第17話 変革④

「あ、あの……」


 カストの痩せこけた老婦が、カイルの逆鱗げきりんおびえながらすすみでた。


「お、恐れながら、も、申し上げます。彼女を、お、怒らないで、いただけませんか?」

「お祖母ちゃん、処刑されるよっ!」

「彼女は――その姫様と知らずに無礼ぶれいしましたが――私達の面倒めんどうをとても、よく見てくださいました」


 孫らしき少年が、慌てて飛び出してきて老婆をかばうように彼女の前にでて、さえぎった。少年もカイルを見て怯えている。


 ああ、カストでは、貴族に進言することは処刑されるような不敬なのか――と、カイルは気が付いた。 

 初めてあった頃の、いちで身分差を越えて平民と対話するセオディア・メレ・エトゥールの姿が、カイルの脳裏に浮かんで消えた。

 カイルは、勇気ある嘆願たんがん狼狽うろたえた。


「……ぼ、僕は怒っているわけでは――」

「いや、怒っているだろう」


 ハーレイが突っ込んだ。


「長年の対立を考えれば、カイルの心配もわかるが、そこは若長の俺が、姫の安全を保障しよう」

「ハーレイ、そういう問題ではなく――」

「彼女のおかげで命をとりとめたものもいます。敵国の住人わたしたちへのほどこしで、その子――いや、姫様がしかられれのは、いたたまれません」

「お祖母ちゃんっ!」


 孫の静止を無視して、老婦人は切々と訴えた。


「カストから逃れてきた、あせほこりにまみれた我々の世話を治癒師とともにずっとしてくださいました。赤子あかごのための山羊やぎのミルクまで用意してくださったよく気のつく侍女だと、みな感心しておりました。言葉も理解してくれて、どんなに助かったことか……」

「…………」


 なんとなくカイルにも事情が見えてきた。

 失念していた言語の問題だ。


 精神感応テレパシーや学習能力に秀でているカイル達は、言語による壁を超越ちょうえつしている。だが、敵国だったカストの言語を使えるものは、主に前線に立つ第一兵団やメレ・エトゥールの一部の側近ぐらいで、アドリーには、ほぼいなかった。

 ファーレンシアは意思の疎通そつうもままならない避難民の通訳を自ら買ってでたのだろう。


 カイルは、問題が山積みであることにため息をついた。

 老婦や周囲の人間は、カイルの反応をおびえながら待っていた。


「……事情はわかりました。彼女を叱りません」


 アドリー辺境伯の英断に、驚いたような気配があった。

 貴族が平民の老婆の懇願を聞き入れるなど、カストではありえないことだった。侍女のマリカも専属護衛達も、カイルの怒りが収まり、ほっとしたようだった。


「ただ、この居留地が治安が不安定であるし、彼女は僕にとって、かけがえのないとても大切な人なので、何かあったらと心配で――」


 カイルの言い訳に、何か妙な空気が流れた。


「?」


 ふりむくと、ファーレンシアが目をきらきらとさせて、カイルを見上げていた。


「カイル様、もう一度言ってくださいな」

「は?」

「もう一度、聞きたいと思います」

「何を?」

「今の言葉を」

「……事情はわかった、と」

「そのあと!」

「……彼女を叱りません?」

「もうちょっと先」

「この居留地きょりゅうち治安ちあんが不安定で――」

「そのあとです!」

「――」

 

 カイルは口をつぐんだ。顔に血が上ることを感じた。

 自分はカストの民に何を語ろうとしていたんだ。弱点を晒してどうする。なぜ、こんなにもファーレンシアは嬉しそうな顔をしているのだ。

 前にもこんなことがあったような気がする。


「カイル様?」 

「と、とにかく、彼女がここに出入りするのは、若長が同行しているときだけ、認めます」

「俺の実力を買ってくれるのだな。で、治安が不安定で、なんだっけな?」


 ハーレイもにやにやとしている。カイルは揶揄やゆする西の民をにらんだ。


「ハーレイ、後で話し合おう」

「おお、怖い怖い」

「ファーレンシアは、こっち。あの――とにかく、彼女はこれ以上叱ったりしませんので、失礼しますっ!」


 賢者は青い髪の侍女の手をにぎり、そのまま拉致らちって逃亡をはかった。そのあとを、狼と虎が追従するのを避難民達は、ぽかんと見送った。


「カイル様って、無自覚無双なのに、どうして自覚すると照れてしまわれるのかしら」


 残されたマリカがぼそりと感想を漏らす。


「無自覚無双はカイル様の専売特許だが、自覚すると照れるのは、男の共通仕様ではないかな?衆人環視しゅうじんかんしであの惚気のろけを再度しろとは、もはや罰ゲームだろう」


 同じく取り残されたミナリオがぼそりと返す。


「そうですか?女性としては譲れない称賛しょうさんもの場面でしたが。シルビア様はどう思われます?」

「どうもこうも、カイルが単にヘタレなだけです」


 意見を求められた治癒師は、英知を司る賢者カイルおとしめた。





 カイルは、ファーレンシアの手を握り、アドリーの国境門から階段をのぼり、長い城壁じょうへき回廊かいろうをずんずんと歩いて行った。


「カイル様」

「……」

「カイル様」

「……」


『カイル、姫は手が痛いようだ』


 ディム・トゥーラの助言に、カイルは慌ててファーレンシアの手を離した。カイルが強く握っていたため、ファーレンシアの手にはくっきりと指のあとが赤くついてた。


「ご、ごめん」

「大丈夫です、カイル様。――それよりお客様がお待ちかねです」

「僕は君と話し合いたい。ガルース将軍には、しばらく待っていただいて――」

「私との話し合いも後回しになるでしょう。お客様はアードゥル様とミオラス様、エルネストです」


 相変わらず、ファーレンシアはエルネストだけは呼び捨てだった。

 カイルは硬直した。


 カストの避難民問題を解決するために、強引に説き伏せ、旧式とはいえ、移動装置ポータルを調達したことは、ほんの数週間前だ。

 カストの祖は、500年前にアードゥルの妻を殺害した氏族の生き残りだ。今回の一連の助成じょせいは、アードゥルにとって不本意極まるに違いない。

 少なくとも、アドリーに乗り込んでくるほど、と言えた。


粗相そそうのないよう、おもてなしをしておりましたが、将軍より先の優先順位となりましょう」

「……彼等はなんか言っていた?」

「代表的なものでよろしいですか?」

「代表的?」

「『大馬鹿者』と」

「――」

「同義語としての言葉で、愚か者とか、お人好しとか、過労死してしまえ、あとは、婦人が口にするにははばかれる罵詈雑言ばりぞうごんが続きました」

「――それを今から、なまで聞かされるのか……」


 カイルは前髪をかきあげ、うめいた。


『彼等はどこに?』


 ウールヴェ姿のディム・トゥーラは、ファーレンシアに尋ねた。


「執務室に近い3階の客間です。ちなみにカストの将軍閣下御一行は出入りがしやすい1階の客間にご案内しています」


『俺が先に行ってよう。話すべきこともあるし――トゥーラ、二人の警護けいごはできるか?』


――まかせて


『カイル、いちゃつきは、30分までだ。時間厳守しろ』


「い、いちゃつき?!」


 カイルが顔を真っ赤にして抗議する前に、虎は空間を跳躍ちょうやくしてしまった。


「ちょっと、ディム?!」

「カイル様、この30分は貴重です」

「ファーレンシア?」

「叱らないと宣言した手前、まさかお小言こごとではありませんわよね?避難所の維持管理をつとめたできる未来の妻にご褒美ほうびは、ございませんの?」

「できる妻って、自分で言う?!いや、確かにできすぎる妻だけど、イーレの悪影響を受けていない?!」

「ここしばらくのイーレ様の助言は、とてもためになるものでした」


 ファーレンシアは否定しなかった。

 その内容を想像して、カイルはおびえた。


「さあ、ここには人目ひとめはありません。トゥーラも見てみぬふりをしてくれます。先程のように抱きしめてください」

「うっ……」


 ファーレンシアは辛抱強く待っていた。

 カイルはゆっくりと近づいて、少女の身体を抱きしめた。


「いったい、イーレは何をふきこんだんだ?」

「『夫を甘やかすな』『厳しくしつけろ』それから――」

「それから?」

「『スキンシップの機会を逃すな』」

「――」


 カイルは全面降伏ぜんめんこうふくをし、歩兵の巡回がないことを念の為確認してから、その唇にキスを落とした。






「なんだ、支援追跡者ほごしゃか」


 部屋に出現したウールヴェを見て、アードゥルはそっけなく言った。


『保護者って言うな』


 ディム・トゥーラは、むっとしたように応じた。


「保護者を保護者と言って、何が悪い」


『俺はカイルの保護者じゃない』


「確かに子供ガキの我儘を抑えきれないようなら、保護者失格だな」


『なんだと?』


「アードゥル、彼に八つ当たりをしない。君こそ子供のようだ。すまない、ディム・トゥーラ、アードゥルはこの通り、諸事情で機嫌が悪い」


 二人を取りなしたのは、エルネストだった。


『……まあ、事情は察する』


「カストを叩きに行くかと思ったら、避難民の誘導だと?お人好しにも、ほどがあるっ!」


『カイルが戦争を好んで仕掛けるタイプに見えるか?』


「まあ、確かに」


 エルネストの方が同意した。


「彼は天然記念物並みのお人好しだろう」


 エルネストの意見に、大きな息をついたのはアードゥルの方だった。


「ロニオスには、全くない素質そしつが、全部息子の方に流れたのか?」


『……えらい、言われようだな……。しかも、何気に親の方が酷評こくひょうされている』


「本人はどうした?」


 イライラしたようにアードゥルは聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る