第35話 閑話:賢者の知恵②

「これは今回に限らないわ。理想の夫婦とはお互いのない物を補い、助け合うものだけど、相手に依存いぞんしたり、尽くすばかりではお互いの成長はないのよ。時には離れ、突き放す厳しさも必要。相手の学ぶための機会を奪ってはいけないでしょう?」

「学ぶための機会……」

「カイルなど、放置していたら、どんどん過保護になるわ。そのうち城に閉じ込められちゃうから。はっきりと自己主張して、ガラスケースに入れられているお人形じゃなく、生きた人間であることをアピールしないとね」

「イーレ様」


 勇気ある専属護衛のアッシュは、片手をあげて質問した。


「イーレ様、失礼ですが、長い年月の中、どのようにしてその結論に達したか、お聞きしても?」

「長い年月は余計よ」

「事実でしょう?」

「はっきり言うわね」

「貴女様のお弟子でしから、はっきりと言った方がいいとアドバイスをいただいています」

「……サイラス、シメる……」


 ぼそりと賢者がつぶやいた言葉を、皆は聞かなかったことにした。


「それはね、みんな、恋愛相談を私にもってくるからよ」


 子供は、ふんぞり返った。


「は?」

「私がどれだけ、同僚達の愚痴ぐちや悩みや相談を聞いたと思っているの?特に親友の相談は多かったわ。もっとも彼女の最大の失敗は、将来的な狸親父たぬきおやじと結婚したことだけどね」

狸親父たぬきおやじ……」


 賢者メレ・アイフェス酷評こくひょうする『狸親父たぬきおやじ』とは、どういった人物なのだろうか――全員がそう思った。


「まあいろいろなケースを目の当たりにして、統計的に結論に達する十分なサンプルは取れたのよ。論文をかなり書ける自信はあるわ」

「……いっそうのこと、侍女にも読める本を執筆していただこうかしら……」


 マリカがつぶやいたのをアッシュは聞き逃さなかった。


「えっと……カイル様はちなみにどんなタイプでしょうか?」


 ファーレンシアは興味津々でイーレに聞いた。


「独占欲が強く、過保護で、案外嫉妬するタイプ。この点は本人も認めているわ」

「まあ」


 驚いたようにファーレンシアは、頬に手をあてた。


「カイル様が嫉妬するところを見てみたいものです」


 知らぬは、本人ばかり――と、ファーレンシアを見つめ、イーレ達は思った。


依存いぞん隷属れいぞくとか関係がバランスの悪い組み合わせカップルは、全て破綻したわよ。これは人間関係全般に言えるわね。全てバランスよ。親子関係でも、友人関係でも、夫婦関係でも、言えることなのよ。対等であること、納得する対価があることこれが重要なのよ」

「夫婦の場合、納得する対価とは?」

「スキンシップよ。地上でいうねやの行為もここに含まれるわね」


 明け透けな表現に、姫と侍女は真っ赤になった。


「あ、あの、イーレ様……」

「ファーレンシア様だって、カイルがキスの一つもできない朴念仁ぼくねんじんだったら嫌でしょう?」

「そ、それは、そうですが……」

「それでなくてもカイルはヘタレだし」

「…………」

「カイルに代わって、カストの民のために動くのだから、ご褒美ほうびを要求することを忘れちゃダメよ?」

「…………」

「『夫を甘やかすな』『厳しくしつけろ』『スキンシップの機会を逃すな』これが三大原則ね」

「…………」

「簡単に言うと――」

「簡単に言うと?」

「『夫は手のひらの上で転がせ』よ」




 翌日、アドリーの侍女集団が護衛とともに、城壁そばの広場にいるカストの避難民の滞在地域にやってきた。カストの民は驚いた。敵対していたエトゥールから支援しえんの手が差し伸べられると思っていなかったからだ。

 彼女達は手際よく炊き出しの準備をし、配布を始めた。胃に優しいスープの暖かさに避難民達はほっとした。

 

 言語の壁は厚かったが、青い髪の侍女と西の民の金髪の子供が、的確な通訳を行い、意志の疎通そつうを図ることができた。西の民の若長まで一行に加わっていた。

 エトゥール側の手伝いにでてきた者達も最初は遺恨にギクシャクしていたが、青い髪の侍女が汗にまみれながら積極的に動く姿に、こだわりを一時棚上げすることを決意したようだった。


 協力者に西の民もくわわり、長期滞在用の天幕が整えられていった。

 

 身分を隠して働くファーレンシアは、不在のシルビアに代わり、教えてもらった知識と施療院の経験を生かし、怪我人や病人の世話をした。それにマリカが付き従った。

 最初はあきらめと敵意に満ちていた避難民達の中に、やがて笑顔が生まれ始めた。中には、今の生活の方が、飢えずに安全なことに気づいた者達もいた。

 一人の瘦せこけた老婆がファーレンシアの手を握った時は、護衛達に緊張が走った。


 老婆は呪文のように言葉を繰り返して、ファーレンシアの手を握った。

 その言葉はカスト語で「ありがとう」だった。老婆は涙を流し、何度も同じ言葉を繰り返す。

 ファーレンシアも泣きたくなった。自分達の行動は無駄ではなかったのだ。


 もちろんファーレンシアが遭遇そうぐうしたのは感謝だけではなかった。

 イーレはファーレンシアに対して、夫婦論を教え込むだけではなく、想定質問でファーレンシアに心の準備をさせた。ありとあらゆることを想定して、その返答例をファーレンシアに用意していた。その中に罵詈雑言ばりぞうごんへの対応も含まれていた。


 実際イーレの予想通り、青色の髪の侍女に対して、心無い言葉も投げられることもあった。


「偽善者めっ!エトゥールの策略にはのらないぞっ!」


 それに対してファーレンシアは感情を表に出さないように、淡々と答えた。


「わたくし自身もそう思います。アドリーの寛大な若き領主カイル・メレ・アイフェス・エトゥールの指示に従っているだけです。彼はあなた方をアドリーの隣接地で保護する道を選びました。大将軍ガルース様に敬意を評してです。その意志を配下の者が無下にすることはできません」


 お前達が今ここにいられるのは、カイル様のおかげだ、ということを強く主張した。

 対峙する少女の前に、護衛として同行している若長ハーレイが割ってはいった。


「ここは、我が妻である、エトゥールの賢者、イーレ・メレ・アイフェス・エトゥールの土地だ。我々西の民も強者ガルースの特使としての行動に感服してこの土地を提供することに同意した。この地を反対のある者は去ってもらって構わない」


 カスト語で語るハーレイの言葉も力強かった。

 思わぬ援助にファーレンシアは驚き、イーレの姿を探した。少し離れたところで護衛をしているイーレは姫の視線に気づき、片目をつぶってみせた。




 偽善者という言葉は正しい。

 何よりもファーレンシア自身がそう思っていた。兄であるセオディア・メレ・エトゥールは、エトゥール王としてこの問題に対処している。カイルも賢者として動いている。

 だがファーレンシアは違った。

 心のどこかで、カスト王が許せないでいた。それに従うカストの民もだ。何度聖堂で死に行く兵士達を見送ったことだろう。カストとの国境付近の争いで死傷者ししょうしゃが出るのが常だった。

 ファーレンシアは、カストのために移動装置ポータルを調達し、大災厄のために用意した西の地の避難用地にカストの民を移送しようとするカイルに、ありのままの気持ちをぶつけた。


「なぜカストのために危険なことをするのですか?あとはカストの民の問題ではありませんか。警告を無視した自業自得じごうじとくとさえ、言えます」


 カイルはファーレンシアをじっと見つめてから、うなずいた。


「そうだね、僕もそう思うよ。これはカストの民の問題だ」

「だったらなぜ」

「カストの民の問題で、彼らに解決する手段がないから、動くだけだよ」

「――」


 ファーレンシアはくちびるんだ。なぜそこまで身を投じることができるのだろうか。皆が言うようにお人好しすぎないだろうか?


「ファーレンシアはカストが許せない?」

「……はい」

「ファーレンシアの感情は当然だと思うよ。聖堂で何回も最後の看取りをしているなら、なおさらだ」


 カイルは優しくファーレンシアの頭をでた。


「許せないというのは気持ちは一つの結論だから、それでいいよ」

「……いいのですか?」

「許すとか歩み寄る行為は、気持ちの落としどころを見つけることだからだよ」

「……気持ちの落としどころ……」

「無理に許して、苦しくなっていたらおかしいでしょ?これ以上苦しみを背負う必要はないんだ。昔のハーレイにも言ったけど、許せないなら許さなくていいんだ」

「…………」

「ただ考えることはやめないで欲しいな。どうしたら、いつになったら、カストの民を許せるとか、考えてほしい」

「……考えるのですか?」

「うん」


 カイルは微笑ほほえんだ。


「考えなければ道は生まれないけど、考えれば、可能性は生まれるから。例えば10年後、20年後にカストを許せるようになるかもしれない。もしかして、子供達や孫達の世代かもしれないけどね」

「……」

「それでいいんだよ」

「……」

「許すための行動は、階段を作る行為に似ている。その階段を作る材料は、時間の経過だったり、状況の変化だったり様々だ。考えることもその一つだよ。だからファーレンシアには考えることをやめないで欲しいんだ。これは僕の我儘わがまま

「……カイル様……」

「許すという行為は壁を越えることなんだよ。人によって、高さも様々だ。だから、越えられる者と越えられない者が出てくる。越えられない者が背を向けてしまえば、壁はそこにありつづける。でも考えて考えて考えて階段を作り続ければ、その高い壁をいつかは越えることができるんだ。エトゥールと西の民が交流できたように、いつか、カストと交流できる時代がくるかもしれない」

「……そんなの……無理です……私は心が狭いですか?」


 半泣きになったファーレンシアをカイルは優しく抱きしめた。

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