝わった。


『カスト王 軍を率いて越境えっきょう


「なんだ?」

「カストが侵攻してきた。王、自ら軍を率いて」

「ほう、メレ・エトゥールの予想通りの展開だな」


 カストの祖と遺恨いこんのあるアードゥルは、満足そうにわらった。





 セオディア・メレ・エトゥールは妹姫の先見に頼ることなく、カストの侵攻を予想していた。


「エトゥールの予言を信じることができないカスト王と聖職者達は侵攻してくるだろう。そうすることでしか、地位や教義を維持できないからだ。おそらく、国境近くの村から略奪りゃくだつ・放火を行う。彼等は無人の村の略奪と放火に時間をとられる。そして例のを越える。我々は放置してそれを待てばいい」


 セオディア・メレ・エトゥールは言い切り、どこか楽しげでもあった。


「村人もいない。国境警備兵もいない。掠奪りゃくだつする物資もない。彼等の困惑ぶりを想像すると楽しくて仕方がない」

「予定通り星が降らなかったらどうするの?」

「それは困った。メレ・エトゥールとメレ・アイフェスの権威けんいが地に堕ちる」

「茶化さないでよ」

「エトゥールに堕ちなければ、巨大な海の波が大地を払うのだろう?」


 カイルは背筋がぞくりとした。

 メレ・エトゥールは単純に星の落下をとらえているわけではなかった。カイルがあえて考えないようにしている点まで見据えているのだ。


「アドリーの高台と西の地に多く疎開させているのはそれもあってのことだ。どのみちエトゥール周辺は廃墟になる。カスト軍と王は消滅し、あとの処理はガルース将軍達にまかせればいい」

「大量の人死ひとじにがでる」

「もちろん。それが戦争だし、災厄だ」

「でも――」

「それを減らすことに心を砕くのは、エトゥールではなく、ガルース将軍達だ。そうではないか?」


 カイルは黙るしかなかった。




 今頃、ガルース将軍達は、カストの侵攻軍の中で、噂を流すことで恐怖をあおり、脱走兵の増産に励んでいることだろう。彼等は徴兵ちょうへいされた平民兵を導き、大災厄から救出する道を選んでいる。


 まあ、侵攻を伝達してくれることで、ある程度の友好関係をメレ・エトゥールと維持する決意はみてとれる。正直に言えば、今のカイル達には、敵国であるカストの民の安否あんぴなど構っている余裕などなく、それは将軍達には伝えてあり、彼等は了承していた。


 カイルは通信文をそばに控えていたミナリオに渡した。ミナリオは言葉がなくても全て察したようにメレ・エトゥールへ伝達しに走った。

 カイルは猫型のウールヴェに話しかけた。


「荷物を運べるぐらい大きくなれるかい?」


 猫は山猫のように大型になった。


『シルビア、予備の傷薬があったよね。ガルース将軍達に送りたい。中庭に持ってきてくれる』

『わかりました』


 カイルの思念に対して、すぐに返答があった。

 シルビアは最近、不得意なはずの精神感応を使いこなしていた。これが彼女自身の能力の開花なのか、ウールヴェの補助なのか、これまたカイルにはわからなかった。


 アードゥルが使いのウールヴェの変化に眉をひそめた。


「何をしているんだ?」

「ガルース将軍達に傷薬を送っておこうと思って」

「はあ?!」


 アードゥルは驚きの声をあげた。


「敵に塩を送ってどうする?!どこまでお人好しなんだっ!」

「正しくは敵の敵に塩を送っているんだよ。いや、ロニオス流に言うと酒かな……?」

「ロニオスの酒は命と同義語だぞ?」

「……それは初耳だなあ。アル中の価値観は理解できないよ」

「それは同意する」


 アードゥルはカイルの困惑に理解を示した。


「お人好ひとよしというけど、ガルース将軍がカスト王と対立してくれるなら、エトゥールの復興ふっこうをする身としては有り難いことだよ。このままカストを将軍が統治してくれないかなぁ」


 カイルは軽口をたたきながら、アードゥルを伺い見た。アードゥルは表情を消し去っていたが、まだ激情が渦巻うずまいているのが見てとれた。そしてアードゥルの遮蔽しゃへいゆるんでいた。



 ロニオスの伴侶が死ななければ――。

 ロニオスが失踪しっそうしなければ――。

 エレン・アストライアーに協力していれば――。



 アードゥルがずっと抱いてきた過去の分岐点に対する激しい後悔が、カイルに心象として流れ込んできた。

 カイルは視線を落とした。


「アードゥル、過去は変えられないのだから、貴方はもう解放されていいと思う」

「………………なんだと?」

「貴方はかたきの氏族をとするカストの民を許せないのではなく、自分が許せないんだ」


 カイルは静かに言った。


「ロニオスの伴侶が満足な治療を受けられずに死んだのは、貴方のせいではなく当時の医局員のせいだ。ロニオスの失踪しっそうは誰も止められなかった。ロニオスの思惑もあったに違いない。エレン・アストライアーの望みを叶えるために、今こうして協力してくれている。贖罪しょくざいはなされているのだから、もう自分を許したらどうなの?」


 鉄拳制裁てっけんせいさいを覚悟してカイルは告げたが、報復ほうふくはこなかった。カイルに対する怒りの波動も生まれなかった。

 ただそこにあるのは、カイルの言葉に対するアードゥルの驚きと困惑だった。


 クトリも聞いてないふりをして、データの整理をしている。

 気まずい沈黙が流れた。


「カイル」


 気まずい沈黙を破ったのは、中庭に現れたシルビアだった。彼女は両手にパンパンにふくらんだ背嚢はいのうを持っていた。その後ろに付き従うアイリもさらなる数の背嚢はいのうを運んでいた。

 シルビアは大きく息をつき、荷を地面に静かに置いた。


「使用人や第一兵団達が不在の弊害へいがいを味わいました。これを将軍達に運んでください」


 カイルの方が絶句した。


「こんなに?!」

「これでも泣く泣くかなりの量をあきらめたのですよ?」


 シルビアは恐ろしいことを言った。


「地上のガラス瓶では重いし割れるので、生分解材質の使い捨ての密封容器アンプルを用意しました。使用したあとに容器は土に埋めれば分解します。あと傷口用の保護パッドも。カイル、使い方を将軍達に説明してほしいのですが?傷口を洗って保護パッドを貼れば、化膿かのうせずに傷が早期に治ります」


 この時点でカイルが運搬うんぱんの同行を引き受けることが強制的に決定した。ウールヴェだけを飛ばすつもりだったのだ。


「……わかったよ」


 アードゥルがシルビアに問いかけた。


「なぜ、そこまでする?相手は地上人で、メレ・エトゥールの敵だぞ?」

「地上人であることが治療の手を差し伸べない理由になりますか?」

「――」

「敵対と言いますが、彼等は一応、メレ・エトゥールの保護下にあります。メレ・エトゥールは彼等を部下にしたいようですが、断られているようです。それにガルース将軍も副官ディヴィも私の患者ですので、予後よごは見守る必要があります」


 アードゥルは眉をひそめた。皮肉にもシルビアの行動は、初代達の医局員の真逆をいっていた。


「まさか、そんな馬鹿な理由で大量の薬を送るのか?」

「そんな馬鹿な理由です」


 シルビアは肯定した。


「私は彼等の治療を勝手にしました。最後まで責任を持つべきだと思っています」

「エトゥール王の伴侶としての立場があるだろう」


 シルビアはにっこりと魅力的に微笑んだ。


「心の広いメレ・エトゥールは、カストの使者である将軍達を煮るなり焼くなり好きなようにしていいと許可をくださりました。なので、過保護に世話をやくことにしました」

「言語的に接続詞の使い方を間違えている」

「あら、そうですか?地上生活が長くなったので、中央セントラルの語学力が落ちているのかもしれません」


 片頬かたほほに手をあて、悩むふりをする医局員に、アードゥルは何か言いたげにカイルの方をかえりみた。


「西の民の若長は、シルビア最強説を推しているよ。僕も最近そう思うようになった」


 あきらめた方がいいんじゃない?――というニュアンスをこめて、カイルは真顔で言った。


 

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