第34話 閑話:賢者の知恵①

「知恵をお貸しくださいと言われてもねぇ」


 子供姿の賢者メレ・アイフェスは、息をついた。正面に座るファーレンシア・エル・エトゥールは、部下であるカイル・リードの婚約者で将来の伴侶はんりょだ。カイルが彼女にベタれで、とても大事にしていることをイーレは、よくわかっている。

 弟子のサイラスも養い子に対して異常に過保護だが、カイルも過保護という点ではいい勝負だ。どちらも宝物を必死に守ろうとしている子供みたいなところがある。


「ないこともないけど――それって、カイルの希望に反することでしょう?カイルって、穏やかそうに見えて、怒ると怖いのよ」

「わかっております。カイル様は怒らせると兄並みに怖いと思います」

「ファーレンシア様、カストの民に直接、かかわりたいというのは、危険なことですよ?相手は対立していた民族で、危害を加えられる可能性があります。貴女に何かあれば、大災厄の前に世界が危機にひんします。カイルはファーレンシア様のために世界を救おうとしているのですから」


 イーレは直接的に事実を指摘したが、エトゥールの姫の反応はイーレの想像とは乖離かいりしていた。

 ファーレンシアは、ぽっと頬を赤く染めた。


「…………ファーレンシア様、なぜ照れます?」

「す、すみません。不謹慎ふきんしんですが、カイル様が私のために世界を救おうとしているという件に、ぐっときました」

「………………」


 予想外の明後日の方向の素直な反応にイーレは頭を抱えた。一国の姫とはいえ高飛車たかびしゃではなく、しかも曲者くせものな兄であるエトゥール王とは性格的に似ていない、なんて素直ないい子だろう。

 年若いのに、様々な困難と重圧に対処する立場にいるのは、同情にあたいするし援助したくなる。

 シルビアもそこらへんにほだされているのだろう、とイーレは察し、同時に納得した。年齢上、遥かにババアである自分も、かなり心動かされる。なんというか頑張っている幼い孫の世話を焼きたくなるような心情だ。


 エトゥールやアドリー、世界を救おうと奔走ほんそうするカイルのため、できることをしたいというファーレンシア・エル・エトゥールの望みはとうとい。


 イーレはそばに控える侍女のマリカと暗殺術にけている専属護衛のアッシュを見た。


「もしかして、カイルは最近不在?」

「よくわかりますね。カストの将軍と行動を共にしています」


 アッシュがそっけなく答えた。


「アドリーの様子は?」

「領主の仇敵きゅうてきのカストへの手助けに、アドリーの住人はピリピリしております」

「カストの避難民は?」

「ガルース将軍に従っているとはいえ、こちらも見えない不満をためているようです」


 専属護衛の報告にイーレは納得した。当然の結果であろう。カイルは見落としていることが多すぎる。あとで言い聞かせる必要があった。


「わからないでもないわ。エトゥールとの和議の前後の西の民がそんな感じだったから。ファーレンシア様、この状態でそれでもカストの民に手を貸したいと?」

「はい。今、微妙なバランスを維持いじしているのは明らかで、何かのきっかけでこの状態がくずれかけません」


 ファーレンシアは賢者にうったえた。


「まさに今、危機に瀕しております。カストの民を世話する人間が圧倒的に足りないのです。シルビア様の負荷ふかを減らすにも、私が動きたいのです。私が動けば、ある程度は人員を動かせます。姫である私だけを働かせるなんて不名誉なことを関係者はしませんわね?」

「ファーレンシア様、カイルのためにそこまでするのですか?」

「したいと思います」

「甘やかしすぎですよ」

「そうでしょうか?」

「重要なことをお話ししましょう」


 イーレは姿勢を正して、ファーレンシアを見つめた。ファーレンシアも、気を引き締めて賢者の助言を待った。


「夫を甘やかしてはいけません」

「はい?」

「甘やかすと、彼等はつけあがります。きびしくしつける必要があります」

「……あの?」



 マリカはポケットから携帯用の紙を取り出し、部屋に備え付けのペンを手にした。東国イストレ出身の専属護衛は、妹姫の侍女じじょの奇行に眉をひそめた。


「何をしている?」

「イーレ様のお言葉の記録を」

「なぜ?」

「夫婦関係に悩みを持つ侍女じじょ達の救済の聖典バイブルとして、最近絶大な人気をほこっています」

「――」


 確かにイーレが時々語る内容は、男の立場として、確かにアッシュにも耳が痛い内容が含まれていた。マリカは時折り頷きながら、メモを取る。


「最近、侍女を妻に持つ専属護衛から相談を受けるんだが」

「どんな内容で?」

「『妻が強くなった』と」


 マリカは満足そうに頷いて、ニコリと微笑んだ。


「ですから、救済の聖典バイブルと申しております」


 アッシュは、主人カイルの未来のために、賢者イーレと姫の会話を妨害すべきか、しばし悩んだ。


「イーレ様、あの……カストの民と直接関わるための知恵と、夫のしつけの因果関係がよくわかりません」


 イーレの突然のおっと教育論きょういくろんに、ファーレンシアは混乱した。

 イーレは、にっこりと笑った。


「ファーレンシア様が、カストの民と交流を持ったら、カイルはどういう反応をすると思う?」

「激怒すると思います」

「なぜ激怒するのかしら?」

「……危険なことをしているからだと思います」

「エトゥールのため、カイルのための行動しているのに怒られるって、理不尽りふじんよね?」

「…………」


 ファーレンシアは黙った。理不尽りふじんというより、今回のことでカイルが怒り、愛想あいそをつかされたらどうしようかという恐怖の方が大きい。


 カイルは怒ることは十分に予想できる。


 だからといって、この状況を静観しているのは、エトゥールの姫として許されないものだ。

 イーレはファーレンシアの葛藤かっとうを読み、微笑んだ。


「それでは、婆やが、けなげな姫に知恵を授けましょう」


 芝居がかってイーレが言った。


「理論武装よ」

「りろんぶそう?」

「カイルが怒るネタを排除しつつ、それをした理由を整理しておくの。反論や非難を理論で対抗するの」

「……どうやってですか?」

「まず、危険だから、とカイルが激怒するのが予想できるわね?」

「はい」

「私とハーレイが護衛についても危険だと言えるかしら」

「――」


 ファーレンシアは思いがけない提案に軽く口をあけた。


「危険なんてとんでもない。西の民への挑戦と非礼になります。若長の実力を疑うなど――」

「そうでしょう、そうでしょう」


 イーレもうんうんと頷く。


「カイルと一緒に、そこにいる心配性な侍女とか専属護衛も黙らせることができるわよ」


 指摘にファーレンシアは思わずマリカを振り返った。

 マリカは心なしか青ざめている。アッシュの方は諦めが早く、すでに天井を見上げて、吐息をついていた。

 マリカは横にいる専属護衛を見た。


「アッシュ、イーレ様を止めてください」

「無理だ。この賢者とその弟子は、止めて止まる性格じゃない。私はとっくの昔に諦めた」

「カイル様がお怒りになります」

「多分、そうだろう。姫の行動を止められない我々も怒りの対象になることは保証しよう」

「そんな……」

「あ、私はカイルが帰還したら逃亡するから、私に言いくるめられたって言うといいわよ」


 困惑する二人にイーレは手をひらひらとふってみせた。

 ファーレンシアはイーレにやや呆然としながら確認した。


「あの……イーレ様、私の護衛をしていただけると?」

「私じゃご不満?」

「とんでもない!」

「ハーレイも一緒だから心配ないでしょう?私とハーレイの実力を疑う者がいれば、喜んで挑戦は受けるわ」


 西の民の「挑戦を受ける」は決闘けっとう隠語いんごだ。

 ファーレンシアはぶんぶんと首を振った。誰も賢者と若長の実力を疑わないだろう。それはカイルも含まれる。


「本当によろしいのですか?」

「もちろん」

「ありがとうございます」

「大きな問題の一つは解決したわね。姫がカストの民と関わるときの、危険は排除された。――ただ念には念を入れましょう。確か施療院せりょういんの時は侍女じじょに扮していたんですよね?カストの民に姫だと、大々的に宣伝する必要はないから、今回も侍女のふりでもしましょう」

「はいっ!」


 両手を胸の前で握りしめ、はりきったように同意するファーレンシアと対照的に、マリカは両手で顔を覆った。


「……諦めた方がいい。我々でフォローした方が早い」


 東国出身の専属護衛は筆頭侍女に助言をした。


「さて、ファーレンシア様」

「はい」

「ファーレンシア様はまず学ばなければいけません。夫婦は対等であるということを」

「対等……」

「カイルが激怒する『危険』という項目を排除したのなら、ファーレンシア様が行動を選択は自由ということです。なぜなら、妻は、夫に隷属れいぞくしているものではないからです。自分の意見をもち、自分の意思で行動を決定することができます」

「――」


 ファーレンシアは、困惑して言葉を探した。自分の意見をもち、自分の意思で行動を決定することができる、とは思ってもいなかったことだ。

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