第15話 変革②

 研究バカである研究都市の住人は、未知の分野の探究たんきゅうが本業でもある。ある意味、知識欲の権化でもあり、彼らが恐れるのは、知識の不足だ。それはガルースの説明と一致している。


 カイルが精霊鷹から逃げ回ったのも、カイルの世界ではない存在だったからで、無知からくる恐怖そのものと言っても過言ではない。

 確かに滞在中の経験と、接触により、精霊や世界の番人に対する拒否感は消えている。ガルースの論説は支持できるものだった。

 ディム・トゥーラも静聴せいちょうしていた。


「……知れば恐怖はなくなると?」

「そうだろう?戦場で一番の恐怖はなんだと思う?相手の戦力、戦術がわからないことだ。前回のエトゥールとの戦争を例にとれば、エトゥール側が、小規模な部隊を運用して、補給部隊への奇襲や斥侯せっこう部隊の分断、攪乱かくらん、攻撃を行ってきた。今までにない戦術による典型的な消耗戦と神経戦で、カスト側は翻弄ほんろうされていた。まあ、エトゥール側が精巧な地図を持っていたと仮定するなら、当然の戦法だ。私でもそうする。だが、それを知らなかったカスト側の恐怖感は最高に達していただろうな」

「……他人事たにんごとのようにおっしゃいますね?」

「あれは、私が指揮していたわけではない」

「というと?」

「当時、私は妻を亡くし、1年間に服していた。カスト独特の儀礼的禁忌状態で、戦場に出ることはけがれを撒き散らし死者を増やすとされ、禁じられている」

「え?カストは、まさか、大将軍不在でエトゥールに戦争をしかけたのですか?」


 カイルはあまりの非常識さにぽかんとした。


「メレ・エトゥールは、戦場で私の不在を悟ったようだが?敗走するカスト軍を完膚かんぷなきまでに叩きのめしたからな」


 

『カイル』



 ディム・トゥーラの呼びかけに、カイルは、はっとした。


「えっと……興味深い話なので、続きはアドリーで、ぜひ」

「かまわん。移動するかね?」

「はい」

「ディヴィ!」


 ガルースは、副官夫婦を呼んだ。その娘も、ウールヴェのトゥーラとともに、ついてきた。少女の持つおけは、空になっていた。

 ディヴィ副官の右頬には、くっきりはっきりと赤い手形が残されていた。妻の平手打ちを喰らったことは、間違いなかった。


「移動するぞ」

「げっ」


 うんざりとした表情をディヴィは浮かべた。


「いいかげん慣れろ」

「魔獣に乗るよりマシですが、慣れないものは慣れません」

「あれ?奥様と娘さんの幸せのためなら、魔獣に乗ることはいとわないって、いいませんでしたっけ?」

「ほほう」

「今、ここで言うなっ!」


 賢者の暴露ばくろにディヴィは怒鳴ったが、マリエンは少し顔を赤らめ、視線は柔らかくなった。夫の株が急上昇した気配があった。

 ダナティエは、ちょっとはしゃいだように父親にたずねた。


「お父さん、また狼の背に乗るの?」

「そうじゃない。それに魔獣の背中に乗ることに嬉々とするな」

「え〜〜〜人によく慣れた賢い狼よ。また乗りたいわ」


――魔獣じゃないよ ウールヴェだよ


 謎の声に、マリエンとダナティエは固まった。


「あ、あなた……」

「ああ、落ち着け、マリエン、大丈夫だ」

「すっごぉぉぉいっ」

「ダナティエ?」


 ダナティエは、悲鳴をあげるかと思いきや、興奮して目を輝かせた。


「お父さんっ!すごいっ!この子、しゃべった!やっぱり賢いっ!」

「魔獣がしゃべることを簡単に受けいれるなっ!」

「え?だって、喋っているよ?!」


――よくできる賢い代表


「やっぱり、喋ってるっ!魔獣でも、賢いっ!お父さん、すごいよっ!」


 娘の予想外の興奮ぶりに、絶望したようにディヴィは空を仰いだ。





「えっと……大胆な娘さんですね?」


 カイルはディヴィではなく、傍に立つガルースに小声で感想を述べた。カストでは、禁忌とされるウールヴェに対して好意的な反応に思えるのは気のせいだろうか?


「そうだな。確かにきもが座っている」

「カストでは、確か魔獣ですよね?」

「そうなる」

「エトゥールで例えるなら、四つ目を褒めてコミュニケーションをとろうとしているようなものですよね?」

「上手い表現だ。だが、いいかもしれない」

「はい?」

「どうだろう、彼女にもウールヴェの幼体ようたいを与えてみないかね?」


 副官が発狂しそうな提案をガルースはカイルに言った。だが、カイルの注意をひいた点は別だった。


「もちろん、私が幼体を所持する第1号だ。知らないものは学ぶべきだし、安全を確認しないと部下達には与えられん」


 大胆不適だいたんふてき元祖がんそのような老軍人の発言に、カイルは呆気にとられた。


 ウールヴェの幼体は、商人が流通しているもので、購買に制限をかけられるものではない。大陸にいちなどで流通しているありふれたもので、しんに使いこなすができる人間が少数なだけだ。


 ガルースがウールヴェを入手することを止める手段と理由は、カイルにはなかった。

 カイルは頭がクラクラしてきた。カストの老軍人の順応力が異様に高すぎて、想像以上に限界突破していた。

 ウールヴェの件はどうしたらいいのだろうか。



『この件は保留にしておけ。とりあえず安全な場所に移動することを優先にしろ』



「と、とりあえず、皆で移動しましょう」


 ディム・トゥーラのアドバイスを受け、動揺どうようを隠せないまま、カイルは西の民が作った巨大な天幕テントを指差した。


 中で休憩できるかと思ったマリエンとダナティエは、足を踏みいれて唖然あぜんとした。

 百人ぐらいは、楽に収容できそうな巨大天幕の中には、何もなかった。何本かの太い木材が天幕の支柱としてあるだけで、中は全くのがらんどうであり、床は土のままだった。


「え?こんなに大きいのに無人なの?水桶みずおけ一つないの?」

「エトゥールに避難ひなんした人達はどこに行ったのですか?」

「今からそこに行きます」

「そこってどこ?」


 ダナティエの質問に、賢者メレ・アイフェスは、にこりと笑っただけだった。


「シルビア、いい?」

「はい」


 シルビアが地面に手をつくと、地面は金色の光を帯びた。手をついた場所から同心円状にゆっくりと、波のように金色のさざ波が広がった。

 何が起こっているのか理解できずに、ディヴィの妻子は軽く口をあけて固まっていた。


「これは、我々の技術で、禁忌きんきとされる精霊とは無関係なので、ご安心を」


 マリエンは光の変化におびえ、夫にしがみつき、対照的に娘のダナティエは、しゃがんで、賢者と同じように地面に手を触れたりしていた。

 好奇心こうきしん旺盛おうせいな研究者向きのタイプだ、と移動装置ポータルを起動を見守りながら、カイルは副官ディヴィの娘の性格診断をした。


 天幕テント内部が金色の光に完全に満たされた時、天幕テントの外からのざわめきが生まれていた。


「?」


 ガルースとディヴィに導かれるように、天幕テントの外にでたマリエンとダナティエは絶句した。


 先ほどまで、エトゥール内の国境そばの荒野にいたのに、光景はがらりと変わり、そこは見知らぬ城壁そばの駄々広い空き地だった。深い森のそばで、森の一部を切り開いた開拓地であることは明白だった。

 境界に高い城壁と城門がみえた。


 だが、そこは正確には空き地ではなかった。

 ところせましと多数の天幕がひしめき、多くの人がいた。大半はカスト人であり、警備している西の民とエトゥール人がちらほら見えた。


「ガルース将軍っ!!」

「将軍閣下っ!!」

「ディヴィ副官っ!」

 

 大歓声だいかんせいで一行は迎えられた。


「ご無事で何よりですっ!」

「お帰りなさいっ!」

 

 マリエンは混乱した。夫の部下達の家族の顔が見えたような気もした。唐突な多数の顔見知りの出現が信じられなかった。

 彼らはどこから現れたのだろうか?


「え?え?え?」


 彼女は思わず横にいる夫の腕をつかんだ。

 夢を見ていたというオチだけは、絶対に嫌だと彼女は思った。再会できたはずの目の前にいる夫が夢幻ゆめまぼろしだったらどうしたらいいのだろうか?

 ディヴィは妻の混乱を正確に察した。


「落ち着け、マリエン」

「夢?これは夢の世界なの?」

「大丈夫、現実だ」

「だって、荒野こうやにいたのよ?!さっきまで荒野こうやにいたわよね?!」


 ディヴィは困ったような表情を浮かべた。


「……そうだな」

「ここは、どこなの?!」

「カストよりかなり南下した位置にある、西の地とエトゥールの国境で、西の地側にいる」

「はあ?!」


 マリエンは顔を引きつらせて、思わず聞き返した。


「どういうこと?!なんで?!私達、狼に乗って国境を越えたのよね?魔獣の背に乗ったわけではなく、天幕に入っただけで、なんでこうなるの?!」


 パニックにおちいりかけているマリエンの背中をディヴィはさすった。


「大丈夫だ、大丈夫だから落ち着け。あ〜〜俺にもこの仕掛けはわからん。賢者にしか使えない技術らしい。俺達は、その……エトゥール内にいるわけにはいかんのだ」

「なんで?!」

「王が避難民を口実に、しかも犠牲にしても戦争をしかけてくるからだ」

「そりゃ――」


 あの王ならやりかねない――という発言は死罪しざいものの不敬だったため、マリエンは口をつぐんだ。

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