第33話 閑話:手紙③

 葬儀は終わったはずなのに、マリエンの家を見張る人影は消えなかった。

 こうなると、ダナティエが唱えるディヴィ生存説が真実味を帯びてきた。カストの王は平民出身の副官の家族の将来を案じるほど、慈悲深くはなかった。

 ガルース将軍一行は亡命に成功したのかもしれない。

 夫のディヴィが生きている――そう考えると心にあかりがともり、気力がいてくるのを感じた。


 マリエンは家に引きこもり、演技力のあるダナティエが主に外へ出入りをした。ダナティエは密かに監視者にバレないように少しずつ旅支度をした。もちろん通常の生活用品の購入も偽装ぎそうのため行うことは忘れない。

 ダナティエの奇妙なさいにマリエンはあきれたように感想を述べた。


「あんた、いったいどこでそんなことを覚えたの?」

「お父さん」

「は?」

「将来、ガルース将軍に仕える間諜かんちょうになりたいって言ったら、お父さん、ノリノリで技術ノウハウを教えてくれた」


 ガルース将軍信仰に盲目もうもくなのも、ほどがある。嫁入り前の娘を、ぬまに引きずり込むとは何事なにごとか。

 夫に対する小言のネタがまた一つ加算されたことに、マリエンはひたいに手をあて、あきらめの息をついた。




 不思議な手紙が来たのは、それから10日後だった。

 マリエンとダナティエあてだった。そして、その手紙は検閲けんえつされたのか、開封の痕跡こんせきがわずかにあったのをダナティエが見つけた。

 心当たりのない相手で、聖典せいてん詩句しくを引用した挨拶あいさつから始まり、長々と平穏な近況を語るような文章が続く。去年は大凶作だったが、今年は無事になえも育って、収穫できそうだ、とか家族全員、すこやかに育っているなどだった。

 ディヴィの友人だろうか?

 最後は署名とともに、その横にマリエン達の村を見下ろす風景の見事な素描が、落書きをするかのように描かれていた。


「この人、画家かしらね?」

「………………」


 ダナティエは真剣な顔をして、手紙を読んでいた。それから聖典を取り出した。


「ダナティエ?」

「昔、お父さんとこういう遊びをした。不敬だから誰にも内緒だと言って、ね。聖典の章や語句を使って暗号を組み立てるの」

「……どうやって?」

「挨拶に引用した詩編に含まれているの。ここと、ここと、ここかな。多分、この詩編の行には数値表現があるはず」


 ダナティエは聖典をパラパラとめくりつつ、ブツブツとつぶやいた。


「新緑の月……今月ね、新月の日……何日後?、真昼……でも、場所がわからない……」

「ダナティエ?」

「これ、お父さんからの暗号だよ。絶対にそう。今月の新月の日の真昼を指定している」

「……そんなことある?」

「絶対にそう!でも場所がわからない!どこに行けばいいの?」


 マリエンも、もう一度手紙を見た。そして、マリエンも確信した。


「これ、ディヴィだわ。場所もわかると思う……」

「お母さん?」

「この風景にかかれている作者の名前の横の記号、まだ文字がかけない頃のディヴィが自分のサイン代わりに使っていた。この記号が描かれた小石が窓際まどぎわにあると、今夜会おうの印で――」


 ダナティエは軽く口を開けていた。婚姻前の若い男女が、真夜中に逢瀬おうせをすることは、御法度ごはっとである。

 娘は、お堅いと思われていた母親の若かりし頃の暴走ぶりにニヤニヤした。


「へ~~ほ~~ふ~~ん~~」

「あ…………」

「ちょっと結婚の時期と、私が生まれた時期の計算が合わないと思ったのよね」


 ダナティエはわざとらしく、両手の指をおり、数えあげた。婚前交渉の可能性に完全に父親と母親の権威は地に堕ちた。


「~~~~っ!」

「まあ、そこらへんはお父さんと合流してから、じっくり聞かせてね?」


 にっ、と娘は勝利の微笑みを見せた。




 前日の夜、ダナティエは二人分の背嚢はいのうを、待ち合わせ場所に近い農耕地の藁山わらやまに突っ込んだ。

 まちに待った日の早朝、マリエンは裏口からそっと出た。人目につかないように家の影から影を慎重にたどり、そのまま村を出る。藁山わらやまから隠した背嚢はいのうを引きずり出すと近くの納屋に身を潜めた。


 ダナティエは約束の時間ぎりぎりまで、いつものような生活で過ごし、監視の目があるか確認する予定だった。ダナティエが毎日パターン化した生活を送るため、監視役も途中で切り上げることが多かった。そこにつけ込む隙があった。


 もし、約束の場所にディヴィか彼の使いの人物がいなければ、そのまま隣村まで歩き、乗り合い馬車で国境に近い街まで移動するつもりだった。

 そこらへんは、ダナティエがいろいろと計画していた。


 土埃つちぼこりとカビ臭い納屋の中で待機しているマリエンは、何度も何度も握っている手紙を読み返した。不思議な手紙だった。


 画家が描いたような村の素描は、若い頃の逢瀬おうせに使った場所から見下ろした光景だ。あの場所を知らなければ、描けない。ディヴィだけが知っている場所をなぜ画家が描けたのか、わからなかったが、ディヴィの署名を示す記号だけが、生存のあかしだった。

 マリエンは、その事実にすがりついた。


 生きていてほしい。


 危険な戦場におもむき、使い捨てにされるのは平民兵士だ。その妻として、常に覚悟はしていても、訃報ふほうは簡単に受け入れられるものではなかった。

 心の中では本音があった。


 国なんかどうでもいい。

 王も将軍も隣国のエトゥールもどうでもいい。

 名誉もいらない。

 夫として、父親として、石にかじりついてでも、生き伸びてほしかった。


 穏やかな政情であったら、ディヴィは農夫として平凡に生きたかもしれない人生があった。マリエンはその妻として、貧しくても、時には喧嘩もしながら、子供の巣立ちを見送り、残された二人は穏やかな老後を笑いながら、共に過ごす。

 そんなことをマリエンはよく夢想むそうした。


 手紙一枚で離縁を言い渡されるなら、もっと言いたいことがあった。妻を馬鹿にしているのか?子供に対して責任はないのか?なんで、王や将軍に命を捧げるのだ?家族をなんだと思うのだ?


 ああ、違う。そうじゃない。


 こんな切ない想いをさせるなら、結婚の申し込みなんてしないで欲しかった。


「俺は兵士だから、戦場では真っ先に命を落とす。俺が死んで、泣いてくらすような性格じゃ困る。マリエンなら大丈夫だろう」

「泣いて暮らすわけもないでしょ!とっとと再婚相手を探すわよっ!」


 あの時、憎まれ口をたたいたマリエンの言葉をディヴィは正確に覚えていて、離縁の手紙を書くに至ったのかもしれない。

 敵の謀略ぼうりゃくを読み解く癖に、妻の心情を把握はあくできないとは何事か。

 ダナティエは完全攻略をされていると笑っていたが、そんなことはない。キツイ一発をお見舞いしなければ、気が済まない。それがマリエンの結論だった。


 だから――。

 だから、もう一度元気な姿で目の前に現れてくれ。

 マリエンは祈った。




 数時間後、ダナティエが村を無事に抜け出してきて合流した。二人で旅用のフードつきの外套がいとうを身にまとった。年季の入った汚れた背嚢はいのうを背負い、うつむき加減に歩けば、最近よく見かける災厄で村を失った旅人に見えた。


「行こう」


 マリエンとダナティエは強く一歩を歩き出した。




 緩やかな坂道が見晴らしのいい丘に続く。マリエン達は王都へと続く街道をはずれ、小道を登っていった。昔はこの距離を小走りで駆け上っていけた。それが今はキツイ。だが約束の時間を考えれば、小休止も惜しかった。


「お母さん」


 ダナティエの呼びかけに、マリエンははっとして顔をあげた。

 目的地の付近に人影が二つ。遠くてもマリエンには、はっきりとわかった。ダナティエもそうだろう。その証拠にダナティエは坂道を駆けだしていた。

 懐かしい夫の姿がそこにあった。


「ディヴィ!」

「お父さん!」


 ディヴィも二人に気づいている。見知らぬ金の髪の青年がディヴィのそばに立ち、二人の到着を待っている。

 ようやく登り切ったマリエンをディヴィが迎えた。


「あなた……」

「マリエン……」


 マリエンは無言で、はずした背嚢はいのうの肩ひもを持って、思いっきり振り上げ、振り下ろす。うん、まだ覚えている。くわをふりあげ、固い土を掘り起こす要領だ。


 マリエンの目論見もくろみ通り、背嚢はいのうは勢いついて飛び、喜びの再会の抱擁ほうようをしようと無防備に近づいてきた哀れな夫の顔面を直撃した。

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