第7話 模索⑦

 だが、恐喝きょうかつ台詞せりふのあとは困惑が広がった。

 エトゥールの姫が多勢の前で、躊躇ためらいもなく、座った自分のひざに寝転んだカイルの頭を乗せた。


『姫』


「はい」


『なんだ、それは』


膝枕ひざまくらと申しまして、殿方とのがたの頭を乗せることを許す愛情表現文化の一種です」


膝枕ひざまくらの定義は聞いていない』


「接触が安定しているので、同調時の定番の姿勢になりました」


 ファーレンシアのそばから、彼女の補助に入るシルビアがフォローにならないフォローをした。


『………………』


 ディム・トゥーラは疑いの眼差しで、寝転んでいるカイルを見下ろした。


『お前、姫に膝枕をしてもらいたくて、俺に頻繁ひんぱんに同調接触してきたんじゃなかろうな?』


「なんてことを言うんだっ!!」


 カイルは真っ赤になって抗議した。


「カイルは長年のヘタレでした。これは進歩なのです」


『これで?』


「はい、間違いなく進歩です」


 虎のウールヴェはしばし考え込み、納得したようだった。


『確かにカイルのヘタレぶりは想像できるし、その点で地上で成長があったとは、喜ばしい事だ』


「はい」

「膝枕で僕をイジることは、やめて」


 嫌味か本気かわからない同僚達の会話を、カイルはまだ顔を赤らめながら、とめた。






 カイルは意識を落として、精霊鷹に宿る存在に接触した。すぐに腕を掴まれて、強引に引っ張られる感触があった。



 次の瞬間、カイルは見知らぬ場所に立っていた。光景を見ているのではなく、間違いなくその場所に



 辺り一面に風に揺れる小麦の穂が見えた。麦畑の中だ。

 のどかな農村の光景で、少し離れた場所に風車と木や石できた小屋のような小さな家々が見える。恐らく風車は、風という自然動力で麦をひくための製粉風車だろうと推察した。

 空を振り仰ぐと青空の中に太陽がある。カイルは太陽の位置を記憶した。


――なんだろう 以前と何かが違う


 不思議なリアルさが、そこにあった。

 以前の強制的に連続で見せられた大量の映像ではなく、その場所にいる臨場感りんじょうかんが半端なく、カイルは困惑した。


 これは同調ではなく、夢じゃないだろうか?


 何が違うんだ。

 カイルは原因を探すために、あたりを見回した。

 再び小麦の穂が風で揺れたとき、カイルはようやく気付いた。

 風を感じる。匂いもだ。同調で記憶を映像として読むことと異なり、カイルの五感がすべて生きていた。


『カイル』


 ディム・トゥーラの声が響き、カイルは安堵あんどした。


「ディム?どこにいるの?」


『お前のそばにいる。思い出せ、お前の肉体はエトゥールの聖堂にある。同調の目的を覚えているか?』


「……大災厄の被害の場所の特定……」


上出来じょうできだ』


「――でも、ディム、おかしいんだ。これはまるで――」


『落ち着け。深呼吸をしろ』


 言われて、カイルは慌てて深呼吸をした。

 深呼吸ができる。手もある。肉体を感じる。


「…………ディム、僕の肉体はそこにあるよね?」


『ある』


「肉体を伴って、ここにいるかのように光景をみている。五感も働く」

 

『……ほう』


 ディムは何事か考え込んだようだった。


『……世界の番人の領域にいるのと同じかもしれないな……あの時も俺はお前を殴れて実体化しているようだった』


「……変なことを覚えているね……」


 だが、ディム・トゥーラとの会話は、カイルに余裕を取り戻す効果があった。

 そういえば、あの時も殴られた痛みがあった。殴られた理由も思い出し、カイルは少し笑った。


『大丈夫か?』


「大丈夫、このまま続ける」






 ファーレンシアは、カイルに膝枕を与えながら、いつものように同調の遮蔽しゃへい補助をしていたが、いつもと手ごたえが違うことに違和感を覚えた。


「……ディム様……」


『わかっている』


 ディム・トゥーラは応えた。


『いつもと違うから用心しろ。何かあったら安全優先で離脱してくれ』


「嫌です」


『――』


 まさかの拒否に、ウールヴェはそばにいるエトゥールの姫をまじまじと見つめた。


『姫』


「はい」


『カイルは姫を巻き込むことを恐れている』


「わかっております。でも私はカイル様に何かある方が恐ろしいです。ディム様もそうではありませんか?」


『――』


「私という能力者を利用してください。ディム様なら適切に使いこなすことができましょう。私はこの身を世界を救うために奔走ほんそうしてくれるカイル様を守るために使いたいのです」


 少女はウールヴェに懇願こんがんした。


『わかった。だが、カイルの精神的安定のためにも、自分の安全にも配慮してくれ』


「わかりました」


『姫』


「はい」


『カイルは、いい伴侶はんりょを選んだと思う』


 ファーレンシアは頬を少し染めて、そばにいるウールヴェに向かって頭を下げた。


 



 カイルは目の前に広がる田園風景を正確に記憶していった。ゆっくり回る風車と、風に揺れる金色の麦の穂。それはエトゥールの豊かさと穏やかさを象徴するかの光景だった。

 カイルの心に疑いが芽生えた。

 本当にここが滅びるのだろうか。



 その心を読み取ったように、次の瞬間、その風景ががらりと変わった。



 麦畑は消失していた。見渡すかぎりの不毛の台地だ。

 カイルは一歩も動いてなかったが、目の前は焦げた大地が広がっていた。焦げた――と判断したのは、周囲に漂うものが焼けた臭いだった。まだ地面から湯気が昇っている。

 超高温にさらされ、その後も冷めないからに違いない。

 風車もない。家々も見えない。人の姿は皆無だった。

 視野をさえぎるものさえない。焦げた大地がただただ広がる。


 大災厄だ。


 カイルはようやく気付いた。

 村に着弾した恒星間天体の破片は、その衝撃で風車や家々を壊し、瓦礫がれきを残すどころかその残骸ですら、吹き飛ばしたのだ。

 発生した熱は有機物を完全に溶かし、蒸発させた。その痕跡は高熱で焼かれた土だった。

 

 その光景は悪夢そのものだった。


 住人はどうなったんだ?

 確かめるべきだが、カイルは初めて恐怖に足がすくんだ。


『そこから動かなくていい』


 ディム・トゥーラの声が脳裏に響いた。


「ディム、でも、ここは集落があって――いや、あったはずで――」


『いらん。場所を特定して、落下の日時を予測し、避難ひなん勧告かんこくすればいい。住人がどうなるかは、今必要な情報ではない』


 本当にそれで人々を救済できるのだろうか?

 カイルは生じた不安に唇を噛んだ。

 だが、今は優先することがあるのだ。


「次を」


 姿は見えないが繋がっているはずの、世界の番人に告げた。





 カイルの精神状態が不安定になっている。

 どうするべきだろうか。ディム・トゥーラの判断に迷いが生じた。

 どこで、ストップさせるべきか、何を基準にすればいいのか。

 こんな先見を目的した同調など前例など存在しない。


 世界を救うためには情報が欲しい。

 だが、この凄惨せいさんな光景は確実にカイルの心をむしばむ。


 この相反する条件はどこか断崖絶壁だんがいぜっぺき綱渡つなわたりに似ていた。カイルが同調のベテランでも一つ間違えれば、奈落ならくそこだ。

 ディム・トゥーラはカイルに気づかれないように、薄い遮蔽しゃへい何重なんじゅうにも貼ることにした。カイルの動揺による遮蔽しゃへい侵食しんしょくを察知するにはそれしかなかった。

 カイルが限界に達する前に全てを断遮しゃだんする。


 ディム・トゥーラは、聖堂の長椅子の背もたれを止まり木として、彫像ちょうぞうのように全く動かない精霊鷹を見上げた。翡翠ひすいの目はガラス玉のように何も映していないように見える。


 それからカイルに膝枕をして補助をしているエトゥールの姫を見た。


『姫』


「はい」


 ファーレンシアは顔色を失い、唇は戦慄わなないていた。


『見たか?』


「…………はい」


『この先、似たような光景が繰り返される。引き返すなら今だ』


 ファーレンシアは、つらそうに目を閉じたが、首を振った。


『シルビア』


「はい」


『カイルと姫が心的外傷トラウマを負う危険がある。アフターケアを頼む』


「貴方のアフターケアも含まれるなら、引き受けます」


 ウールヴェはそれには応えず、再び支援追跡バックアップに戻った。








「次」


「次」


「次」


「次」


 終わることのない時空の旅のようだった。

 平和の象徴のような光景のあと、容赦なく人々の生活空間が失われていくのだ。

 人々が死ぬ姿だけは、映し出されなかった。それは世界の番人の配慮かもしれなかった。それでも耐え難いものだった。

 これに死体の映像が加われば、精神の安定は失われるかもしれない。カイル自身がそう思った。


 楽園と地獄の落差が激しすぎてカイルは唇を噛んだ。

 つらい。

 苦しい。

 悲しい。

 何故だ。何故だ。何故だ。

 世界はこんなにも理不尽りふじんだ。



 感情の津波に溺れそうになった時、唐突に全てが遮断しゃだんされた。

 解放され現実に引き戻されたカイルは混乱した。

 なぜかそばに白い虎がいて、カイルは驚いた。驚くべきことに虎が喋り、さらにカイルは引いた。


『自分の名前が言えるか?』


 自分の名前だって?質問の内容を理解するのに、数秒ほど浪費ろうひした。質問を理解して答えるのにもさらに数秒を必要とした。


「あ……えっと……カイル・リード……」


『ここがどこだか、わかるか?』


 観測ステーションと答えようとして、違和感を覚えた。

 敷布の下は硬く冷たい床材、明るいとはいえない室内、整然と並ぶ長椅子、装飾そうしょくのある柱、古風な遺物のステンドグラス、カイルを覗きこんでいる動物と人々――どこだ、ここは?彼らは誰だ?

 呆然としているカイルの視野に涙目の少女が目に入った。

 長いウエーブのかかった青い髪と澄んだグリーンの瞳。カイルの頭に膝枕を提供して、不安そうにカイルを見下ろしている。


「……ファーレンシア……」


 記憶の回路が一気によみがえった。


「……ここは、エトゥールの聖堂だ……」


 周辺にいた全員がほっとした表情を浮かべた。

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