第23話 カウントダウン②

 この名も知らぬ老人の意見はもっともだ、とカイルは思った。

 大災厄の後、今の生活は完全に失われる。食糧や物資の供給はとまり、そのことで争いが生じる。体力のない子供や老人にとっては地獄に近い生活になるのは確かだった。食糧が不足すれば、次にくるのは口減くちべらしだ。赤子や働けない老人がその対象になる。

 以前はそんなことが横行していたのだろう。


 彼等が未来に絶望して、苦難の避難生活を拒否してもカイルにそれを止める手段はない。選択の自由はあるべきだった。


「僕には貴方の選択を止める手段はありません」


 カイルは静かに語った。


「ただ、もし途中で考えが変わった場合は、赤いはたの外の領域に逃れるか、地下室に隠れるかしてください。救援の手を欲する時の、連絡用の狼煙のろしを置いていきます」


 老人は驚いたように、カイルを見つめた。しばらくためらったあと、彼は切り出した。


「…………導師メレ・アイフェスよ。質問を許していただけますか?」

「どうぞ」

「貴方様は地方領主や貴族とは、違う考えをされるようだ。なぜこんな末端まったんの農民夫婦の生死を気にかけてくださるのでしょうか?」


 カイルは苦笑をもらした。何度か同じ質問を受けたことがあったからだ。

 それは貧民からでもあり、貴族からでもあり、カストの民からでもあった。感謝であったり、非難であったり、疑念であったり同じ問いかけの言葉でありながら、こめられる思いは様々であり、カイルはそれを全て受け止めてきた。


「僕はエトゥールの出身ではありません」

「存じております。うわさでも何でも遠い外国とつくにからいらしているとか……」

「そんな噂がここまで?」

「はい」

「そうです。僕達――今、エトゥールに滞在しているメレ・アイフェスと呼ばれる者達は、遠いところからやってきました。僕達の世界には指導者がいて、法律もありますが、身分差はないのですよ」


 カイルは簡潔かんけつに言った。


「……身分差がない……」


 老人では理解できない事柄のようだった。

 無理もない――とカイルは思った。彼等はいつだって搾取さくしゅされる立場であったはずだ。ここ十年あたりのセオディア・メレ・エトゥールの治世ちせいは、まだしも、その先代の時代には重税の搾取さくしゅに苦しむ立場であり、それがない世界など理解できないだろう。

 彼等の世界は狭く完結しているのだ。


 それはこのレベルの文明の中では仕方がないともいえた。


 むしろ賢王であるセオディア・メレ・エトゥールの存在が異質なのだ。彼は国の宝が、民であることを悟っており、搾取さくしゅではなく、民の生活の向上を目指していた。


「この国の貴族達と態度たいどが違うとしたら、僕の世界では、僕と貴方は対等だから――と説明するべきでしょう。今日のえにしは、僕がたまたまこの地区にきただけのものですが、こうして頭を下げていただく云われもありません。僕と貴方に身分差は存在しません」


 カイルは淡々と告げた。


「星が落ちてくるという前代未聞ぜんだいみもんの不幸な現象が起きるので、メレ・エトゥールの客人として生き延びる手段を助言しているだけです。僕は星の落下に対して何もできませんが、持っている知恵を与えることはできます。ただそれだけです。貴方がメレ・エトゥールの民であるから、手を差し伸べているのです」


 二人の間に沈黙が流れた。

 老人は顔をあげて、カイルを見つめたあと、その脇に用意していた重い革袋を引き寄せた。


「偉大な導師メレ・アイフェスよ。どうかこれをお持ちください。これをお渡ししたく、導師メレ・アイフェスの貴重な時間をいただきました」


 老人はゆか正座せいざしたまま、皮袋をカイルに向かって差し出してきた。

 困惑しながら中身を確認したカイルは首をかしげた。それは多種多様ではあったが種子だった。


「……たね?」

「昔、ひどい冷害があった時に、実を結んだ果実や穀物の種です」


 カイルは驚いた。

 それは原始的な品種改良の手段であり、この辺境の農夫がそれを行っていたことに驚嘆きょうたんした。

 この時代の農民の知恵なのだろうか?

 しかも酷い冷害と称するなら、それはこの時代において大飢饉だいききんに直結しているはずだった。その時期に食糧とせず、種籾たねもみとして冷害に強い品種を残すとは、英知と勇気のある選択と言えた。


「……よく……これだけ集めましたね……」

「楽なことでは、ありませんでした」


 老人はカイルが指摘してきする苦労を認めた。


「昔の冷害の飢饉ききんでここら一帯でも多数の餓死者がししゃがでました。何度も食糧にすべきかと迷う飢餓きがを経験しました。この先、きっとこのたねは役に立つと思います。導師メレ・アイフェスならこれを増やす知恵をお持ちでしょう」

「…………ありがとうございます。これはいただいて帰ります」


 カイルは老人に向かって頭を下げた。立ち会っていたクレイが重い革袋を引き取った。

 カイルはこのまま立ち去ることをためらった。

 本人の残留の意思を尊重するつもりだったが、これだけ貴重なものをくれた功労者こうろうしゃにむくいたいという気持ちがきあがっていた。


「やはり避難しませんか……?」


 老人はカイルの言葉に首をふった。


「わしらはこのままで、いいのです。この土地で生まれ、この土地で死んでいける幸せというものがあるのです」


 愛着のある土地で死んでいける幸せ――それは不老長寿であるカイルには、理解できない事柄だった。


「予言の通り、星が落ちて荒地になるのなら、再びこの種子から穀物こくもつがたわわに実る時代がくることを切に願います。どうか、この地に再び金の穂を実らせてください」

「――」

「貴方様の未来が光り輝くものでありますように」


 老人は別れの言葉として聖歌の一句をカイルに贈った。

 老人の家からでたカイルは、村から立ち去ろうとしたが、思い直したように再び老人の家に向かった。


「クレイ、手を貸して」


 部下の馬に、種籾たねもみの重い革袋をくくり付けていた第一兵団の団長は、その行動を予想していたかのように、笑って承諾しょうだくした。






「お前は馬鹿か」


 アードゥルの言葉は容赦ようしゃなかった。


「お前は散歩すると、子犬や子猫を拾ってくるのか?あ?」

「……」

「しかも死が間近な老犬を拾ってくるとは、どういうことだ。扶持ぶちを増やしてどうする」

「……あの人達は老犬じゃない」


 カイルは小声で言い訳をした。

 アードゥルは笑いに肩を震わせている第一兵団長の方を振り返った。


「兵団長も同行していたなら、なぜ、この馬鹿をとめない?」

「我々の目的は、避難しない人々の再説得でありまして、カイル様の行動はメレ・エトゥールの方針に沿ったものです。今更、避難民が一人や二人増えても変わりません」

「こいつはこの調子で、大量に犬や猫を拾ってくるぞ」

「避難民を犬や猫扱いしないでよ」

「お前の無節操むせっそうな行動が元凶だ」

「はい……申し訳ありません……」


 カイルは説教を受けて、しょんぼりと頭を下げた。


「しかも体内チップを分け与えて治療しただと?この間際まぎわに……」

「だって、あの人はそれぐらいのことをしてくれたよ?一から遺伝子解析いでんしかいせきして冷害に強い品種を生み出すより、その特性を持った品種からさらに強い品種を生み出す方が、数年短縮できるでしょ?」

「……………………」

「不要と言うなら、あの老人に返してくるよ」

「誰が不要と言った」


 アードゥルは不機嫌に応じて、その隣のエルネストもクレイ同様、その反応に笑いを堪えて肩を振るわせていた。

 アードゥルは隣に立つエルネストをにらんだ。


「エルネスト、お前も何か言え」

「カイル・リード。君のお人好ひとよし度は底抜けだ。たいしたものだ」

「誰がめろと言った?」

「何か言えというから、言ってみたのに、注文が多いな。品種改良された種も私が引き取ってもいい。アードゥルがいらないなら、私が遺伝子分析をしてデータを独占をするのも楽しそうだ」

「誰が不要と言った」

「素直じゃないなぁ」


 エルネストはアードゥルに向かって、手をひらひらとふった。


「これを入手したのは、カイル・リードの手柄てがらだから、その点は認めてやればいいじゃないか」

「……………………」


 アードゥルは嫌そうに顔をしかめた。

 それから深々と溜息ためいきをついた。


「カイル・リード。自分が軽率けいそつな行動をとったと自覚しているか?」

軽率けいそつ?」

「自覚がないとは、びっくりだ」


 エルネストがあとを引き取った。


「エトゥールの民に対して、平等性がないことをアードゥルは心配している」

「平等性?」

「似たように、加齢かれいやまいに悩んでいる者を全員なおすのか、ということだ」

「――」


 カイルは黙り込んだ。

 それは以前、シルビアにも指摘されたことがあった。自分達の技術は諸刃もろはつるぎになると――。

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