第7話 狂飆③

 ミオラスは、アドリーの懐かしい自分の部屋にいた。

 驚いたことに、新しいアドリー辺境伯は物好きにもミオラスの部屋を、なぜかそのまま管理していた。

 懐かしいにもかかわらず、ミオラスは落ち着かなかった。

 理由はよくわかっている。



 アードゥルがいないからだ。



 窓際に立つと、外は昼間だというのに薄暗かった。厚い暗い雲が空を覆い、東にすさまじい勢いで流れていっている。激しい雨と風が生まれていた。雷鳴がとどろく。


 その季節外れの光景がさらにミオラスを不安にさせた。それは未来を暗示しているかのようだった。


 交流を持ったエトゥールの姫と治癒師は、ミオラスをアドリーに連れてきたあと、彼女の希望を汲み、一人にしてくれている。

 そうでもなければ、彼女達をののしってしまいそうだった。



 貴方達はいったい何をしたのか。



 彼女達と過ごした時間は、未知の楽しいものだったが、アードゥルの突然の失踪しっそうは、まるで楽しんだことの罰のようだった。


 エルネストの説明はよくわからなかった。


 過去の知己との出会いが原因であり、相手とともにアードゥルは姿を消したという。連れ戻すと宣言して、エルネストはメレ・アイフェスと共に同じく姿を消した。

 ミオラスの不安は大きくなるばかりだ。あっさりと捨てられた寂寥せきりょうとともに。


 自惚うぬぼれていた。

 少しはアードゥルの一部になれていると思った。

 その自惚うぬぼれを精霊は許さなかった。

 いや、許さなかったのはアードゥルの過去か?

 ああ、でもこれすらも瑣末さまつなことだろう。本能的にミオラスは悟っていた。

 

 アードゥルは行ってしまう。手の届かないところに行ってしまう。彼が旅立てば、二度と会えないだろう。

 その望まぬ未来が目の前にあった。



 ノックの音がした。



「………………どなた?」

「……ファーレンシアです」


 ドア越しにくぐもった声が聞こえる。もう、食事の時間か。ミオラスは吐息をついた。


「……エル・エトゥール、お許しください。気分がすぐれず、休ませていただきとうございます」

「わかっております。ただドア越しにいやしをかけることをお許しください」

いやし?」


 冷えた身体が少し暖まり、気持ちが少し和らいだ。ミオラスは拒絶しようとした言葉をつぐんだ。

 似たような気持ちにさせた金色の光の粉をあびたことが、以前にあった。


「…………これが癒しなのですか?」

「はい」

「…………ありがとうございます」

「あとカイル様から、伝言を承っています」

「伝言?」

「『アードゥルは貴女を巻き込むことを恐れ、姿を消した。貴女だけが、アードゥルを連れ戻せる鍵。彼の帰還を望み続けてほしい。それが力になる』と」


 ミオラスは息をのんだ。


「……連れ……戻せるのですか?」

「連れ戻せます。初代と今世のメレ・アイフェスがそのために奔走ほんそうしております」


 ミオラスはドアの前で、力が抜け座りこんだ。

 一筋の太陽の光が差し込んだようだった。


「私には……アードゥル様が暗闇に向かって歩いていかれる様に思えました」


 ファーレンシアの方が歌姫の言葉に驚いた。

 それはファーレンシアの先見の一つと一致していた。だが、未来は均等に二つあるのだ。

 希望ある未来の方に天秤を傾かせる必要があった。

 傾かせる大きな分銅のひとつが間違いなく歌姫だった。


「貴女がいなければ、館まで吹き飛ぶ可能性があった、とカイル様が申しておりました。大切に思われていらっしゃいますね」

「――」


 ミオラスはなぜか泣きたくなった。

 けっしてわかりあうことがないであろう身分の高い年下の姫が、なぜ今一番欲しい言葉をくれるのだろう。

 社交辞令なら鼻で笑えた。

 だが、そうではない。

 それが、救いであり、同時に悔しかった。


「……私はアードゥル様の帰りを望んでいいのですか?」

「貴女が望みたいのか、望みたくないかだけです」

「……私は卑しい身分の出です」

「メレ・アイフェスの世界では、身分差は存在しないそうですよ」

「……取り残されたと思いました」

「いいえ、実は取り残していくのは、私達なのです」


 私達――その表現にミオラスは驚いた。


「不老長寿の彼等を取り残していくのは、短命な私達なのです」


 ドアの外にいるはずのエトゥールの姫君が苦笑を漏らした気配がした。


「お互い想い人が、女心に疎いメレ・アイフェスだと苦労しますわね」

 

 確かにその通りだった。






『で、どうするんだ?』

『話し合いは交渉の基本だ』

『……ちっ、ハエみたいに叩き落とさないのか』

『……君、本当にアードゥルに点数がからいね?』





 釣りと言われてアードゥルは混乱した。この人はいったい何を言ってるのだろうか。


「なぜ、そんなことを」


『繰り返すが君達の協力が欲しかった。それは昔から変わらない。だが君達は当時、地上救済に耳を貸さなかったじゃないか。だから正攻法の依頼は諦めたんだ』


「――」


 当の昔――。

 再びアードゥルは唇を噛み締めた。


『もちろん、エルネストだけでなく、君の協力も常時募集中だ。どうだろうか?今からでも協力して――』


「断る」





『……口説き方を激しく間違えている』

『そうかい?おかしいなあ……酒が足りないか?』

『……そうじゃない』





 白いウールヴェは拒絶きょぜつを予想していたかのように、あっさりひいた。


『では仕方ない。私も諦めるつもりはないから、これも保留で次の議題にうつろう。何がいい?』


「……なぜウールヴェの姿なんだ?」


『ウールヴェの特性が必要だったからだ』


「なんだって?」


『まず一つ目の理由として、人の身体と意識ではいろいろ制限がでる。肉体の限界はともかく、精神については、常々私が言っていたように認知の問題が立ち塞がった。無意識に定着した常識が、いささか邪魔だった。この私ですら、だ』


「……邪魔?」


『あれはできない。これは無理だ。危険だ。ありえない。信じられない。そんなはずがない――他にどんな口癖があったかな?ほら、我々が目にすることのできない精霊が存在するか否かで、熱い議論を交わしただろう?君達は存在を否定したが、あれは無意識に未知の存在を否定したからだ』


 ウールヴェは吐息をついた。


『科学文明の発展した我々ですら――我々だからこそ、未知の理解を越えた存在を否定した。カイル・リードなど頑固がんこすぎて、手を焼いたよ。「精霊」という存在が理解できず、認めず、逃げ回り、最後は陥落かんらくして受け入れた。まったく、地上の人間の方がどれだけ柔軟なことか。我々は基本、頭が硬すぎる』


 少しウールヴェは笑ってみせた。


『初代よりも、若い今世の研究員の方がやや柔軟だったな。カイル・リードの医療担当者は、地上の文明の産物として、ウールヴェと精霊をいち早く受け入れた。彼女の行動を模範もはんとすべきだ。ウールヴェは、世界の番人の眷属けんぞく御使みつかい。不可思議な生き物。エトゥールの創生神話を作り、流布るふし、日常に定着させるのも、ちょっとした苦労だった。だが、概ね上手くいったよ。ウールヴェの姿で現れたら、カイル・リードも彼の支援追跡者バックアップもあっさりと受け入れてくれた』




『なんだって?!!!』

『あー、君には私の後継者教育の一環として、特別授業を組んであげるから、質疑応答はそこで受付よう』

『後継者教育ってなんだ?!!!』

『君のツンデレぶりは学習済みだ。大災厄のあとに、カイルが地上に残るのに、君が中央セントラルに帰還する確率など、ここから蟻一匹撃ち抜く成功率より低いじゃないか』

『――っ!!!』

『ちなみに、絶滅動物情報エクスティンクトの講義もそこに含まれる』

『なんて、卑怯な!!!』

『うむ、最高の褒め言葉だ』

『褒めてないっ!!この古狸ふるだぬきめっ!!』

『エドと一緒にされたくないから、そこは古狐ふるぎつねで頼む。私はうどん派だ』

『〜〜〜〜〜っ!!!!』

『大丈夫、私の極悪非道ごくあくひどうぶりはこんなものじゃない。まだまだ私の評判の大暴落のネタはあるから、安心したまえ』

『……言葉の表現手法がおかしい』


 突っ込みの思念に疲労感が加わったことをリードは笑った。


『問題はアードゥルに八裂きにされたら、試合終了なことかな』

『そういう不吉なことは言うなっ!!!』

 

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