第4話 交錯④

 カイルが世界の番人の答えを待っているその時、シルビアが戸口から出てきた。彼女の顔は、耳まで赤かった。普段、無表情な彼女の感情の発露が珍しく、カイルはややあっけにとられた。


「シルビア、お婆様の話は終わったの?」

「……」


 シルビアはちらりとカイルを見ると、聞こえなかったふりをして、女性用の天幕に向かって駆け出していってしまった。


「……あれ、何?」


――――ナーヤの話があけすけだった


「お婆様の話が?」


 開いたままの戸口から中を覗きこむと、ナーヤ婆が入ってくるように手招きをした。その隙に精霊鷹は去ってしまった。肝心要かんじんかなめの答えを得る前に世界の番人は姿を消してしまった。


 逃げたな……。


 カイルはなんとなく、そう思った。

 カイルは中に入るとファーレンシアの隣に座った。


「お婆様、シルビアが真っ赤になって出ていったけど……」

「そうかい?」


 ナーヤ婆はとぼけた。


「いったい、何の話を――」


 カイルは驚いた。隣に座るファーレンシアも先程のシルビアに負けずおとらずに顔を真っ赤にさせていた。


「……ファーレンシア?」

「……」

「ファーレンシアも顔が真っ赤だよ? お婆様は何の話をしたの?」

「お、お婆様、続きの話は後ほど伺います」

「かまわんよ」


 ファーレンシアは勢いよく立ち上がると、シルビア同様に逃げ去ってしまった。

 カイルはぽかんとして、彼女たちが去った戸口を見つめた。


「……お婆様、何したの……?」

「何も」


 ナーヤはのんびりとお茶を飲んでいる。


「さて、お前さんは試験じゃな」

「は?」

「不合格なら若長の鍛錬たんれんに放り込むと言っただろう」

「さっきのが試験じゃなかったの!?」

「そんな甘いものじゃない」


 ナーヤ婆は、にやりと笑った。





「――で、不合格になったと?」


 ハーレイはやや呆れたように、丸太に腰かけているメレ・アイフェスを見下ろした。


「最初から鍛錬たんれんに放り込むつもりだったような気がする……。最後のハンドサインは絶対に教わってないっ!」

「ナーヤ婆ならあり得る。そういう策謀はお得意だからな。俺も若い頃はよくめられた」


 ハーレイは考え込んだ。


「まあ、若者達の鍛錬たんれんに参加するのはかまわんが、そちらの専属護衛達を鍛えた方がいいような気がする」

「そうだろう?!」

「……カイル様、私を売らないでください」


 ミナリオがやんわりと静止する。


「ですが、西の民がどのような鍛錬をしているのか、私も興味があります。参加が可能でしたら、他にも希望者はいます」

「ヌア」


 ハーレイは補佐役である青年を呼んだ。


「こちらのエトゥールの御仁ごじんと他数人が若者用鍛錬たんれんに参加を希望だ。森に連れて行ってくれ」


 補佐役の若者は、片言のエトゥール語を駆使し、エトゥールの近衛達が野営している場所にミナリオと向かった。


「さて、カイルは俺が鍛える」

「え? 本気で僕の鍛錬たんれんをするの?」

「しないと俺がナーヤ婆に殺されるからな。ナーヤが鍛錬たんれんが必要と言うなら、何かあるんだろう」

「何かとは?」

鍛錬たんれんしていてよかったと思う何かが」

「――不吉なこと言わないで」

「不吉だろうと、なんだろうとナーヤの提案には従った方がいい。いつも専属護衛がいるとは限らないし、牢で遭遇した暗殺者を考えると、剣の基本は覚えた方がいいだろう。だが、あの地下牢でのかわし方は、なかなかよかったぞ」

「イーレが教えてくれた護身術だよ」

「ほほう。早く彼女の手がよくならないかな」

「――」


 火に油を注いでしまったようだった。




 ハーレイは訓練用の剣を用意すると、持ち方や構え方という基本からカイルに教え始めた。イーレやサイラスと違って、基本知識がないカイルには新鮮ではあったが、軽い打ち込み練習の段階で肉体は悲鳴をあげた。使ったことない筋肉の行使に、体内用の治療チップの消費が始まったことを感じた。


 ハーレイはカイルが耐えていることに感心していたが、これはチート行為に近かった。ナノチップがなければ、早々にへたばっているのは間違いなかった。


「続きは明日だな」

「明日もするの!?」

「当たり前だ。滞在中は毎日する。子供用の鍛錬項目だぞ?」

「――」



 保護された国がエトゥールでよかったと、カイルは本気で思った。




「ええ!? そんな楽しいことをしているの!?」


 イーレが口をとがらせる。楽しい――そう考えることがすでに、おかしいとカイルは思った。

 ハーレイの教えは厳しかったし、若者の鍛錬たんれんに参加したミナリオと近衛隊の数名は、その日、ボロボロになって戻ってきた。


「……なぜ、西の民が最強なのかわかったような気がします」


 エトゥールの精鋭達を、任務もままならぬほど疲労困憊ひろうこんぱいさせるとは、どんな鍛錬だったのか聞くのが怖かった。カイルには無理だと即座に判断した若長に感謝するべきなのだろう。

 その状況を踏まえつつ、「楽しいこと」と評するイーレは、西の民に近い感覚を持っていると言えた。


「全然楽しくない」

「剣の基本なんて私も教わりたいわ」

「教わってどうするの」

「強くなれるじゃない」

「十分、最強でしょ」

「手が治ったら、教えてもらおう、っと」


 ああ、ますますイーレの帰還が遠ざかる。カイルは状況をのろいたくなった。


「シルビアは?」

「村の怪我人や病人の治療をファーレンシアとしている」

「なぜ、姫様まで?」

「以前、シルビアの助手みたいなことをしたから、手伝いに慣れている」

「……ああ、降下直後の話ね。でも、それっていいの?」

「エトゥール王家的に?僕達の法律的に?」

「今更、私達の法律的になんて追求しないわよ。やらかしたレベルが違うでしょ」

「……ごもっとも。まあ、ファーレンシアがやりたがっているから、いいんじゃないかなあ」

「そっかー、シルビアは診療中かあ」


 イーレは寝台から起きあがった。


「どこで、剣の練習をしているの?」

「村のそばの空き地――って、イーレ!?」

「見学させてもらうわ」

「シルビアの許可がないでしょ!?」

「シルビアは左手が治るまで、手合わせはダメといったのよ。見学ぐらいいいでしょ?」


――見学ですまない気がする。


 カイルの予感はあたった。




 ハーレイはイーレが来たことを喜んだ。回復が順調な証――と、とったのだ。

 イーレが大人しく『見学』していたのは、わずか10分だった。10分後には見学といいつつ、イーレは練習用の大人の剣を手にして、カイルが指導を受けている西の民独特の剣の扱い方に耳を傾け、試すことを始めた。

 だが、イーレが左手で剣を試そうとしたときに、カイルはシルビアにウールヴェをとばした。数分後に、シルビアが微笑を浮かべて鍛錬場に現れたとき、イーレはカイルの裏切りを悟った。


「カイル、ひどいわ!」

「……左手はダメだろう。僕の言うことは、どうせ聞かないし」

「カイル、連絡をくれたのは英断でした。イーレ、お話あいの時間ですね」

「……はい」


 イーレはシルビアに引きずられて村に戻った。


「……イーレをぎょせる人物がいるとは、素晴らしい」

「……僕も今回の大発見だと思うよ」


 イーレ最説がくつがえった。




 イーレはりなかった。翌日も、その翌日も鍛錬場に現れ、ハーレイの剣の指南をきいていたあと、右手で剣を試していた。夢中になって、左手も試そうとして、シルビアに怒られ、捕獲される。


「……イーレ、意外に学習能力ないんじゃない?」

「右と同時に左を鍛えるのが一番いいのよ。もう、これは長年しみついた癖ね」

「左手が全快するまで、我慢したら」

「そんな我慢できないっ!」


 やはり、イーレをぎょしたのは、シルビアだった。シルビアはギブスのように左手を包帯でぐるぐる巻きにし、剣を握れないようにしてしまった。


「さあ、好きなだけ鍛錬を見学してください」


 主治医の仕打ちにイーレは、しょんぼりしてしまった。その八つ当たりの矛先はカイルに向かった。

 二人目の鬼教官が誕生したようなものだった。


「感謝しなさい。サイラスに続いて二人目の弟子として認めてあげる」

「僕は弟子入りなんて希望していないっ!」

「まずは持久力をつけるべきよね」

「同感だ。あとは足さばきを鍛えたい」


 ハーレイとイーレが二人でカイルの訓練計画を練り始めた。カイルの抗議は無視されている。

 シルビアと共に、見学しているファーレンシアが青ざめた。


「あ、あの、シルビア様、あのお二人の指導では、カイル様がもちません」

「ファーレンシア様、多少の人身御供ひとみごくうはイーレに必要なのですよ。それがたまたまカイルだっただけです。大丈夫、カイルが疲労で倒れた時は、ちゃんと回復させます」


 シルビアは微笑んだ。

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