第22話 カウントダウン①

 つがえた矢は放たれたが、それはへろへろと明後日あさっての方向に飛んでいった。

 草むらに着地した矢を回収するのはリルの役目で、歩いて、しゃがんで矢を地面から引き抜くという一連の動きが、ちゃんとリハビリになっていた。

 リルは、ゆっくり歩いて戻ってくると、弓を握っているクトリに矢を渡した。


「ありがとうございます」


 クトリは礼を言って矢を受け取る。


「まだまだ筋力が足りないわね」


 評価をしたのは、丸太に腰を下ろしてその光景を眺めていたイーレだった。リルはその隣の丸太に腰をおろす。


「でも、弓すら引けなかった頃に比べると、格段の進歩ね」

「それ、めてます?」

大絶賛だいぜっさんしているわよ?」


 イーレはにっこりと応じた。


「筋力をきたえたいなら、筋力増強の体内チップを入れれば――」

「それ、最後の手段ですよね?」

「まあね。でも貴方の身体をきたえたいって目的は達成できると思うけど?」


 西の地に滞在しているクトリは、超苦手な分野に現在チャレンジ中だった。一般的に「身体をきたえる」といわれる項目だ。

 城壁から軽すぎるリルの身体を支えられない非力さを猛反省して、イーレに指導を頼んだのだ。

 ただし、厳しい指導はなしで、幼児コースからという必須条件付きだ。


「それとも、もう少しハードなコースにする?」

「いやです。イーレの『もう少し』は全然『もう少し』じゃないから」

「…………バレた……」

「カイルが言ってました」

「…………カイルをあとでめておかないと……」


 物騒なことを上司のはずの子供は呟いた。

 2本目の矢は、多少まともな弧円軌道を描いて、木にささった。

 結果にクトリは吐息をつく。


「本当に僕が身体を鍛えることになるなんて、世も末ですよね」

「本当に世も末だから、いいんじゃないかしら?」


 イーレは手首をかかげて、簡易型の腕時計を見た。

 クトリがディム・トゥーラから言われて、制作したもので、主な関係者は全員それをつけている。示すものは現在時刻ではなく、数字は減り続けている。刻んでいるのは、大災厄までの残り日数と時間だ。


「本当に、これがゼロになると星が降ってくるんですか?」


 リルが自分にも与えられた腕時計を見て、不思議そうにきく。


「本当よ」

「すごいですね」

「逆に言えば、残り時間がわかって、こんな風にのんびりできるわけだけど」

「まあ、確かに」


 リルは同意して、少し笑った。リルは笑うようになった。とてもいい傾向だとイーレは思った。

 いくさがなければ、西の地は人の敵意のこもった思念もない絶好の静養地なのだ。


 リルはイーレの昔話を聞くことを望んだ。主にサイラスのネタで、彼の悪行三昧あくぎょうざんまい数多数かずたすう、暴露されることになった。

 再生されたサイラスは文句を言うかもしれない。まあ文句を言ったら、師匠権限と鍛錬たんれん――それは張り飛ばすという理不尽な暴力も含まれるが――で、黙らせるつもりだった。

 リルが病んだ元凶は、サイラスが死んだことだ。リルをかばったことは最高評価で褒めたたえてもいい。だが、自己犠牲はいただけない。


――私の弟子なら、リルを守って、かつ、生き延びろって言うの


 サイラスは「そんな殺生せっしょうな」と猛抗議するかもしれないが、子供を泣かせた時点でイーレ的にはアウトだ。


「…………死んだら破門はもんって、新ルールをつけ加えようかしら……」


 それもいいかもしれない。そうすれば、サイラスは死に物狂いで生き延びるに違いない。いささか矛盾むじゅんしているが。


「イーレ様」


 リルがおずおずと切り出してきた。


「あの……あたし……棒術を覚えたいのですが……」


 少女の手には、サイラスの形見の長棍が握られていた。だいぶ修復が進んで、少女の手にあった細さに変化している。


「いいわよ。私の新弟子ね」


 快諾にリルの顔が喜びに輝いた。


「まさか、スパルタじゃないでしょうね?」


 クトリが疑わしげに突っ込んだ。クトリは事件以来、リルを保護者的に気遣きづかっている。本人はディムに頼まれたから、と言っていたが、こちらも従来の引き篭もり度合いから考えると、格段の進歩だ。


「まさか。私は女、子供には優しいわよ?」

「それ性差別です」

「私が神だから、いいのよ」


 天上天下唯我独尊的な発言に、クトリは賢明にも黙って空をあおいだ。






 カイルは目の前に広がる田園風景を見つめていた。

 王都から離れたこの穀倉地帯こくそうちたいは、エトゥールの食料供給を支えるかなめの一つとカイルは記憶していた。


 その美しい光景をぶち壊すような、無粋ぶすいな赤いはたが一定間隔で並べられている。大災厄の被害範囲を示すほろびのはただ。

 そのはたの境界の中は避難対象区域になる。


 皮肉なことに、大災厄前に隕石により居住地が壊滅かいめつした村民の方が、素直に移住に応じた。当たり前だ。彼等は生命とわずかな財産以外は全てを失ったのだから。

 メレ・エトゥールの疎開条件を呑み、アドリーや国境に近いえんのある街や村に移りすんでいた。

 

 すでに国境は封鎖され、出ることは許可されてもエトゥールに入ることは許されない。王都に向かおうとする外国籍傭兵ようへいや商人など論外だった。

 皆おろかにも「本当にエトゥールの国境が封鎖されるなんて」と動揺どうようしている。


 カイルは小さな吐息をついた。


 セオディア・メレ・エトゥールが隣国に出した信書の通りに、空から星が降ってきて、エトゥールの予言は成就じょうじゅしている。

 エトゥールの門は閉ざされることなく、隣国の使者が次の「星降り」の先見を乞えば、偉大なるエトゥール王は惜しみなく次の予言を与えた。その救済につながる知恵の門が閉ざされたことに動揺したのは、エトゥールの民ではなく、隣国だった。

 

 王都エトゥールが大災厄に見舞われるなんて、さすがに想像できなかったに違いない。

 エトゥール国内で暗躍あんやくする他国の間者は報告に迷っていることだろう。王都が滅亡することを前提に、セオディア・メレ・エトゥールがアドリーに遷都せんとを進めているなど、そんなことが信じられるだろうか?


 全てはメレ・エトゥールの思惑通りになり、防衛ぼうえいと疎開の貴重な時間を生み出した。


――あの人と、盤上遊戯ばんじょうゆうぎはしたくないな。


 そう、カイルは思った。

 ディム・トゥーラ同様、セオディア・メレ・エトゥールに勝てる気が全くしない。




 カイルは被害境界線近くに移動装置ポータルを設置しつつ、第一兵団とともに巡回していた。被害が想定される街や村に、疎開をこばんで残留しているのは、このすきに略奪をたくらむ不成者ならずものか、老人が多かった。

 

「カイル様」


 クレイ団長が馬でやってきた。彼はこの近くの村を巡回していたはずだ。


「申し訳ありませんが……」

「説得?」

「いえ……村の残留者が、ぜひ導師メレ・アイフェスとお話しがしたいと」

「わかった」


 カイルはクレイの手を借りて、彼の後ろに飛び乗り、二人乗りの状態で村まで馬を走らせてもらった。



 

 残留している者の理由は様々だった。予言を信じず、馬鹿にしている者もいれば、独り身で身体の不自由さから疎開を諦めた者もいる。

 身体的理由だった場合、第一兵団が手を貸して、アドリーに新設した施療院に移動することを説得したりもした。


 カイルが案内された小さな家には、寝たきりの老婦人と、床に正座をして深く叩頭こうとうしている老人がいた。


「頭をあげてください」


 カイルは老人の前に膝をついて、話しかけた。


「おお……おお……偉大なる導師様メレ・アイフェス……」


 老人は一瞬だけ顔をあげ、再び恐れ多いとばかりに伏せた。


「お許しください。メレ・エトゥールの言いつけにそむき、この地に残ることを」

「……残る理由をきいてもいいですか?」

「連れは……もう動くこともかないません……疎開をして死を迎えるのなら、せめて長年すごしたこの地で、最後を共に迎えたいと思います……」

「……」


 カイルは寝台で眠る老婦人の方を見た。加齢が原因の衰弱すいじゃく状態であることは、すぐにわかった。

 老人の見立ては、正しい、とカイルは思った。この老女は過酷かこくな避難生活に耐えられないだろう。


「一時的に容態ようたいを保たせることはできますが……」


 カイルの申し出に老人は首を振った。


「わしらは、メレ・エトゥールの予言を疑っているわけではないのです。むしろ信じています。……星が落ち、王都からここまで、被害が及ぶ。そして気温が、下がる――穀物が育たなくなると。食糧が不足するなら、こんな老人達が消費するより、子供達に与えたいと思います……」

「……」


 カイルは視線を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る