第31話 閑話:手紙①

「嘘つき……」


 マリエンが夫からの手紙につぶやいた。

 ひどい内容だ。

 ガルース将軍と共にエトゥールに特使としておもむくこと、敵国であることと諸事情により、生還せいかんは難しいこと、都の住居を引き払い田舎に戻ること、離縁りえんをするので再婚をするようにと、淡々と事務的にかかれている。

 

 最後の手紙だったら、愛しているとか一言ぐらいあっても、いいではないかと思う。命令書の代筆と何か勘違いしていないだろうか?

 昔、最前線に向かう時のディヴィの手紙の方が、まだ情熱的だった。その手紙は未だにマリエンの宝物だ。


 マリエンもある程度は事情をさっしている。


 将軍がエトゥールの手にかかり、命を落とすぐらいなら、東国イストレに亡命をすすめる意図が見える。亡命兵士の残された家族が見せしめに処刑されるのは、カストでの日常茶飯事にちじょうさはんじだ。

 離縁りえんすることが、ディヴィの家族愛なのだろう。

 わかっている。

 わかっているが――。


「腹が立つものは、腹が立つのよっ!!!」

「お母さんってば、また手紙を見てるの?」


 発狂はっきょうしたように怒り叫ぶマリエンに、部屋に入ってきたダナティエが呆れたように評する。


「ダナティエ……」

「お父さんも不器用よねぇ。愛しているの一言を加筆すれば、よかったのに」


 もうすぐ15歳で成人する予定の娘に図星をさされて、マリエンは食卓に腕枕うでまくら状態で突っ伏した。そのまま、愚痴ぐちを呟く。


「どうして、あんな人と結婚しちゃったのかしら……」


 母の暴言を娘は手をひらひらと振って、聞き流す。


「お母さん、夫婦喧嘩げんかの度に、それ言ってる」

「言いたくもなるわよっ!!あんたは、絶対に兵士と結婚しちゃダメよ!!」

「その発言、娘の婚活機会を半分つぶしているって、気づいている?」

「兵士と結婚すれば待ってる未来は寡婦かふか、再婚よ?」

「そういうお母さんは、再婚する気なんてこれっぽっちもないくせに」

「………………」


 ダナティエは持ってきた大袋を、その真横にドカっと置いた。

 中身を次々と取り出す。


「この林檎はお婆ちゃんからね、野菜は伯父さん、卵は隣のおばさんから、あ、肉は店のおじさんから」


 離縁状りえんじょう意気消沈いきしょうちんして無気力なマリエンに代わり、ダナティエは故郷の村に着いてから、積極的に動いている。たくましい、とさえ言えた。

 今も戦利品のように、差し入れの品々をマリエンの目の前に積み上げていく。


「あんたは、元気ね……」

「だって、こっちの方が楽しいもの。お父さん、村では有名人なのね。面白い話をいっぱい聞いちゃった」

「昔は悪ガキでヤンチャだったからでしょ」


 悪戯をして、村長に怒られていた悪ガキ集団の筆頭だったのだ。故郷にはディヴィもマリエンも娘に隠したい黒歴史は山ほどある。あとで、従姉妹いとこ達に口止めをしよう、とマリエンは密かに思った。


「違うわよ。英雄だからだって」

「英雄?」

「平民でガルース将軍の副官まで登りつめたんだもの。村を代表する出世頭しゅっせがしらだって」

「……」


 そんな風に言われているとは、意外なことだった。


「お母さん、知ってた?お父さんね、褒賞ほうしょうとしてね、将軍に村の援助を願い出たんですって」

「え?」

「備蓄としての小麦と種籾たねもみ――だから、この村は、大凶作でも耐えられているって」

「……そんな話、知らないわ」

「兵職を引退したら妻子を連れて、故郷の村で静かに暮らしたいって、将軍に言ったらしいよ。で、せっせと村に貢献こうけんしていたらしいの」

「…………」

「村長に援助の条件を出していたらしくてね?自分が戦死した時は、妻と娘の面倒をみること、だってさ。だからしつこく故郷の村に帰れって言ってたんだね。お父さんの口癖だったもの。お父さんが戻らなかったときは、お母さんを連れて故郷に行けって」

「……そんなこと言ってたの?」

「うん」


 ダナティエは少し泣き笑いの表情を浮かべた。


「お父さん、不器用だね……。でも、あたし、お父さん大好き」

「ダナティエ……」

「大丈夫、お父さんなら大丈夫」

「でも野蛮なエトゥールに行ったのよ?」

「お父さんなら、将軍と一緒にエトゥール王を倒してきそう。それでまた英雄になるの」

「……」

「お父さん、将軍に対する処遇に怒り狂っていたじゃない。最近、酒量も増えていたし」

「……そうね」


 マリエンもその点は気づいていた。




 ディヴィは、子供の頃から崇敬すうけいするガルース将軍がいかに素晴らしいかと語るのが常だった。いつか、ガルース将軍の部隊に入るのが夢だと宣言して、周囲の嘲笑ちょうしょうを買っていた。


 ディヴィの夢物語を皆が笑った。平民は平民でしかない。身分差別の壁を誰もが知っていたからだ。


 笑わないのはマリエンだけだった。

 ディヴィのガルース将軍に対する憧憬どうけい信仰しんこうに近かった。彼ならできるかもしれない。

 だからディヴィが兵士になった時も驚かなかった。


 確かに将軍は貴族でありながら、平民に対する差別がない人物で有名だった。だが、もちろん実力主義なので、彼の部隊に取り立てられるには、それなりの功績こうせきと才が必要だった。

 兵士として、前線にたち、左手の指を二本失う大怪我おおけがをした時も、ディヴィは笑っていた。


「今回の功績でガルース将軍の部隊に採用されたんだ」


 まだ結婚前のマリエンは、その無謀むぼうぶりに不安になって、療養のため帰郷した幼馴染おさななじみを怒った。


「馬鹿じゃない?!死んだら、何にもならないのよ?!」


 斥候せっこうとして、矢の雨をくぐり抜け、貴重な敵陣情報をガルース将軍にとどけたことを自慢するディヴィを怒鳴りつけ、大泣きした。

 マリエンの突然のヒステリーに、村の英雄は狼狽うろたえて、懸命になだめようとした。あの頃から、大胆不敵だいたんふてきなくせに不器用だった。

 ディヴィが、マリエンに結婚の申し込みをしたのは、その1年後だった。

 

「俺は兵士だから、戦場では真っ先に命を落とす。俺が死んで、泣いてくらすような性格じゃ困る。マリエンなら大丈夫だろう」


 冷静に考えると失礼極まる結婚申込だったが、マリエンはうっかり承諾してしまった。

 ここまで振り回されると思ってなかったからだ。人生最大の失策ではないか、とマリエンは密かに考えている。

 1年後にダナティエを授かり、幸せいっぱいだった。手紙一枚で離縁を宣言される未来が待っているなんて、想像すらしなかった。




 平民であり口が悪いにもかかわらず、ディヴィはガルース将軍に重用ちょうようされた。周囲は物珍しさや将軍の気まぐれの採用だろうと揶揄やゆしたが、実際は違った。

 ディヴィの努力はすさまじかった。


 当時、平民に教育の機会など与えられなかったから、文字も読めないディヴィは、仲の良い同僚に教書を音読してもらい丸暗記した。

 もちろんその間に文字を学んだ。

 ついでに外国語も学んだ。

 日中の鍛錬たんれんでくたくたになっているはずなのに、夜は勉学し、教科試験最下位から、ついにはトップまで上り詰めたのだ。


 その努力がねたみを買った。


 試験順位に負けたことに憤った貴族は、ディヴィの不正行為カンニング疑惑をでっちあげ、陥れるためだけに告発した。それを一喝したのは、ガルース将軍だった。

 将軍はディヴィを信じていた。そして再試験の機会を設けた。


 無実の証明のため、衆人環視しゅうじんかんしの中、再試験を受け、満点をたたきだしたディヴィに誰も何も言えなかった。

 ガルースは結果に大笑いをしながら彼を副官に指名した。


 平民の少年達皆があこがれる平民副官ディヴィの誕生だった。



 

 どんなに地位があがろうとも、功績こうせきをたてようとも、ディヴィは変わらなかった。

 口が悪く、たまに深酒ふかざけをすることはあっても、よき夫で、よき父であった。そして最高の副官であろうとした。

 その結果が今だ。


 マリエンはため息をついた。

 相手がガルース将軍では勝てない。


「ダナティエ、腹が立たないの?私達は、ガルース将軍の存在に負けて捨てられたのよ」


 母親の愚痴ぐちにダナディエはキョトンとしてから、ぷぷっと小さく吹き出した。


「お母さん、お母さん、ちょっと冷静に考えてみてよ?お父さんからガルース将軍信仰を取ったら、魅力半減みりょくはんげんよ?」

「…………そうかもしれないわね……」

「だいたいガルース将軍を見捨てて保身ほしんに走るお父さんって、想像できる?」

「…………できないわね」

「保身に走るような情けないお父さん、好き?」


 そんなのディヴィじゃない――と言いかけて、マリエンは悟った。

 それが全ての答えだった。


「惚れた弱みって、つらいわ……」


 卓にひじをつき、敗北宣言をする母親の呟きに、娘は笑いながら背後から抱きついた。

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