第32話 閑話:手紙②

 王の使いと称する男が片田舎にわざわざマリエンを訪ねてきた。使者の割符わりふは本物だった。ガルース将軍と副官であるディヴィが敵国エトゥール内で死んだと使者は、そっけなく告げた。


 衝撃を受けたが、その報にマリエンは何かの違和感を感じた。

 使者を問いただす前にダナティエが号泣ごうきゅうを始めた。


「お父さん、お父さん、お父さん」

「ダナティエ……」


 泣きわめくダナティエを落ち着かせるために、抱きしめたマリエンは、娘に耳元でぼそりとささやかれた。


『離縁されたことを言って』


 噓泣き?!!!!

 号泣する娘の演技力にマリエンは唖然としながら、娘を抱きしめながら、使者に告げた。


「……お知らせ、いたみいります。わざわざ、遠方までご足労をおかけして、感謝の言葉しかございません。ディヴィとは離縁しておりますので、もう直接関係はございませんが、彼の死を残念に思います」


 マリエンの言葉に使者は驚いたようだった。


「離縁だと?」

「はい、正式な手続きは済ませております」

「副官から何か手紙のようなものは、受け取ってないか?」

「いえ、なにも」


 マリエンは静かに首をふる。ダナティエがぐすぐすと泣きながら、使者に問いかけた。


「……ガルース将軍閣下の……国葬は……いつですか?」

「こ、国葬?」

「貴族しか出席できないにしても……せめて花を手向けに……行きたいです」


 そう言って、ダナティエはまた激しく泣き出した。

 これが演技か……わが娘ながら恐ろしい……とマリエンは思った。


「ま、まだ、予定は決まっていない。将軍閣下の葬儀そうぎは国をあげてのものになるから、準備に時間がかかるであろう」


 使者は想定外の質問につくろうかように答えて、慌てたように去っていった。


「お父さん、お父さん、お父さん」

「ダナティエ」


 父を求めて泣くダナティエの号泣ごうきゅうは5分後に正確にぴたりとやんだ。


「……使者は帰った?そこら辺にいない?」

「多分……」


 ダナティエは、手に握りしめていた濡れた海綿かいめんをポイっと卓に放った。涙の偽装の小道具まで用意されていたことに、マリエンはあんぐりと口をあけた。


「ダナティエ、あんたいったい……」

「お父さんが死んだって、嘘よ。噂より使者が早いなんて、そんなこと絶対にないわ」


 ダナティエはきっぱり言った。


「お父さんを死んだことにしたい、何かが起こっているのよ」


 それから彼女は、戸棚とだなにしまってあった聖典を取り出し、パラパラとめくりはじめた。ダナティエは裏表紙に貼り付けられた紙を見つけるとがした。


「えっと……王の使者がきたら、最低限の貴重品を持って、身を隠せる準備をせよ」

「なに、それ……」

「お父さんからの指示書。聖典にはさんで置くから、困ったことが起きたら読めって、言ってた」

「へ?」


 マリエンは、ダナティエから紙をひったくった。

 細かく状況を想定し、対応策が書かれている。副官の妻として文字を覚える必要にせまられたマリエンでも読むことができるように箇条書かじょうがきされていた。


「マリエンが愚痴をこぼしたら、黙ってきいてやること――って、何よ、これ?!!」

「そのまんま。お母さんの対応策」

「人の攻略メモを作成するなぁぁぁ」


 敵国のとりでの攻略と同レベル扱いに、マリエンは憤慨ふんがいした。ダナティエは、さりげなくマリエンの手から紙を取り返した。


「マリエンに紙の存在が、バレた時は、破り捨てられない死守ししゅすること――お母さん、完全攻略されているよ?」

「――っ!!ほんとっ!あの人って!腹が立つっ!!」

「まあまあまあまあ」


 言葉を区切りながら、怒り狂う母親を、ダナティエは予想していたように、なだめにかかった。


「お母さん、怒っている場合じゃないわよ?やることが、いっぱい」

「やること?」

「まずは、お父さんの葬式。村をあげて、やらなくちゃ。だって、王の使者がわざわざ死んだことを告げにきたのよ?平民の死を、わざわざ、この田舎まで」

「――」

「お父さんは生きている。東国イストレに将軍と亡命できたのかもしれない。王様達は行方の手がかりが欲しいのかも」

「……生きている……」

「でも私達は、訃報ふほうを聞いたときの行動を取らないと。別れたとはいえ、元夫が死んだと知ったら、まずは葬式でしょ。多分、使者は、数日ほど私達を監視するはずだわ」


 混乱しているマリエンに「家にいてね」と言い残し、ダナティエは村長達に王の使者の来訪とディヴィの訃報ふほうを告げに行った。マリエンは家を出ていくダナティエの手に、またしても濡れた海綿かいめんが握られているのを見た。


 半時もたたないうちに、マリエンの家は弔問ちょうもんの客であふれかえった。村長をはじめとした、村人のほとんどが、マリエンの家を取り囲み、呆然としているマリエンに慰めの言葉をかけていく。


葬儀そうぎは私達で段取りするから心配するな」


 村長の言葉に、そうだそうだ、と村の男たちが同意する。

 村の英雄の死に号泣ごうきゅうする少年達までいた。隣村となりむらにも、知らせてくる、と男達が農耕馬にまたがり、八方に散っていった。


 何か大事おおごとになっている。


 マリエンは青ざめたが、村の女達はそれを離縁したばかりの夫の死に動揺している――事実、違う意味で動揺していたが――と、受け取りマリエンを抱きしめて慰めた。

 次々と慰めの抱擁ほうようを受けながら、マリエンは娘を探した。

 ダナティエはマリエンの視線をうけ、涙をぬぐうふりをして、うなずいてみせ、それから視線を別のところにむけた。


 ダナティエの視線の先の木の影に、去ったはずの王の使者を見たような気がした。


 それからの葬儀は、マリエンの記憶が曖昧あいまいだった。

 村の小さな聖堂で、からの棺に対して村の司祭が聖典を朗読し、祈祷きとうを捧げた。そこでマリエンは、ディヴィが本当に戦死しているなら、これが別れになることにようやく気付いた。

 王の使者が真実を語っているのなら、ディヴィは死んでいるのだ。生きている証拠などどこにもない。

 初めて激しく取り乱し、棺にすがりつき、叫んだ。


「ディヴィ!ディヴィ」


 皆がその様子に貰い泣きした。

 葬儀が終わり、家に帰ってもマリエンは泣いていた。


「お母さん、お母さん」

 

 ダナティエがやや慌てたように、マリエンを抱きしめて、ささやくように言った。


「演技じゃなくて本当に泣いていたのね。大丈夫だから。お父さんは生きているから」

「そんな……保証……どこにもないじゃない……」

「お母さん、お父さんが大好きだったんだねぇ」


 ダナティエがしみじみと言った。


「当たり前のこと言わないで……そうじゃなければ……結婚しないわよ……」

「その割には、夫婦喧嘩ふうふげんかが多かったよ?」

「……もっと、優しくしてあげればよかったわ」

「……大丈夫、大丈夫。お父さんは生きてるよ」


 ダナティエは泣き止まないマリエンの背中を優しくさすった。どちらが親だか、わからない――と泣きながらマリエンは思った。


「どうして、あんたはお父さんが生きてると確信してるの?」


 ダナティエは笑った。


「お父さんだから」

「そんなの理由にならないわよ……」

「なんとなく……ね。お父さんが死んだら、わたし、わかるような気がするの」

「………………」


 昔から勘のいい子だったので、説得力があった。マリエンはようやく泣き止んだ。


「お父さん……生きてると思う?」

「うん」


 自信に満ちた返答に、マリエンは救われたような気がした。


「これから、どうすればいいのかしら」

「安全を確保できたら、必ず連絡をするって」


 ダナティエは卓の上の聖典をつついた。


「……離縁したのに?」

「離縁は王様対策だってば。お父さんがあたしたちを放っておくわけないでしょ」

「……そうかしら……」

「何、その弱気」

「ディヴィは昔からモテたのよ。本当に、お母さんに愛想つかした可能性もあるわ」


 ぷっ、とダナティエは吹き出した。


「お父さんは、違うこと言ってたなあ」

「何ですって?」

「お父さん、出兵の不在中にちょっかい出してくる男がいたら、撃退しろって言ってた」

「それはダナティエ自身のことよ」

「ううん、お母さんのこと。だから、私は文句言ったの。年頃の娘の心配をしないのか、って。そしたら、なんて言ったと思う?」

「…………なんて?」

「お前は、自分で撃退できるから、心配していない。おくれになることだけを心配してる、って」


 父親として、あるまじき暴言だった。

 だが、ディヴィらしくてマリエンは笑ってしまった。

 笑う母親にダナティエは口をとがらせた。


「お母さん、笑うなんてヒドい」

「ああ、ごめんごめん。相変わらず、口が悪いな、って」

「ほんと、お父さんって、デリカシーがないよね。お母さん、お父さんと再会したとき、どういう態度をとるか考えておいた方がいいんじゃない?あの手紙は簡単に許しちゃ、ダメでしょう?」


 それは難しい問題だった。

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