第2話 葬送②

「その通りですな」


 カストの使者である老将軍は、自国の王の蛮行ばんこうの予測をあっさりと認めた。


「むしろ最初の特使で殺害に走らなかったことに、わたしめは驚いたものです」

「信書の内容が荒唐無稽こうとうむけいだったから、気がそがれただけだろう」


 その読みは正しい。

 星が降るなど、誰が信じるだろうか。当初、ガルースも大笑いをした愚臣ぐしんの一人だった。

 だが、隣国エトゥールの王の忠告通り三つの街が謎の壊滅したあと、ガルースは笑うことをやめた。

 王があの時、読まずに破り捨てた信書のくずを侍女を通じて回収したのは、副官のディヴィだった。復元した信書には都からの方角と距離と悲劇の時間が記されていた。

 ガルースは4つめの不幸な街の存在を知ったのだ。


「で、将軍に聞きたい。救ったはずの民をエトゥール側に越境えっきょうさせた意図は?」

「精霊がまことに慈悲深いのなら、エトゥールに流れ込んだ異国の民をどう扱うか興味があったからです」

「嘘をつくな」


 詩句のような口上に対して、セオディアは、断じた。


「カスト王の虐殺ぎゃくさつから逃したな?」

「――」


 部下の手前、ガルースは黙るしかなかった。


「しかも、カスト王はそれすらも利用する。エトゥールに逃れたカストの民の庇護ひごを口実に、この国を侵略してくるだろう」


 メレ・エトゥールは大将軍である男に冷ややかな視線をむけた。


「まあいい、そのことについては後だ。カストの民は、こちらの好きにさせてもらう」


 ガルースは内心、やや慌てた。「好きにさせてもらう」の意味がわからなかったからだ。

 エトゥール王は、玉座ぎょくざからゆっくり降りてきて、ガルースに近づいた。

 専属護衛もカストの使者達の襲撃しゅうげきを恐れて、守る位置に立つ。

 

 切りつけられるのか?


 カストの使者団に緊張が走る。

 丸腰とはいえ、足掻あがくつもりでディヴィがわずかに腰を落とし、構えたので、ガルースが止めた。


「やめろ」

「し、しかし」

「メレ・エトゥールに殺意はない。敵意はあってもな」


 セオディア・メレ・エトゥールは、威圧を強めた。


「さあ、返してもらおうか。エトゥールの特使を」


 ガルースは視線で、ディヴィ達に合図を送った。

 獣の死体が入った大きめの文様の木箱を四人がかりで差し出した。専属護衛がすぐにナイフを取り出し、釘付けをされているふたを開けた。

 腐敗臭ふはいしゅうがすごいことになるだろう。

 ガルースはそう思ったが、周囲に何も変化はなかった。


「?」


 ガルースは自らが詰めた獣の死体が入った木箱を覗きこんだ。そこには血まみれで、うじの沸いた獣の死体があるはずだった。

 だが、そこにあったのは、眠るように横たわる美しい白豹の身体があっただけだった。





「そんな、馬鹿なっ!!」


 ガルースは思わず口走り、身を乗り出して、白豹の死体を凝視ぎょうしした。さすがに動揺を隠せなかった。

 最後に箱に詰めたときは、白い毛は血に染まっていた。その証拠に包んでいた布には血痕が残っていた。

 だが、王に切り刻まれた傷は消えていた。血のりも消えていた。腐敗も一切なかった。

 美しい純白の獣がそこに横たわる。

 

 そう、美しいと、ガルースは思った。

 邪教の使徒であり、闇の生物なのになぜこんなにも美しいのか?

 

 今までの教義が全て否定されてしまう恐怖が、ガルースに、じわじわと押し寄せた。まるで今まで強固に積み上げてきた足元が大きく崩れてしまったようだった。


 エトゥールの王は、獣の死体に手をのばし、特使の証であるエトゥールの紋が入った首飾りを静かにはずした。

 その首飾りを彼は銀髪の女性に渡した。落ち着いているエトゥール王とは対照的に、女性は動揺して、目をうるまませていた。


 メレ・エトゥールは次に羽織っていた外套マントをはずし、死んだ精霊獣の上にかけ、その死体を丁寧に抱き上げた。

 これにもガルースは驚いた。獣の体重は重すぎて、箱に詰めるにも三人以上が必要だった。それが今、メレ・エトゥールは軽々と移動させていた。

 メレ・エトゥールは獣を死体を抱いたまま、ガルースに向き直った。 


「我が国の精霊の使いを邪教だ、魔獣だとか言われているようだが、ぜひその目で判断するがよい」


 メレ・エトゥールは死んだウールヴェを、謁見の間の床に静かに横たえた。その前に片膝をつき、物言わぬ頭をなでて、話かけた。


「…………務めは果たされた。ご苦労だった……」

 

 その言葉が合図だったように、王の手の下で白豹が金色に輝き、細かい砂が崩れるように、純白の豹が形を失っていった。


 やがて獣の死体は、金粉きんぷんのような細かい光になってしまった。

 風もないのに、金の光はゆっくりと螺旋らせんを描くように浮き上がった。まるで意思があり、セオディア・メレ・エトゥールの周辺を慕うように三度巡ると、重力に逆らって天井に上がっていった。

 天井画のエトゥールの創世神話が描かれている、初代王につかえるウールヴェの絵に吸い込まれて、金の光は跡形もなく消えてしまった。


 部屋は静まりかえっていた。 

 耐えきれなかったように、王妃候補である銀髪の女性が嗚咽おえつらし、すぐに姫巫女ひめみこが駆け寄った。


 ガルースは今見たものが信じられないでいた。

 しかもエトゥールの専属護衛達は、戦場で英雄が戦死したときのように、最上級の敬意を示し、黙祷もくとうささげていた。たかが獣の死に対して、異常な対応だった。


 エトゥール王の外套がいとうは、床にひかれたままだが、その上にあった獣の死体は、今の現象がまぼろしではない証拠のように消えていた。

 ガールス以外の使者達は、皆震えていた。獣は悪霊あくりょうとなり、死に関与したカストの使節団しせつだんのろわれるのではないか。


 そんな怯えをよそに、部屋にいた女性達は、別れの切なさに涙を流しているようだった。エトゥール王は天上を見上げ、目に見えぬ存在と語り合っているかのように見えた。


 エトゥール王の外套がいとうを拾い上げたのは、金髪に金の瞳を持つ青年だった。彼はそのままガルースの前に恐れもせずに立った。


「カストには、ウールヴェが存在していないって、本当ですか?」


 賢者である青年の口から出たのは、蛮行ばんこうをしたカストに対する罵詈雑言ばりぞうごんではなく、一般的な質問だった。


「……その通り、所持すれば、死刑です」


 ガルースは質問の意図いとが読めず、静かに答えた。


「では、加護を持った人間は?」

「……同じく、発覚すれば死刑です」

「なぜ?」

「……世の中のことわりから、外れており、呪われた存在だからです」

「他国に侵略することは、世の中の理から外れていないと?」

「……外れておりません。エトゥールの肥沃ひよくな大地は、カストに与えられた約束の地だからです」

「誰がそう言ったのですか?」

「……聖典にかかれているからです」

「侵略も聖典で指示されているのですか?」

「――」


 そのような表現が一切ないことをガルースは知っている。賢者の青年もそれを知っているような気が、なぜかした。

 いやいや、誰が敵対している異国の聖典を読むというのだ。まさかエトゥールでは、異国の書を読むことが許されているというのだろうか?


「僕には貴方達の聖典が政治利用されているように思えます。異を唱えた人々は皆、弾圧だんあつを受けたのではありませんか?」


 青年の表現は、微妙に現状からずれていた。過去形ではなく、弾圧が続いているのだ。ガルースは沈黙を守った。


「僕は信仰はあるべきで、それに付随ふずいする宗教はいらないと常々思っています」


 賢者はカストの民なら、ギョッとするような大胆不敵だいたんふてきなことを言い出した。


「これは異なことを――教団がなければ、どうやって信仰すると?」

「政治利用される、もしくは、利益収集を目的とした宗教は不要だと言っているのです。信仰は民のもので、宗教は民によりそうもので、あるべきだ。西の民のように純朴じゅんぼくな信仰が本来のあるべき姿です」


 青年の言葉に、入口の若長が深く頷いているのが、ガルースの視界に入った。


「他者に害を及ぼす信仰は認められませんが、信仰の自由は認められるべきだと思います。そこへ政治的な思惑や、欲得をまみえるべきではない。信仰をゆがめ、利用するのは、いつでも人間側です」

「エトゥールも政治利用しているではないか!我々の国に魔物の使者を送ってきた!」


 ガルースではなく、ディヴィが叫んだ。

 答えたのは、セオディア・メレ・エトゥールだった。


「私は、カストに使者を送るつもりは、なかった」


 驚くべき告白がなされた。


「こうなることは、予測できていた。私のウールヴェも死を覚悟して、特使になっていた」

「では、なぜ――」


 なぜ、使者を送ったのか。


賢者メレ・アイフェスが強く望んだからだ」

「……私達は、敵対しているからと言って、カストのたみを見殺しにしたくなかったのです」


 銀髪の女性が涙を流しながら、語った。その言葉には、胸を打つものがあった。それは、いきりたっていたディヴィでさえ、静めた。


「星が降るという前代未聞ぜんだいみもんの不幸に、何も知らないカストのたみが犠牲になる必要はどこにもないのですよ。私達に残された時間は、あまりにも短いのです」


 銀髪の女性は、両手で顔をおおった。


「それを、あの子はって、使者に名乗りでてくれたのです!自分が犠牲になる未来を知っていたに違いありませんっ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る