第29話 変革⑯
「こんにちは、お婆様」
カイルはナーヤに軽く
ウールヴェのトゥーラは、密かに連れてきた褒美をイーレに要求した。イーレは焼き菓子を数枚トゥーラに渡し、カイルは己のウールヴェが買収されていた事実に軽いショックを受けた。
「僕に用って何かな?」
「あ、じゃあ、私から」
イーレが軽く手をあげて先陣を切った。
とても穏やかな笑顔を見せられて、カイルは一瞬ひるんだ。実年齢を当てた時と、同じ微笑みだったからだ。
「イーレ?」
「私が西の地にウールヴェの肉を食べるためにいる、というのはやめてちょうだい」
カイルはイーレを見て、クトリを見た。
「クトリ……
「上司に報・連・相は、
「いや、これは例外だと思う」
カイルは開き直った。
「事実だと思うけど?ウールヴェの肉がなければ、嫁取り騒動も成立しなかったと僕はひそかに思っているけどね?間違ってる?」
「うっ……」
「そうそう、僕もイーレと話合いをしたかったんだ。僕の留守中にファーレンシアに何を吹き込んだのかなぁ?」
カイルの一見、穏やかな笑顔が凄みを増した。
今度はイーレがひるんだ。
「……夫婦生活における基本の基よ」
「『夫を甘やかすな』『厳しくしつけろ』『スキンシップの機会を逃すな』が?」
「西の地の教えを
「世界共通の妻側の心得じゃ」
「ほら」
「開き直らないで」
「西の地だと、『手のひらの上で転がせ』だな」
ナーヤの言葉に、カイルはがっくりと肩を落とした。
「……お婆様」
「夫側の視点から言えば『妻に理があるときは、逆らうな』だ」
「……あとでそこら辺は、じっくり聞きたいかな……」
カイルがポロリと
「あと、僕の不在時に、ファーレンシアをカストの避難民に関わらせたよね?いくらイーレでもひどすぎるよ」
「私と若長が同行して護衛についてるのに、それは
「西の民化しないで」
「まあ、確かに
「お婆様、
「いい方向に向かっているのに、何を憂う?」
ナーヤは平然と茶を飲んで言う。
「いい方向か、当時では判断できない」
「お前の未来は読めないが、姫の未来ぐらい読める。姫の行動力と勇気は称賛に価するものじゃ。もっと姫を褒めてやれ」
カイルは深く息をついた。
「子供のように見つけた宝をかかえて仕舞いこむのはやめろ」
「――っ!」
カイルは自覚があるのか頬を染めた。
「僕はファーレンシアが大事なんだ」
「わかっておる」
「アドリーかエトゥールの安全な場所から出したくないくらい」
「わかっておる」
「危険なことをさせたくない」
「お前をこの地上につなぎとめる錨の一つだと世界の番人も理解しておる」
「――」
「その点は、世界の番人を信用しろ」
カイルは不満そうな顔をしたが、お茶を一気に飲み干すことで、渋々とした承諾を示した。
カイルは飲み干した茶碗に視線を落とした。
「………………お婆様、鎮静作用の葉を入れたね?」
「入れたとも。怒れる野生のウールヴェは鎮めるに限る」
しれっと、ナーヤ婆は言って、空いたカイルの茶碗に二杯目を注いだ。
「僕がイーレに抗議するのを先見した?」
「したとも」
「僕に関して先見できているじゃないか。もっと、先見してくれても――」
「夫婦仲は、日常生活の類だろうが。世界の滅亡の先見と同列に扱うな、馬鹿たれが」
カイルが唇をとがらせた。
「それより、クトリの坊の話を聞いてやれ。本題はそちらじゃ」
話をふられてクトリは背筋を伸ばした。
「本題?」
「カイル……あのですね……僕の気のせいかもしれませんが、見落としが、あるかもしれないです」
「見落とし?ロニオスが言っていた件?」
カイルは身を乗り出すように見つめてきて、クトリはその期待に満ちた反応にたじろいだ。
「わ、わかりません。僕が勝手に気になっただけで……」
「気になるとは、研究員にとって、課題につながる
イーレが助け舟をだすように、先を
「あ、あの……」
「なんでも構わないわ。言ってみて」
クトリはお茶を一気に飲んだ。
「完全な地表データがないから、なんとも言えませんが、僕達、二次被害を見落としているのでは?」
「二次被害って?」
「僕達、前兆の災厄に関しては人口密集地域の直接的な隕石落下ばっかり追いかけてますよね?落下後の火災発生の対応も、せいぜい西の地の森林地帯だけです」
「うん」
「例えばですが、大陸外はどうでしょうか?」
「大陸外?」
カイルはきょとんとしていた。
「大陸以外の海に落ちた影響です。沿岸は大災厄ほどではなくても津波の被害がでているはずです」
「――」
「まあ、エトゥールは内陸の国だから、大きな影響はないでしょうが……川の水位があがっていたり、変化が生じている思います」
「――」
「湖におちた場合も同様の津波被害は起きます。でも僕達はそこまで追跡予想できていません。そういう点から考えると、さらなる問題が……」
「さらなる問題?」
「あ、あの……僕の
「いいから言って。話の続きをききたい」
「山脈や火山への影響です。直撃がなくても、地層のゆがみや衝撃で噴火を誘発する可能性があると思います。山脈の氷河が熱で溶解すれば、大量の水が山の付近の村や町に流れ込みます」
「――」
カイルは見落としていたことの重大さに、やや呆然とした。
地図は描いていたが、火山や氷河の存在までカイルは把握していなかった。
「……エトゥール国内に火山はある?」
「いくつか。南や北の国境付近の物がデカイです。ただ地脈情報が不足しているので、なんとも」
「……………………」
「あ、あくまでも、推論なので……気のせいかもしれないし」
カイルの反応にクトリは慌てて弁解めいた言葉を告げた。
「ディム・トゥーラを呼ぶから、もう一度同じ説明をして」
カイルの判断は早かった。
『つまり……大災厄以外の小さな破片ですら大被害が出る可能性があるということか』
クトリの説明を聞き終えた虎のウールヴェは考え込んでいた。
『確かに見落としともいえる。隕石衝突予想地から単純に住民を避難すればいいと俺達は考えていたのだから』
カイルは不安そうな視線をウールヴェに向けた。
「ディム……これは、どう対応すればいい?」
『優先は大災厄だ。そちらの対応を怠るつもりはない。ロニオスもそのつもりで、俺にはっきりと言わなかったんだな』
「……見過ごすしかないの?」
『観測ステーションの人手は割けないぞ?俺達がこんなに地上に深入りしていることは、隠し通さなければいけない。中央にばれれば、アウトだ』
カイルは唇を噛んだ。
犠牲者が大きくでる可能性があるのに、何もできないのだろうか。
カイルの深い失望ぶりに、提言をしたクトリの方が狼狽えた。
「あ、あくまでも僕の考えで、実際発生するかどうかは解析したわけでもないし」
『発生するだろう。これだけ町や村におちていて、隕石が火山を直撃しないという保証は誰にもできない』
「ディム・トゥーラ!」
フォローするどころか、さらにカイルを絶望の淵に追い込む
「……お婆様の、僕への先見の言葉はこのことかな?」
――お前がどんなに頑張っても、
カイルには、ナーヤが見た未来がこのことを示しているように思えた。
ナーヤはカイルの問いかけに無言のまま、肯定も否定もしない。彼女はただ静かに茶を飲んでいるだけだった。
『被害を予想解析するにも、水脈情報と一緒だ。基本情報が手元になければ、何もできない。
ディム・トゥーラの言葉にカイルは考え込んだ。
「……あるかもしれない……」
『なんだって?」
「エトゥールの地下にあるという初代の拠点だよ。あそこがメイン拠点なら、惑星のあらゆる情報が残っている可能性があるよね?それがあれば、被害情報の再構築ができる」
『閉鎖されているだろう。アードゥル達がそう言ってた』
「そう、閉鎖されている」
カイルはウールヴェの茶色の瞳を見つめた。
「閉鎖されているなら、
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