第16話 変革③

 だが、ディヴィは妻がためらった言葉を口にした。


「王ならやりかねない」

「ディヴィ!」

「大丈夫だ。皮肉なことに、ここでは発言も自由だぜ」

「でも――」


 マリエンはそこで気づいた。

 副官と妻の会話は観衆に筒抜つつぬけのはずだったが、周囲の誰も不敬だ、反逆だとは騒ぎ立てない。

 ガルース将軍もエトゥールの賢者もとがめることなく、二人の会話を見守っていた。


「俺達は災厄さいやくを生き延びるために全力をつくすだけだ。問題は別にあるんだ」

「別?」

「長年、我々はエトゥールと敵対してきた。遺恨いこんもある。今回、直接ではなく、賢者を通じてとはいえ、そのエトゥールの協力をよしとしない者は一定数でてくるだろう。そして、それはエトゥール側にも言えることなんだ」

「あ……」


 マリエンもようやくその問題の方が大きいことに気づいた。

 エトゥールとの数年前の戦争で、カストは大敗し、戦死者も多かった。ディヴィはガルース将軍の不参戦のため、戦死をまぬがれたにすぎない。

 もし、ディヴィが戦死していたら、エトゥール人を激しく憎んでいたに違いない。こんな風に避難の援助を受けるのは、屈辱くつじょくだったかも知れない。

 マリエンが思わず周囲を見渡すと、何人かが視線をそらした。


「今、たみの対立は避けなければならない。災厄に国境は無関係だ。だが親兄弟を戦争で殺された者を納得させるのは、至難しなんわざだ。今は西の地にカストの避難民、城壁を隔てて、アドリー城下にエトゥールの避難民と住み分けているが、いついさかいが起きても不思議じゃない」

「確かに一番の問題はそれです」


 くだんの賢者の青年はディヴィの背後で言った。


「エトゥール側の出している条件は、エトゥール人に危害を加えないことです。それが守られないなら、この地を去っていただきます。あと、僕はあなた方に問い正したい。戦争で遺恨いこんがあるというが、いつまでそれをひきずるのか、と。十年?二十年?それとも五十年?子供や孫の代まで、民族の対立を残すつもりですか?」


 カイルの言葉に広場はシーンとなった。


「災厄後、遺恨いこんを乗り越え、協力をして国を立て直すのか、好きな道を選んでください。僕達は選択に干渉しません」

「……遺恨いこんがあるのなら?」


 マリエンの質問に、賢者は苦笑した。


「この地を去ることをおすすめします。正直に言いましょう。エトゥール側も災厄さいやくの対処に忙しく、戦争をしている暇などありません。いや、世界中、争いごとをしている暇はなくなるでしょう。過去の遺恨にこだわっているうちに、死ぬのが関の山でしょう」


 冷淡ともいえる青年の言葉だった。


「カイル」


 背後から、シルビアがたしなめる。


「もう少し優しい言葉を考えてください。彼等も混乱しているのですよ」

「混乱しているなら、もう少し状況を正確に見極めてほしいだけだよ」


 カイルはそっけなく答えた。

 シルビアはあきらめの吐息を漏らし、副官夫婦の方に向き直った。


「すみません、彼はエトゥール王の妹姫にぞっこんなので、カストの民に彼女が邪教の姫巫女扱いされるのに、腹をたてているのです」

「な――」


 シルビアの言葉に、カイルの方が絶句した。


「何を言い出すんだ?!」

「事実でしょう?違いますか?」

「いや、確かに腹立たしいけど――」

「私がどうかしましたか?」


 エトゥールの侍女のお仕着しきせを着た少女が、近くの天幕から出てきた。

 カストの避難民には顔なじみになりつつあった青い髪の侍女が、賢者に話しかけるのを周囲の人間は不思議に思った。

 とんでもない場所からとんでもない人物が出現して、これには、カイルもシルビアもギョッとした。


「ファーレンシア?!」

「ファーレンシア様?!」

「お帰りなさいませ、カイル様」

「いったい、何をしているんだ?!」

「シルビア様が不在でしたので、怪我人けがにんの手当を」

「なんで、そんな格好に!」

「ドレスで治療をするわけにはいきませんでしょう?目立ちますし」

「治療…………侍女と専属護衛は何をしているんだ?!」

「カイル様、すみません……若長が同行するから、と説き伏せられました……」


 天幕の中から、マリカと専属護衛達がゾロゾロと罪人のように、自首してきた。アドリー辺境伯の叱責しっせきを覚悟するかのように、ファーレンシアと対照的に項垂うなだれた。

 一方、エトゥールの姫君は、侍女のお仕着せのまま、優雅にガルース将軍に挨拶をした。


「お帰りなさいませ、ガルース将軍閣下」

「エル・エトゥール、なぜ、こんなところに……」

「怪我人が多かったから、手伝いに参りました」

「姫自ら?」

「はい」

「なぜ?」

怪我人けがにんや栄養失調の病人がいれば、手を差し伸べるのは当然です」

「だが、我々はカスト人だ」

「そうですね。でもこの窮状きゅうじょうを見捨てる隣人りんじんをカストの民は信頼することができるでしょうか?」

「――」

「賢者の言っていることは、とても難しい内容です。今まで、侵略され、蛮行ばんこうを数多く受けた側として、カストを許すことは、本当にとても難しい。許すことや歩み寄る行為は気高いかもしれませんが、気持ちがついていきません。まるで乗り越えることができないかべのようです。所詮しょせん、異国の賢者メレ・アイフェスの言うこと――そういう者まででている始末です。ですから、私達も正直にカイル様にそう伝えたのです。そうしたら、カイル様はなんとおっしゃったと思います?」

 

 姫は少し思い出し笑いをした。


「それでもいい、と」

「――」

「許すとか歩み寄る行為は、気持ちの落としどころを見つけることなので、許せないという気持ちは一つの結論だと。それはそれでいいから、考えることをやめないでほしいとおっしゃいました。考えるという行為は階段を作る行為そのものだそうです。どんなに高い壁でも、考えて、考えて、考えて、階段を作り続ければ、高い壁を越えた先に広がる美しい光景を見ることができるそうです」


 ファーレンシアは、ガルースににっこりと微笑んだ。


「私は、カイル様とその光景を見てみたいと思いました」

「――」

「怪我人や病人の手当は、階段を作る行為にすぎません。エトゥール側にも、理想論だ、とか、偽善者とか、ののしる者も多いのも事実です。実際、カスト側からも異教徒の助けを借りたくないと罵倒を受けました。こうして、ガルース将軍閣下と対話をするのも、下心したごころ満載なのですよ」

「下心?」

「ガルース将軍も階段づくりに参加してくだされば、壁は案外早く越えられそうだと」


 エトゥールの姫は悪戯っぽく、老軍人を伺い見た。


「治療の最中、将軍閣下の人となりを皆さまに尋ねてみました。もう、それは大人気――カスト王に妬まれ、追放同然のき目に会うのも無理はございません。将軍閣下は勇猛ゆうもうで実直で不器用ぶきようではありませんか?」


 ガルースの隣にいつのまにディヴィが立っており、エトゥールの言葉にうんうんと深くうなずいている。

 ガルースは副官の足を踏んだ。


「それで、私の人となりがなんだと?」

「将軍閣下の人望に賭けてみたくなりましたの。カスト軍を総ていた閣下なら、こちらにいる避難民を統率していただくことは、容易たやすいことでしょう?そういう下心です」


 ガルースは精霊の姫巫女と呼ばれる少女が、政治的センスを持ち合わせていることを悟った。


「……さすがは、メレ・エトゥールの妹姫だ」

「……その言葉に、腹黒や鬼畜の意が込められているのなら、断固拒否いたしますわよ?」


 将軍の感嘆の呟きに、少女は真顔で切り返した。それからファーレンシアは周囲を見渡し提案した。


「続きは、アドリーの館でカイル様をまじえて、お話しましょう。私はいかれる未来の夫を鎮めねばなりません」

「そうだな……」


 あれほど、叡智えいちに満ち溢れていた賢者は、露骨ろこつに不機嫌だった。彼に従っている狼と虎のウールヴェが、困ったように主人を見上げていた。


 侍女がガルース達一行をアドリーの国境門の方に誘導すると、カイルがすぐにファーレンシアの元に飛んできた。


「ファーレンシア」

「お帰りなさいませ、カイル様。ご不在はとても寂しかったので、お帰りをとても嬉しく思います」


 あふれるような笑顔を見せて、ファーレンシアは先手を打った。

 カイルがぐっと詰まる。


「……ただいま。――いや、そうではなく」

「久しぶりに会ったのに、抱きしめて下さらないの?」


 しょんぼりとしたファーレンシアの言葉に、カイルは反射的に少女をハグしたが、衆人環視しゅうじんかんしの元であることに気づいて、すぐに身体を離し、ファーレンシアの肩をつかんだ。


「なぜ、こんな危険なことを」

「まあ、カイル様、若長が同行しているのに、危険と言うのは、西の民にとって、決闘ものの侮辱ぶじょくですわよ?」

「もちろん、俺は友の失言を心広く許そう」


 天幕から西の民の若長ハーレイが出てきた。


「ハーレイ、僕の心情はわかっているだろう?!」

「姫に入れ知恵したのは、イーレだ」

「イーレ!!」

「イーレはカイルの帰還と同時に逃げている。素晴らしい本能だ」

「そこ、めるところじゃない!」


 カイルはいきりたった。


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