第25話 変革⑫

 またもや図星をさされて、クトリは真っ赤になった。視線を彷徨さまよわせ、それから諦めたようにナーヤを見つめた。


「……嫌いです……大嫌いです。こういう性格も嫌いです。もっと器用に生きたかった……」

「器用とは?」

「人付き合いが上手で、外にも出かけれて、皆に必要とされて――」

「人付き合いは、天候と同じじゃ。見極めと予想が必用になる。まずは、身近な知り合いから、初めてみればいい。身内の賢者は怖くないだろう?」

「……同僚は平気です。だって、僕のことをわかってくれるから……」

「お前も相手のことをわかる必要があるな」

「……」

「相手を天候だと思って観察してみるといい」

「……観察……」

「外に出かけたいなら、無口な西の民の護衛をつけてやろう。西の民でも似たような悩みを持っている口下手くちべたはいる」


 クトリは動揺したようだった。


「皆に必要とされたいなら、漁師や農村を巡れ。天候の不順は奴らにとって死活問題じゃ。助言は歓迎される」

「いきなりハードルが高すぎますよ!」


 クトリは半べそになって、カイルをかえりみた。

 カイルは考えてこんでいた。


「……カイル?」

「ああ、ごめん。考え事をしていた。お婆様、クトリの人見知りと人間嫌いをなくす方法はよくわかった。でもクトリには、いきなりはハードルが高いと思うんだよね。どうしたらいいかな?」

「茶を飲みにこい」

「は?」


 さすがのカイルも意味がわからず、聞きなおした。


「えっと、お茶って……」

「今、飲んでいるのはお茶だろう」


 カイルは思わず、茶器を見た。


「お婆様のところに?」

「他にどこがある?」

「えっと、クトリがここにお茶を飲みにくるとどうなるの?」

「さあな」

「さあな、って」

「この坊が、変わりたいと思っているかどうかじゃ」


 カイルとナーヤの視線がクトリへ向かった。


「……変わりたいと思っても変われるものでは……」

「大事なことは結果ではない」


 ナーヤは静かに言った。


「変わりたいと思って行動することこそが、大事なことだ」

「でも……どうせ行動しても無駄むだでは……」

「世の中、無駄むだなことなど、一つもない」


 老婆は激高することもなく、辛抱しんぼうづよさとしていた。


「森のやっかいものと言われる野生のウールヴェですら役目はある。大事なことは結果ではない、と言っているだろうが。目的に向かって努力して、失敗したとしても得られる何かこそが重要じゃ」

「それっていったい……」

「経験じゃよ」

「――」

「お前は人付き合いの経験が圧倒的に足りてないだけだ」

「……………………」

「とりあえず、毎日こい」

「毎日?!」

「通いでも、泊りでもいいぞ」

「で、でも、移動装置ポータルから、ここまでの距離が……」

「精霊の泉まで護衛ごえいをよこす。問題はない」


 ナーヤは決まったことのよう話を進めていく。もうこうなると老婆ろうばのペースだった。わざとらしく、思い出したように言う。


「そういや、不可思議にきりが発生する場所があるな」

きり?」


 気象現象の釣り餌にクトリは見事に引っかかった。


「不可思議ってどんな感じです?」

「周りは晴れているのに、そこだけ霧が立ち込めるのじゃ」

「盆地とか?」

「いや、森の中だ。興味があるかね?」

「とても興味があります」

「村に滞在していたら、見ることもできるだろう」

「はい!」


 ハーレイとカイルの方を向いて、ナーヤは笑った。ナーヤが被っている見えない巨大猫が勝ち誇った笑いを浮かべた気配があった。





「お婆様、クトリを二人目の賢者として、取り込もうとしていないよね?」

「あほ」


 西の民の序列は、占者せんじゃを除くと強さだった。その観点からいけば、非力で気弱なクトリはヒエラルキーの最下層とも言えた。


占者せんじゃが後見人なら、誰も文句は言わん」

「ナーヤのところに通わせればいいの?」

「とりあえずは、な」

「これは助言のたぐいだよね?クトリに関する先見は?」


 ナーヤはクトリの顔をじっと見つめた。


「お前は帰らんな」

「「は?」」


 ナーヤの言葉は予想外の内容すぎて、二人は思わず声に出してしまった。


「帰らないって、カイルのことですか?」

「お前の先見をしている」

「僕?!」


 クトリは驚きの声をあげた。


「か、帰らないって、まさか死んじゃうとかですか?」

「違う」

「僕は大災厄だいさいやくの前に帰るんですよ?!」

「いや、帰らんな」

移動装置ポータルが壊れるとかですか?!」

「違う」

「僕は帰りますよ?!この大陸に愛着も興味もありません」

「お前さんは帰らんよ」


 頑固な老婆の言葉にクトリは落ち着きを取り戻した。それから、にやりと笑ってみせた。


「有名な先見のお婆様もはずすことがあるんですね。僕は帰ることが決まっているんです」

「いや、お前は帰らんよ。賭けるかね?」

「いいですよ」


 カイルは既視感デジャブを覚えた。前にも似たようなことがあった。


「クトリ、よした方がいい」

「大丈夫ですよ、カイル」

「じゃあ、お前が帰らなかったら、こちらの言うことを3つほどきいてもらおうか」

「お婆様!!」


 賭けの危険な臭いをカイルは嗅ぎ取った。その証拠に、どうしようもない、とばかりに、ハーレイが首をふっている。


「いいですよ?賭けの期限は?」

「大災厄が起こるまでじゃな」

「大災厄までに僕が帰ったら、僕の勝ちですね?僕が勝ったら?」

「願いごとを3つ言えばいい。精霊が願いごとをかなえてくれる」


 カイルは絶句した。ナーヤの言う「精霊」とは、世界の番人に他ならない。それを引き合いに出すことは、ナーヤの自信を示していた。


「クトリ、絶対にやめろ」

「大丈夫ですよ、カイル」

「やめろって。イーレは似たような状況で負けている」

「大丈夫ですって。ところで、僕はどうして帰れないんです?」

「帰れないんじゃない。帰らないんだ」

「意味は一緒でしょ?」

「それこそ天と地ほど、違うさ。お前は自分の意思で、残るんだ」

「は?」


 クトリは眉をしかめた。それから笑い出した。


「ないないない。それは絶対にない」

「うむ、賭けは成立じゃな」

「お婆様、何が見えているの?」


 カイルの方が青ざめていた。


「内緒だ。お前の先見ではないし、賭けをしているからのう」

「お婆様」

「こちらの坊には、助言も先見もした。次はお前の助言にしようか」

「お婆様」

「おっと……その前に……」


 なぜだが、老婆はいきなり、部屋にあった液体のはいった革袋の水筒を丁寧に布に包みだした。


「お婆様、何してるの」

手土産てみやげを用意しとる」

手土産てみやげ?」

「お茶が飲めないなら、手土産てみやげに限るだろう」


 お茶が飲めないとはどういう意味だ、とカイルが問いかける前に、カイルの背後に虎姿のウールヴェが出現した。

 意識をのせているディム・トゥーラの方も、着地点が若長の家でないことに困惑しているようだった。


「ディム……」


『失礼した。無断侵入になってしまった』


 ディム・トゥーラは家の主人と判断した老婆に対して、丁寧に詫びた。


「かまわんよ。天上の賢者よ。お茶が出せぬ代わりに、手土産てみやげで許してくれ」


手土産てみやげ?』


「極上の米の発酵酒だ」


『………………………………』

「………………………………」


 ディム・トゥーラとカイルの困惑度合いは最高指数を示した。


『一応、聞いてもいいだろうか?なぜ、酒?』


「必要だろう?」


『必要というか、必要じゃないというか……』


「こいつは、西の地に古来から伝わる幻の技法で作ったものでのう。こういう秘伝の発酵酒があることは東国イストレの商人ですら知らん。世界の番人の飲み物、精霊の飲み物、賢者の飲み物とまで言われている代物じゃ」


『………………………………多分、三番目だな。おまけにどうやって幻の技法が伝授されたかも、なんとなく心当たりがある』


 ウールヴェはやや遠い目をして、ぼそりと思念をもらした。


「袖の下は、常に用意しておくべきだ」


『――』

「――」


 袖の下を使う相手が誰かは、カイルとディム・トゥーラだけにはわかった。


『……ありがたく頂戴ちょうだいしておこう……』


 カイルは虎が背負っている折りたたまれた巨大な加工紙をはずして、その代わりにナーヤが用意した酒の革袋が入った布を括り付けた。

 加工紙には、カイルの描いた地図が正確に転写され一枚の巨大図としてまとめられていた。

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