第12話 和議の使者③
カイルが機嫌を直したウールヴェに同調して、再び西の民の村を訪れると、村の様子が変わっていた。
村の中央に多人数が入れそうな巨大な天幕が築かれつつあった。午前中にエトゥールの使者の来訪を告げたことを考えれば早い対応といえた。
白い獣が現れても村人は今度は冷静だった。
敬うような深い礼と共に、天幕の中を指さす。言葉は通じなくても、なんとなく理解はできた。
予想通りに天幕の中で、家具や人々の座る位置決めの指示を出しているのは若長だった。ハーレイは白い精霊獣が姿を現したことに笑った。
「意外に早く戻ってきたな。もう少し時間がかかるかと思ったぞ。どうやって、精霊獣の機嫌をとったんだ?」
『パンケーキ20枚』
「は?」
『機嫌を直すのにパンケーキ20枚ほど費やした』
「それは美味いのか?」
『ここに着いたら、作ってもらおうか?シルビアの専属護衛の腕はたいしたものだよ。限られた材料から美味しいものを作りだす才にたけている。もっとも、まだ
「精霊獣も妹姫には弱いのか。飼主に似たのかな?」
『……そんなことはない……と思う』
やや自信の欠けたカイルの返答にハーレイは笑いを噛み殺す。
「不思議なものだな。エトゥール人とこんなたわいのない話を交わすようになるなど、想像していなかった」
『僕も不思議な気分だ。初めて会った時は、飢えた猛獣の餌として捕まったかと思ったよ』
「まあ、殺すつもりだったからな」
『ハーレイが加護持ちでよかったよ。こればかりは、世界の番人に感謝してもいい』
ハーレイは笑い、歩き出した。
「女性達の宿泊所は、あちらに別の天幕を用意している」
『手数をかけてすまない。この和議に反対するものはいないのかな?』
「
『他の村にはいると?』
「西の民で俺達の氏族が一番大きく、権力はあるが、敵がいないわけではない。西の民が統一されていたのは、はるか昔の話だ」
『氏族間の争い?』
「土地や水場の問題だな」
『水場……』
「南の魔獣が増えて、水場が使えなくなった氏族がある」
『水は深刻な問題じゃないか』
「そうだな。うちはナーヤがいるから、狩場や水場の確保ができるが、他の氏族には必ずしも優秀な
『……』
「エトゥール人には理解できない争いだろう」
ハーレイは自嘲気味に笑う。
「だから、この和議は我々にも利はあるのだ。エトゥールと敵対することがなくなるのだからな」
『僕は別のことを考えていた』
「別のこと?」
『水場の情報を提供して、小さな氏族を取り込めないかと』
「――」
ハーレイは呆気にとられたように精霊獣を見下ろした。
「水場をどうやって?」
『必ずしも難しいことではない。地形の高低差や気象、地下水脈からある程度は予測できる。そういう専門のメレ・アイフェスもいる』
「そんなことが?」
『そのメレ・アイフェスとは、今連絡がとれないから、それについては後日だな。でも上空から水場を探すことはできるよ。今、僕がウールヴェに同調していることを、野生の鳥でやればいい』
「……面白い」
『とりあえず和議が終わってからの話だけどね』
「そうだな」
ハーレイは思い出したように、カイルに告げた。
「イーレは俺の家に移した。会うか?まだ眠っているが」
『うん』
ハーレイの家は、若長という地位にもかかわらず意外と小さかった。カイルはすぐに気づいた。ここは、ハーレイが妻と子を亡くしてから過ごした家で、彼は10年以上も一人で住んでいたのだ。
質素であまり生活感がなかったが、以前カイルが羊皮紙に描いた絵が壁に飾られていた。カイルがハーレイの記憶から拾い出した彼の亡くなった妻子の絵だった。あとは彼の物であろう弓や槍、剣が置かれていた。
イーレは奥の部屋に寝かされていた。カイルはそっと近づいた。棚には一羽の
『……イーレ?』
彼女はまだ眠ったままだった。
『ファーレンシア、シルビアに聞いてくれるか?イーレは眠らせたままの方がいいのか?』
しばらくしてからファーレンシアから返事があった。
『シルビア様は眠らせたままがいいと言っています』
『わかった。
カイルはイーレに
ハーレイは戸口でカイルを待っていた。
「彼女はどうだ?」
『僕たちが着くまで、まだ眠らせておく』
「そうか。ナーヤ婆がカイルの言葉を教えるといってるが、このまま向かうか?」
『そうだね、お婆様に聞きたいこともあるし』
「彼女に何かあれば、俺のウールヴェが気づく。いってくるといい。俺は準備の方で手が離せない」
『わかった』
カイルは
「さあさあ、時間はないじゃろ」
ナーヤは白い獣の顔を見るなり言った。
『待って、お婆様。教えてもらう対価が何か、聞いていない』
「言ったら逃げだすから、言わん」
『逃げたくなることを要求するんだ』
「妹姫のためと思えば、耐えられるだろう」
カイルは少し顔を赤らめた。
『お婆様、その言い方は誤解を招く』
「誤解も何も、お前が認めてないだけじゃ、この頑固者が」
カイルが反論する前に、ナーヤは簡単な日常的な動詞から教え始めた。カイルが難無く覚えると、特徴的な名詞に移った。その日は、それで終わった。
翌日は文法的な言い回しになった。熟語から短文までの日常的用語だった。ナーヤは教え方がうまかった。だが、スパルタで、カイルがぼんやりしていると、木の盆が飛んできた。2度ほどウールヴェの頭を直撃した。
「これぐらい、
『お婆様、僕は今、ウールヴェに入ってるし、僕に西の民の運動神経を求めないで』
「言語の習得より若長に身体を
『ハーレイはイーレと同じタイプだから、僕が死ぬ』
「1回死ぬのも2回死ぬのも変わらん」
カイルは虚を突かれた。この老女は、降下前に心拍停止した事件までも知っているのだろうか?それとも、単なる
「ほら、次は儀礼的表現に行くぞ」
丸めた羊皮紙でウールヴェの頭をはたかれる。口より手が出る早さは、イーレといい勝負だった。
カイルが驚いたことに、ナーヤの教えは、西の民のハンドサインにまで及んだ。
『……お婆様、それは狩や戦闘時の西の民特有の秘密言語では?外部に教えちゃ駄目でしょう』
「お前にだけじゃ。将来必要になるかもしれん。獣の姿では習得が確認できぬから、人間に戻ったら、試験をするぞ。あたしが時間を
『……不合格だったら?』
「ハーレイが若者向けに教える
カイルは必死に覚えた。
ナーヤのおかげで、村人達の会話はある程度理解ができるようになった。和議については賛否両論のようだった。
『ハーレイ、獣の正体がエトゥールのメレ・アイフェスだと明かさないの?』
「精霊獣の方が、和議の吉兆の印だと受け入れやすいからだ」
『ああ、エトゥールでもそんな傾向があったなあ』
「あとは、精霊獣にメレ・アイフェスが宿っているとなると、皆が混乱する。俺もうまく説明できない」
『……確かに』
「あとは、カイルにありのままの西の民を見てほしいと思ったからだ」
『僕に?』
「
『――』
「あの時、牢で出会った
『……』
「あの時から和議までたどり着いたのは奇跡に等しい。我々も争いばかりを好むわけではない。ましてや、
『……平等に判断すると約束する』
カイルは静かに言った。
『大丈夫、
「何を?」
『――世界の番人を殴る』
「……カイル」
『不敬だと言うんだろう?わかっている。でも大災厄を止めたら、一発殴る権利ぐらいあると思うんだけどな?さんざん振り回されているし、僕が地上に滞在する元凶なんだから、一発は殴る。絶対に殴る』
「……頑固だな」
『世界の番人、お墨付きの頑固さだからね。そうじゃないと世界の番人とはつきあえない』
「……そうかもな」
ハーレイは納得し、笑った。
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