第36話 閑話:賢者の知恵③

「出会った頃のハーレイとの話し合いを覚えているかな?僕は彼に尋ねた。『憎しみの対象は子供も老人も含めたものなのか』って」

「覚えています」

「ファーレンシアはどうかな?カストの子供や老人も憎い?」

「まさか!」

「安心したよ」


 カイルは少し笑った。


「僕はね、許せないという感情のいきどおりは正当な物だと思う。その経験も知らない人が、理想論だけで許すようさとすのは間違っている。許せとか簡単に言う人は気にしなくていい。彼等は当事者の苦しみをわかっているようで、わかっていない。許せと言うことが、その証拠だ。ファーレンシアが聖堂で多くの人の旅立ちを見送り、その家族達の嘆きを目の当たりにしているのなら、カストが許せないのは当然だ」

「…………」


 ファーレンシアはカイルに抱きしめられるままうつむいた。


「許すとは、罪をとがめめだてしないで、容認することじゃない。僕は、傷つけられた者が生きていくためなら、許さなくていいと思っている。時間はいくらでもかけていいんだ。ただ心の解決点おとしどころを探すことはやめないでね」




 老婆の感謝の言葉と涙は、ファーレンシアの心を洗い流した。ファーレンシアは初めてカイルの言葉を理解できた。


 許すとは、心の落とし所を探す事なのだ。

 許せないなら、許さなくていい――その言葉の真の意味は、己が心底納得しなければ、「許す」という行為自身が意味をなさない。真の許しではないから。


 ここにいる、か弱い彼等はカスト王の犠牲者なのだ。

 生きるために愚かな指導者に従うしかなかった。その社会的弱者にカイル達賢者は救いの手を差し伸べた。王の愚行のあがないをこの弱者たちに求めるわけにはいかない。カスト王は、まさに反面教師だった。


 べるものおろかだと、たみは不幸になる。


 王は責任と義務が伴う。兄であるセオディア・メレ・エトゥールはそれをよく理解しており、賢者達は彼を支える道を選んでくれた。大災厄が迫るこの時期にも、地上のたみを導くことをやめない。それは僥倖ぎょうこうではないだろうか。


 泣いている場合ではない。強くならなければいけない。


 ファーレンシアは決意した。

 例え大災厄がこようとも、賢者が理想とする世界が未来にあるなら、賢者の妻として、ともにその道を歩み、重圧を背負う夫を支えるのだ。




 カイルの不在のさびしさにも慣れ、ファーレンシアは忙しい毎日を送った。その努力はむくわれつつあった。

 カストの避難民に笑顔が生まれ、声をかけられるようになった。会話も生まれ、知らなかったカストの現状をしることができた。憎しみのまま交流を拒絶きょぜつしていれば、知らなかった世界の話だ。


 ガルース大将軍の人気は絶大ぜつだいだった。


 敵国の大将軍とは言え、好感のもてるひととなりで、メレ・エトゥールが配下に欲しがるのも納得がいった。確かに有能な人物だった。その彼を切り捨てようとするとは、カスト王はなんと愚かなのだろう。

 将軍がいれば、カストの避難民の問題はどうにかなるかもしれない。ファーレンシアに胸の内に安堵は広がっていた。

 精霊は、試練として越えられない壁は作らない、とは上手く言ったものだ。まさに現状がそうだった。


 最近では、会話でも冗談が飛び交う余裕が生まれた。イーレの軽い口調での夫婦論は、カストの女性達にも、共通に受けた。小休憩のたびに、イーレとファーレンシアの周りに輪ができた。

 今日の話題は「できる妻に対して、夫からふんだくる報酬」だった。

 侍女とカストの女性達もまじえて大いに盛り上がって、皆で笑った。逆に報酬ほうしゅうを要求される立場の男たちは滝汗たきあせをかいていた。





 そんなある日、いつものようにファーレンシアがイーレ達と避難民のために動いていると、血相けっそうを変えた侍女じじょがアドリーの城門方向から走ってきた。何か起きたに違いなかった。


「イーレ様、あとをお願いできますか?」

「まかせて」


 ファーレンシアはマリカと専属護衛達とともに、その場をさりげなく抜けた。


「ファーレンシア様、至急、アドリーのやかたにお戻りください」

「問題ですか?」

「客人です」


 兄だろうか?

 最近、兄はウールヴェのトゥーラ並みに自分の精霊獣を使いこなすことを覚えてしまった。白豹しろひょうに似たウールヴェに乗ったエトゥール王がいきなり登場すれば、アドリーの関係者は青ざめることだろう。


「メレ・エトゥールですか?」

「いえ、違います。ですが、ファーレンシア様にご対応いただかなくては、ならない人物です」

「私に?」

「前アドリー辺境伯のご子息です」


 一瞬、それは誰のことだ、とファーレンシアは言いそうになった。が、ファーレンシアは初代であるエルネスト・ルフテールの若返った姿が、独身であったはずの前アドリー辺境伯の隠し子として噂されている事実を思い出した。

 同一人物であるから、ややこしい。

 だが、ファーレンシアは、あることに思い当たり血の気がひいた。


「……もしや、子息しそくに同行者がいらっしゃいますか?」

「はい、以前滞在たいざいされていた歌姫と黒髪の貴族の殿方とのがたです」



 一難去って、また一難だった。

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