第9話 狂飆⑤

 アードゥルは混乱の極みにいた。


 500年の時が巻き戻ったように、ウールヴェの姿をしたロニオスが目の前で講義をしている。

 講義――そう、講義だ。

 出来の悪い生徒に、初期理論を教えるロニオスの姿を思い出させた。それほど、彼は時を超えても、変わっていなかった。


 頭が痛い。


 頭痛が始まり、膨大な肉体の負荷に体内のチップの消費が始まっている。


 だが、アードゥルは力場りきばを維持することをやめなかった。

 ここだけが誰にも邪魔をされない場所であることをアードゥルは本能で知っていた。


 私は夢を見ているのか?

 これは本当に現実か?


 精神的ショックで思考が回らなかった。





『おっと、話を戻そう。簡単に言うと大災厄が近づいてきて、エド・アシュル――今はエド・ロウか――と、接触する必要もあり、空間移動に制限のないウールヴェの姿になっている、ということだ。キーパーソンのカイル・リードと支援追跡者バックアップの連絡手段として私は存在している』


「……キーパーソン?」


『彼がいなければ、大災厄は止められない』


「彼一人で止められる問題じゃない」


『おお、わかっているじゃないか。だから君の協力を欲している。君も重要な人材だ』


「だからそれは無駄なことだと――」


『では無駄であることを証明してくれたまえ』


「――」


『できないだろう。君の無駄だという主張は君が現実から目をそらす手段として使われているにすぎないからだ。先見という未来を見る手段を持たない君に、根拠はまったくない。行動しなければ、未来は何も生まれない。それは確かなことだ。それなのに500年も君達は、興味のない地上でいったい何をしているんだね?』


 ウールヴェの言葉は、残留したアードゥルとエルネストへの叱咤しったに近かった。

 アードゥルは視線をそらした。


「二つ目の理由は?」


『ウールヴェの姿だと、精霊の御使いとして加護をもつ人々が耳をかたむけてくれる。実に便利だ。胡散臭いメレ・アイフェスを名乗る人物よりはるかに説得力があるだろう』


 納得しかけて、アードゥルはようやく大きな疑問に突き当たった。


「………………貴方の肉体はどうなっている……」


 ウールヴェは不可思議な笑みを浮かべた。まるでその質問をアードゥルがするのを予想していたようだった。


『君の想像している通りだ』





『さて、この空間で対話を続けているのもやがて飽きがくるだろう。一つ、賭をしないか?』


「賭だって?」


『私は君の協力が欲しい。だが君は拒否している。このウールヴェの姿で君の力場を消すことができるか賭けよう。消せたら君は私のものだ』


 アードゥルは、目を見張った。


「死ぬ気なのか?この場にどれだけのエネルギーがあると思っているんだ?」


『私も随分なめられたものだなぁ。君は昔から私に勝てなかっただろう?いろいろな意味も含めて』


 それは事実だった。

 だが状況は、明らかにロニオスに不利すぎた。


「いや、無理だ」


『そう、思うなら、君は承諾すればいいだけだ。私がどれだけ君の協力が欲しいか、証明できるだろう?どのみち、君の協力がなければ、私をはじめ地上にいる人間は大災厄で死ぬ』


「――私の良心の呵責かしゃくに期待しているなら無駄だ」


『良心の呵責かしゃく?そんなものは持たなくていい。君の意志が揺らがない自信があるというなら承諾したまえ』


「……いいだろう」


『では、私が君の力場りきばを消せたら、協力を』


「ああ。だが、私が約束を守らなかったらどうする?」


『いや、君は昔から律儀だ。約束を守るじゃないか』


 アードゥルはその評価に複雑な表情を浮かべた。


『さて、最後の議題に入ろう。実はこれを話すために今日の対話に応じたんだ』


「話とは?」


 アードゥルは力場りきばを潰す物理的な攻撃に備えた。


『私は目的のためなら手段を選ばない男だ。妻も子供も私にかかわる者も、犠牲にすることをいとわない。もちろん私自身も犠牲にした。文明を救うという巨大なトロッコ問題を解決するのに必要なものは、一歩もひかないという断固たる決意だ』




『ディム・トゥーラ、準備はいいか?』

『いいぞ』




『君は私がいれば、エレンの運命を変えられると思っているが、それは大きな間違いだ。私には変えられない。変える気もなかった』


「…………なんだと?」


『私はエレン・アストライアー自身の避けられない死を先見で知っていた。エレン・アストライアーにもその事実を話した。彼女は自身の運命を受け入れた。君に話すかどうかはエレン・アストライアーに判断をまかせた。その結果が「今」だ』





 唐突に力場りきばが消失し、自由落下が始まった。





 この人は何を言っているのだろうか?


『私はエレン・アストライアー自身の避けられない死を先見で知っていた』


『エレン・アストライアーにもその事実を話した』


『彼女は自身の運命を受け入れた』


『君に話すかどうかはエレン・アストライアーに判断をまかせた。その結果が「今」だ』


 アードゥルは言葉を理解できなかった。

 誰が先見で知っていたと?

 エレンが何を受け入れたと?

 エレンに何の判断をまかせたと?

 何が結果だと言うのだ?


 ロニオスの言葉に気をとられて、判断が遅れたのは確かだった。


 アードゥルは、見知らぬ茶髪の若い男の姿を一瞬だけ見たような気がした。


――誰だ?!


 アードゥルが誰何すいかするより早く、囁きのような精神感応がきた。



『俺は、あんたに同情したから、カイルを傷つけたことは、これで帳消しにしてやるよ。ただし二度は許さない』



 次の瞬間、アードゥルは腹部に強烈な思念の衝撃を受けた。






 まったくの不意打ちの攻撃は、力場りきばを消失させた。

 その原因の一つに、上空の酸素密度と氷点下の気温があった。





『落ちてる』

『おい!!』

『アードゥルは酸欠と体内チップの急激な消費で意識を消失している。まあ、一種の自殺行為だ』

『はあ?!!』

『君が殴った瞬間、私の方を見てわらったから間違いない』

『ちょっとまて!!』

『高度と重力加速度と空気抵抗から計算すると、約180秒後に時速200kmで地面に激突する』

『どうするんだ!!』

『もちろん、賭け金の取り立てだ。負け逃げなど許さない』

『取り立てって――』

『君とカイルのきずなに期待するよ』

『そこは丸投げなのかっ?!!??!』





 カイルとエルネストは、力場りきばが消失したのを見た。


力場りきばが消えたっ!!」

「まだだ」


 エルネストはカイルを制止した。

 小さい黒い点のような物が二つ落ちはじめた。


「落ちているっ!!」

「まだだ!合図を待て!」

「でも――!」

支援追跡者バックアップの判断を信じろっ!合図はくる!」


 エルネストの言葉に、カイルはウールヴェを跳躍ちょうやくさせることを懸命にこらえた。





――もう、どうでもいい。


 アードゥルは混沌とした意識の中で思った。

 再度、力場りきばを張らなかった行為にロニオスであるウールヴェは驚いた表情をしており、アードゥルは思わず笑ってしまった。


 初めてロニオスを出し抜くことができたのだ。


 疲れた。

 眠りたい。

 何もかも忘れたい。

 エレンもエルネストもロニオスもどうでもいい。


 風の音が消えた。




 不意に意識がはっきりとすると、アードゥルは白い空間に立っていた。何もないただ広い空間だった。


 ミオラスの歌が聞こえたような気がした。

 そう思った瞬間、黒髪の歌姫が目の前にいた。


「ひどい人……」


 アードゥルは苦笑した。

 彼女に責められるのは当然だった。彼女のエルネストへの想いを妨害するように、身体を抱いていた。


「本当にひどい人。どうして私の気持ちを読み取ってくれなかったの?私がエルネスト様を想っていると誤解したあげく、私を置き去りにするなんて」


 ミオラスは唇を噛み締め、アードゥルをにらみつけた。


「こんなことになるなら、あなたをもっと積極的に押し倒すべきだったわ。ああ、なんて私は馬鹿なの」

「ミオラス?」

「こんなひどいことある?なんて鈍い人なの、あなたは」


 胸をこぶしでぽかぽかと叩かれてる。

 ミオラスが昔の口調に戻っているところが奇妙にリアルだった。


「私の肉体に溺れさせれば、よかったんだわ。ああ、過去に遠慮した自分を殴りたい。悔しい。腹が立つ。悲しい。苦しい――」


 ミオラスは涙を流して、アードゥルを勝気にもにらんでいる。

 リアルすぎる。

 

「いかないで……」


 ミオラスはアードゥルの腕をつかんで、懇願こんがんした。


「いかないで。置いていかないで。どうしても逝くなら……私も一緒に……逝かせてよ」


――歌が聞こえる。



 アードゥルは初めてミオラスの想いを悟った。

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