第8話 治療⑤

 ガルースは不覚にも手にした林檎りんごを取り落としてしまった。

 コロコロと床に転がった果物を、出現した狼に似た獣は、器用にくわえとり、むしゃむしゃと噛み砕いた。

 それから、おかわりが欲しそうにガルースを見つめ、複数ある尻尾しっぽをブンブンと振った。


「……そういうところが意地汚いじきたないって、言うんだよ」


――意地汚いじきたなくないっ!


 幻聴げんちょうかと思ったら、再び声は頭に響いた。

 副官であるディヴィは上官をかばうように、ガルースの手前にすすみでていた。恐る恐るエトゥールの賢者達にディヴィは尋ねた。


「そ、その犬がしゃべっているのか?」


――犬じゃないっ!


 ディヴィは頭に響いた声に、身体をのけらせた。


「ま、魔物――」


――魔物じゃないっ!僕には、トゥーラという名があるっ!


 きに固まっていたガルースは、テーブルの上の果物籠くだものかごから新たな林檎りんごを手にして、白い獣に差し出した。


――ありがとう


 トゥーラの辞書には「遠慮えんりょ」という文字はなかった。トゥーラは2個目の林檎りんご堪能たんのうした。

 ガルースは次の林檎りんごを手にしていた。

 将軍の暴走に青ざめたのは、副官だった。


「ちょっ――将軍っ!何やってるんですか?!」

林檎りんごだ」

「そうじゃなくっ!!魔物の餌付えづけをしないでください」


――魔物じゃなく ウールヴェだよ


 厳格な訂正の声に、ディヴィは身をすくませたが、聴こえないふりをした。


「お前も、おかしなヤツだな。戦場では、雨のように降る矢の中を特攻するくせに、賢者が所有する獣が怖いのか?」

「変な突っ込みをしないでくださいっ!こいつらは、教団が指定する魔の使いですって!魔物ですよ?!」

「……確かに食欲は魔物並みだな……」


 将軍の感想に、はじいって片手で顔をおおったのは、主人であるはずの賢者だった。


――だから 魔物じゃないって


 拒否感丸出しのディヴィの言葉に、トゥーラは答えた。


「お前なんか、魔物と一緒だっ!」


――失礼だなあ


 ウールヴェは不満げに鼻を鳴らした。


「ほら、林檎りんごをやろう」


 獣はすぐにガルースの方を向き直り、尻尾を大きく振った。


「足りなくなりそうだ……。追加をもらってもいいかね?」


 カストの将軍は専属護衛の方を向いて注文した。待機している女性の専属護衛が動いた。

 すぐに侍女達が林檎を山盛りにしたかごを複数持ってきた。その量は、日頃の獣の食欲を暗示していた。


 他の侍女達は食後のお茶の用意をした。彼女達は、目的を終えると静かに部屋から去った。

 侍女達が退室したのを確認してから、ガルースはウールヴェに話しかけた。


「トゥーラ……だったな。さわってもいいかね」

「将軍っ!」


――いいよ


 ガルースは頭に触れ、耳に触れ、手足に触れて骨格を確認した。

 カストでは魔物と定義される存在に、豪胆ごうたんに触れる老軍人にカイルは感心してしまった。大胆不敵で、さすがに将軍という地位は伊達だてではない。

 セオディア・メレ・エトゥールが、特使を殺したカストの使節団を受け入れたのは、ガルース将軍が使節団の代表だったからではないだろうか?


「カストの軍用犬ぐんようけんより骨格がしっかりしていて、デカいな」

「そうなのですか?」


――犬じゃない


「ああ、すまぬ。犬扱いしたわけではない――狼はいいのかね?」


――いいよ


「なぜ、ひょうの姿ではないのだ?」


 素朴な質問が将軍から出た。ウールヴェは考えこむように首を傾げた。


――好みの問題……?


「メレ・エトゥールの好みはひょうだっただけだと?」


――ううん ウールヴェ側の


「では、君はなぜ狼の姿なんだね?」


――えんのある姿だったから


えん?」

「エトゥールに関わった初代メレ・アイフェスのウールヴェが狼に似た姿をとっていたようです」

「ほお」


 カイルの解説に、ガルースはシルビアの方を振り返った。


「すると、貴女のウールヴェも狼型か?」


 なぜか、シルビアは質問に激しく動揺したようだった。


「い、いえ、違います」

「見ることは可能か?」

「私のウールヴェは、特におしゃべりではありませんし、名前もありませんし――」


 ゴニョゴニョとシルビアは言い訳をした。


「害さないことを約束しよう」

「いえ、そうではなく――わかりました。ここに呼ぶので、驚かないでください」


 カイルは将軍に向かって補足説明を始めた。


「女性のウールヴェは総じて小柄なことが多く、肩に乗せたり――」

「これが肩に乗るのかね?」

「え?」


 カイルは振り返って、ギョっとした。

 驚かないでください、の警告は使節団に向かってではなく、カイルに対してだったことを、今更いまさらのように悟った。


 シルビアのウールヴェは、フェレットに似た個体のはずだった。

 少し顔を赤らめている銀髪の治癒師の横には、死んだウールヴェと似た、一回り小さい白豹しろひょうが鎮座していた。


 その形態けいたいの変化の理由は、カイルには心当たりがありすぎた。

 ファーレンシアとの婚約の儀での夜の逢瀬おうせが、ファーレンシアのウールヴェの姿を劇的に変化させた。

 つまりはそういうことなのだ。


 シルビアは少しほほを染め、カイルの視線を露骨ろこつに避けていた。

 カイルは言葉が見つからず、口をパクパクとさせた。

 ミナリオがカイルに近づき、そっとささやいた。


「カイル様、このような場合、エトゥール流の礼儀として、見て見ぬふりをする、ということをします。カイル様の時も、そのようにしておりました。追求するのは、野暮やぼというものです」


 今度はカイルの方が頬を染めた。




『本当に腹芸ができないヤツだな』

『そこで、突っ込みをいれないで!!』




 カイルの動揺にカストの人々は気づかなかった。死んだウールヴェと瓜二つの小柄なウールヴェを見守っている。


「なるほど、貴女のウールヴェは、メレ・エトゥールのものと酷似こくじしているのだな」

「……はい」


 シルビアのウールヴェは、すぐに彼女の背後に隠れてしまい、使節団に近寄ろうともしなかった。


「すみません。まだ、仲間の死に動揺しているので……」

「いや、無理を言ってすまなかった」


 ガルースは、カイルのウールヴェを顧みた。


「こちらのウールヴェは人見知りしないのだな?」

「……おやつをくれる人なら誰にでもなつきます」


――そんなことないよ


 ウールヴェはガルースをじっと見つめた。ガルースはその瞳が主人と同じ金色であることに気づいた。


「こちらの言葉もよく理解している」


――よくできる代表


「――ユーモアのセンスもあるようだ」

自惚うぬぼれて、手がつけられなくなるので、それぐらいにしておいてください」


 カイルが将軍の誉め殺しに、やんわり釘をさした。


――ひどいよ かいる


「事実だろう」


 賢者とウールヴェのやりとりに、ガルースは笑った。

 

「貴重な体験をさせてもらった。感謝する」


 ガルースは二人に対して礼を述べた。


「我が国の教団の教えが偏向へんこうしていることは、よく理解できた」

「将軍!」


 ガルースの教団批判に慌てたのは部下達だった。異教徒として処断されるレベルだった。


「滅多な発言をしないでくださいっ!異端審問いたんしんもんの対象になりますっ!」

「私は異端いたんとして処分されてもいいような気分がしている」

「将軍!やめてくださいっ、」

「処分されては困ります。ガルース将軍閣下には、導いてもらわないと」

「導く?」


 ガルースは賢者の言葉を聞き咎めた。


「何をだ?」

「貴方がエトゥールに逃したカストの民をです」


 カイルは静かに答えた。

 はっ、とガルースは思い出した。

 国境付近には、多数のカストの民が避難しているのだ。

 それを口実にカスト王はエトゥールへの進軍を開始するであろう。


「大丈夫です」


 ガルースの心を読んだように、賢者は片手をあげて、ガルースのうれいを取り除こうとした。


「カストの民はすでに国境付近にはいません。安心してください。移動しました」

「移動?何を言ってる。八千近くの民を移動するなど――」


 ガルースは重要な事実を見落としていることに、ようやく気付いた。


「……今日は何日だ?」

「はい?」

「……我々はどのくらい寝ていたんだ?賢者の技術でも、一晩で目や指が治癒できると思えん。あれから何日すぎている?」

「さすがですね。目のつけどころが違います」


 将軍の推論を賞賛したのはシルビアだった。


「あの謁見の日から、十日ほど過ぎています」

「「「「なんだって?!!」」」」


 カストの使者達は絶句した。





 ガルースは混乱した。

 知らない間に時間が経過し、しかも寝て過ごしていたとは信じ難いことだった。

 だが、エトゥールに属する賢者が嘘を言う理由は、思いつかなかった。

 質問する事項が、山ほど生まれていた。


――大丈夫だよ 遅れは取り戻せる


 ウールヴェが謎に満ちた助言をした。


「……あれから十日過ぎていると?」

「はい」


 カイルは頷いた。


「……カストの民が移動したとは……?」

「貴方が危惧した通り、戦争の口実になることを回避するために、国境付近から移動してもらいました」

「……どこに?」

「西の地に」

「………………は?」


 ガルースは、ますます混乱した。


「なぜ、西の地に?いや、この短期間で西の地に移動させるのは無理だろう?距離がありすぎる」

「カストの王も、西の民相手に進軍は、できないでしょう?」


 カイルは、にっこりと微笑んでみせた。

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