第4話 治療①

 ガルースは夢を見た。

 明晰夢めいせきむで、冷静に夢を見ていることを自覚した。地平線まで穏やかな草原が広がる長閑のどかな光景を見ていた。

 夢だと思ったのは、明るいのに太陽がどこにもないことと、自分は使者として現在エトゥールにいる記憶があったからだった。


綺麗きれいな夢っすね」


 声がして、振り向くとディヴィをはじめとする部下達が立っていた。皆、ガルースがエトゥールに旅立つため、同行を申し出た面々だった。

 夢の中で「夢」と部下に指摘される。それはなかなか面白かった。


「どうして夢だと思う?」

「だって、隻眼せきがんのガルース将軍に両目がありますもん」


 指摘に驚いたガルースは、ようやく気付いた。慌てて片目ずつの視野を確認する。確かに左目の視界が確保されていた。


「驚いたな。なるほど……これはいい夢だ」

「でしょ?」


 ディヴィは笑いながら、左手をひらひら振って見せた。ディヴィの欠損けっそんした左手の小指と薬指が元に戻っていた。


「……お前の指が生えている……」

「だから夢だと言ってるじゃないっすか。身体も軽いし、こいつはいいや。別に酒も飲みたくならないし――」

「思い出した。お前は言いつけを破り、飲酒したな」

「夢の中まで、説教は勘弁かんべんですぜ?!」


 ディヴィは慌てたように、言った。


「説教ではない、私はお前の身体を心配しておる。私に残された家族と言えるべき存在は部下おまえたちだけだ」

「……じじいの殺し文句かよ……」


 ディヴィは不満そうな顔をした。


「じゃあ、このさい、言わせてもらえますがねっ!いつまであの愚王ぐおうに仕えているつもりですが!あの馬鹿は先王ではない。十分義理は果たしたでしょう?!あんたの今までの功績こうせきを無視して、あげくの果てに異国で死んでこいっ、ときた。俺達は、あの謁見えっけんの場で死んでいても不思議じゃなかった!そこまで、あの馬鹿に忠義を果たす意味がわかんねぇよ!」


 夢とはいえ、これはディヴィの本音だろう。激高げきこうぶりがリアルだった。


「そうだな。忠義は十分果たしたと思う」

たみは飢えているのに、あの馬鹿はそれを無視して贅沢三昧ぜいたくざんまいだ」

「ディヴィ、それぐらいでやめておけ」

「夢の中ぐらい、言論の自由があってもいいでしょうがっ!」


 不貞腐ふてくされたようにディヴィは、草原に寝ころんだ。現実世界では上官を前にして許されない規律違反だった。


「……俺はね、いや、俺達は、ガルース将軍、あんたに死んでもらいたくないんだ」

「――」

頑固がんこだし、鬼教官だし、禁酒を強制するし、愛想もない厳しい糞爺くそじじいだし――」

「………………おい」

「でも、最高の上官で、俺達は他の誰にもつかえる気はない。だから俺達はこの悪魔の国まで同行してきたんですよ。もう東国イストレに亡命してくれてもいいじゃないっすか」

「だがお前達には家族がいる」

「俺達は全員、離縁りえんしてきました。今頃、家族は田舎に帰っているはずです」

 

 ガルースは愕然がくぜんとした。夢とはいえ衝撃的だった。だが、ディヴィ達ならやりかねない。夢から覚めたら、確認してみる必要がある。


「これは夢だよな?」

「夢だから、俺は思いっきり不敬で斬首ざんしゅになる文句を言ってますがね?」

「いつものことじゃないか」


 ディヴィは寝ころんだままだった。ほかの面々も草原に腰を下ろし始め、二人の会話を見守っている。


「だいたい――あっ!!」


 ディヴィは跳ね起きた。

 彼の異変に全員が緊張した。


「どうした?」

「あ、あれ――」


 蒼白になって、ディヴィは草原の彼方を指さす。

 光がきらきらと輝く中、一頭の獣が広い草原を横切って疾走していた。なぜだがわからないが、その姿は喜びに満ち溢れているように感じた。

 不幸に惨殺されたエトゥールの特使である白豹しろひょうに似ていた。いや、あの白豹しろひょうに違いない。


――ありがとう かえることができた


 そんな言葉が脳裏に響いた。

 かえる?かえる?まさかこちらに礼を言ってるのではあるまいな?

 ガルースは困惑した。


「なぜ、礼を言うのだ?私達は殺した側だ」


 ガルースは思わず声に出して、聞き直した。

 死んだ白豹からの言葉をもらった恐怖心より好奇心こうきしんがまさった。白豹ウールヴェは彼方で走ることをやめ、その場に立ち止まり、遠くからガルース達を見つめていた。


「礼を言われる立場などではない」


 ガルースの問いに、声が再び頭の中に響いた。


――貴方達が殺したわけではない


 思わずガルースは部下達を振り返った。ガルースの問いかけの視線に、蒼白そうはくになってうなずいているのは、ディヴィだった。


「声が……聞こえる……」


 冷静で大胆不敵な副官がパニックに陥りかけていた。それが夢にしては、リアルだった。

 ガルースは他の部下に聞いた。


「お前達にも聞こえたか?」

「は、はい」

「頭の中にはっきりと」

「男性か女性かよくわかりませんが」

「これは夢……だよな?」


 ガルースは思わず副官に確認してしまった。


「夢に決まってるでしょ?!殺されたけものが走って、喋って――次は、こちらを食い殺しにくるのが、悪夢の定番ですって!」

「それは初耳だ」


 再び会話をこころみようとするガルースは、ディヴィが慌てて止めた。


「やめましょうっ!話しを続けるとか、話しかけるとか、話題をふるとか、絶対にやめましょう!――呪われるっ!絶対に呪われるっ!」

「だが教団が禁じる悪魔との対話なんて、夢の中でしかできないぞ?」

「夢の中でも破門はもんのレベルですって」

破門はもんか……それも悪くない」

「クソジジイっ!たまには人の忠告をきけっ!」


 ディヴィが暴言を吐いたが、ガルースは無視して、遠くの獣に話しかけた。


「私達の王が殺した」


――そう、殺したのは王だ 貴方達ではない


「私達がつかえている王だ」


――だが貴方達は、その王に逆らい、メレ・エトゥールの警告を信じ、街に住むカストの民を救った


「――」


――その時、私の死は無駄ではなくなった


――4度目の試みで民を救うことができた


――貴方達の勇気と行動力は賞賛に値する


「……私達は敵国の民だぞ」


――世界に国境をひいたのは人間のなしたこと


――私達の中に国境は存在しない


――皆、同じ地上の民だ


 ガルースは価値観の相違そういに絶句した。


「これ……本当に悪魔の使いかよ……」


 ディヴィのつぶやきの言葉が、ガルースの気持ちを正確に代弁した。

 夢の中の悪魔の使いである獣は、知的で寛容かんようで慈悲深かった。こんなことがあっていいのだろうか?


 くずれていく。今までガルースの中で信じていた世の中の教義が、崩れていくことをガルースは、はっきりと感じた。

 いや、これは夢だ。自分の罪の意識が具象化ぐしょうかしているに違いない。


――夢であり、夢ではない


 エトゥールの使者は、ガルースの心を読み取ったように言った。


「夢ではない?」


――賢者に聞いてみるといい


――私も少し貴方と、話がしてみたかった


「……なぜ?」


――貴方達は、私の亡骸なきがらを谷底に捨てることもできたからだ


――命の危険を自覚しながらもエトゥールに送り届けてくれた


――そのことに深く感謝している 


――それを伝えたかった


 夢だというのに、ガルースは底知れない敗北感を覚えた。

 悪魔の使者の方が、遥かに知的で礼節があり、高貴だった。カストの欲にまみれた司祭より、高潔ではないだろうか?


「聞きたいことがある。星はまだカストに落ちるのか?」


――賢者が知っている


――だが貴方の王は聞く耳を持たないだろう


 そうだろう、とガルース自身が思った。


「……人がたくさん死ぬと?」


――カストでは、すでにどこよりも多く死んでいる


 耳が痛かったが、事実だった。


「どうすればいいんだ?」


――貴方が守りたいのは王か?民か?


「……民だ」


――金髪の賢者に聞いてみるといい


「あの青年に?」


 ガルースは戸惑とまどいを見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る