第24話 変革⑪

 カイルは、虎の背にまとめた地図を丸めてくくりつけた。ウールヴェの茶色の瞳がカイルを見つめた。


『1時間ぐらいこのまま、ここにいてくれ。すぐに複製コピーを作ってくる』


「うん、待っている」

「あ、待ってください!僕をエトゥールに送ってからにしてください!」


 クトリの懇願こんがんは一瞬遅かった。ディム・トゥーラのウールヴェは空間を跳躍ちょうやくしてしまった。


「あああああ」


 クトリは絶望の叫びをあげた。それから半べその顔でカイルを振り返った。


「まあまあ、クトリ。あとでちゃんと送ってあげるよ。たまには外の散歩も必要だと思うなぁ」

「それはカイルの手助けをするときに限るのでしょう?」

「そんなことないよ」


 カイルは嘘くさい笑顔で応じた。クトリはカイルの長衣ローブの袖をしっかりとつかんだ。


「エトゥールに戻るまで、僕のそばにいてください」

「そんな大げさな……。西の地の言語は覚えているだろう?」

「怖い物は怖いんです。イーレがいっぱいいる国だって聞いてます」


 クトリの言葉に、同席している若長ハーレイの方が、ぷっと笑いをらした。


「イーレがいっぱいいたら、確かに俺でも怖いな」

「ハーレイ」

「待ってる間に、イーレより怖いナーヤ婆のところに行くか」

「イーレより怖い人物がいるんですか?!」

「ハーレイ、クトリをからかわないで。本気にしちゃうでしょ?」

「俺はいつでも本当のことしか言わないが?」


 ハーレイは真顔で答えた。




 

 おびえたクトリは、若長の家に一人で残るか、カイルのナーヤ婆訪問に同行するかの究極の選択を迫られたが、カイルに同行することを選んだ。「イーレより怖い人物」という評に、怖い物みたさの好奇心が勝ったのかもしれない。

 いつものようにナーヤは客人達の来訪を先見しており、人数分のお茶が用意されていた。

 三人は老婆の前に腰をおろした。


「なんだ、イーレより、はるかに優しそうなご婦人じゃないですか」


 ほっとしたようなクトリのつぶやきに、ナーヤは優しい微笑で応じた。

 カイルとハーレイは、老婆の上の巨大な猫のかぶり物を見たような気がして、顔を見合わせた。

 

「天上の賢者は帰ったか」

「うん、ナーヤお婆様、こちら、僕の同僚のクトリ・ロダス」

「初めまして」


 クトリの丁寧な会釈えしゃくにナーヤは再び穏やかな微笑を浮かべた。


「天候をつかさどる賢者だな」

「よく、ご存じで」

「ナーヤお婆様の能力だよ」

「全然怖い方ではないですね。カイル、僕をだましましたね?」

「僕が言ったわけじゃない」


 クトリに抗議されたが、ハーレイとカイルの脳裏には「知らぬが仏」という単語がよぎった。

 ナーヤのハンドサインが動いた。「余計なことを言うな」だった。

 カイルは咳払せきばらいで場を誤魔化ごまかした。


「えっと、ナーヤのお婆様、僕を呼んでたよね?話はなんだろう?」

「まずはそちらの用件を片付けようか」


 カイルは話の切り出し方を考えたか、結局そのままストレートに相談することにした。


「ナーヤお婆様、大災厄で何か先見さきみはないかな?」

「……」

「どんなことでもいいんだ。僕達は何か見落としていないだろうか。初代が『しくじった』というような見落としが」

「……」

「それともこれは、初代も世界の番人も語りたくないことのたぐいかな?」

「……」


 誓約せいやくがあるのだろうか、カイルが諦めかけた時、ナーヤはいきなりカイルに話しかけた。


「賢者よ」

「はい」

「お前はよくやっている。非常によくやっている」

「お婆様?」

「人の犠牲をよく、ここまでおさえたものだ。しかも宿敵にまで手をさしのべている」

「……それはいけないこと?」

「因縁のある人にはできないことだ。それが成長につながるとしても。その典型的な見本が隣におる」

 

 カイルは思わず隣に座るハーレイを見た。


「ハーレイ?」

「憎しみの塊だった男が、見事に成長したのぅ。お前の絵で」

「僕の絵?」


 珍しくハーレイは赤面していた。


「ナーヤ婆、あまり語らないでくれ」

「いやいや、今、語らずにいつ語る」

「僕の絵って?」

「……エトゥールと揉めているときに、俺の記憶を見ただろう?その時、死んだ妻と子を描いてくれた」

「ハーレイが欲しがった絵?」

「そうだ。あまりにも見事だから、カイルの不思議な能力を信じるきっかけにもなったな。あの絵を見たら、いろいろ思い出したんだ。妻や子供と過ごした貴重な時間の思い出を。俺は生きるために、憎しみに縋るしかなかったが、それと引き換えに忘れていたことも多数あった」


 カイルは、ハーレイをじっと見つめた。西の民の若長には、初めて会った頃に渦巻いていた怒りと憎悪、後悔や深い悲しみの影は消え、それ自体がかてのように見事に溶け込んでいた。


「僕よりハーレイの方が、はるかに優秀だよ。僕はエトゥールの宿敵カストに手を貸しているけど、当事者じゃないから、できることだと思う。ファーレンシアがカストに殺されていたら、僕自身がカストを許せて歩み寄れたかは、はなはだ疑問だ」


 カイルはナーヤに向き直った。


「ナーヤお婆様、これと先見にはどういう関係が?」


 ナーヤはカイルを見つめた。


「未来は一つではない」

「うん」

「人々の選択により未来が選ばれる」

「うん」

「お前がどんなに頑張っても、あらがえない運命はある」

「――」

「それで、おのれめるのはやめろ」


 カイルは視線を落とした。


「……僕が自分を責めてしまうような事態じたいになるんだね」


 ナーヤは答えなかった。


「あんまり明るい未来じゃないことはわかった」


 カイルは苦笑した。


占者せんじゃとして語れないのなら、なにかお婆様個人の言葉をちょうだい」

「あたしゃのか?」


 ナーヤは意表を突かれた顔をした。


「長く生きた経験からくる助言でいいよ」

「お前の方がはるかに年上だろ」

「ばれてた……」

「まあ、お前の助言の前に、そちらのぼんに一つ先見と助言をやろう」


 ナーヤは唐突にクトリの方を向いた。


「ぼ、僕ですか?」


 いきなり話題をふられて、クトリは緊張のあまり背筋を伸ばした。


「お前さんは、人付き合いが苦手だろう」


 図星をさされて、クトリはほほを染めた。


「……確かに部屋で研究をしている方が楽です」

「だが、人に認めてもらいたいという葛藤かっとうがある」

「……あるかもれしれません」

「外を怖がっておる」

「怖いじゃないですか!暴力にあふれてる!人は嘘つきでだますし」

「あー、お婆様、彼は初めて降り立った地が東国イストレで、怖い目にあって、結構心的外傷トラウマを負っているんだ」

「そりゃあ、いい経験をしたな」

「はあ?!」


 クトリは目をいた。


「どこが、いい経験なんですか?暴力と嘘と強奪ごうだつの世界ですよ?!地上人なんか信じられない!!」

「だが、自分の生活が恵まれたものであることに気づいただろう?」

「――」

「それが学びじゃ」


 クトリは老婆の指導に狼狽えたようだった。


「そ、そんなこと学びたくなかったです」

「だいたい、天候だってはるかに暴力的だろう。嵐は家を壊し、川をあふれさせて物を流し、山は崩れて埋める」

「そんなことありません。ちゃんと法則性があって予想できるんです。人間よりはるかに従順です」

「クトリ、自然災害を従順というのはどうかと思う」


 カイルは思わず突っ込んだが、すぐにクトリは反論した。


「従順ですよ!観測データは、嘘をつかない。予想ができて、対処できるんです。理解できるし、わからないことは調べればいい」

「人間関係も同じじゃな。わからなければ、調べればいい」

「――」


 ナーヤの言葉にクトリは絶句した。老婆の助言は予想外のものばかりだった。

 クトリは必至に反論した。


「に、人間関係は、直接僕自身が被害を受けるじゃないですか!」

「天候の被害に対してはどうしてるんじゃ」

「備えればいいだけです」

「そうすればいいだろう?」

「――」


 クトリは黙り込んだ。しばらくの沈黙のあと、彼は震える声で答えた。


「……僕には人に対する備え方がわかりません。カイルのように魅力的でもないし、ディム・トゥーラのように指導者の素質もない。人が怖いし、天候の知識しかないし、会話も下手だし……」

「そこじゃな」

「どこです?」

「まずは一つ目、天候の知識『しか』ない。その認識が間違いじゃ。天候の知識『が』ある。自分の才を誇れ。それはお前の武器だ。お前の価値を見誤るな。お前のまず、すべきことは自分のり方を見つめなおし、認めることだ」

「……認めるって……」

「お前さん、自分が嫌いじゃろ?」

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