第5話 占者②

 

 だが、イーレが余裕のある態度がとれたのは、そこまでだった。

 老女の声ががらりと変わった。


「まずはメレ・アイフェスのご帰還をお祝いもうしあげる」


 ナーヤは子供に対して最上級の伏礼ふくれいをした。老女の声ではない。壮年の男のものだ。


「えっと……」


 イーレはハーレイを見たが、ハーレイは首をふる。ハーレイも戸惑っていた。こんな口調のナーヤ婆は見たことがない。そもそも目の前にいるのは、ナーヤ婆なのだろうか?


「とりあえず顔をあげていただけます?」


 イーレは正体がわからない相手に丁寧に接した。


「貴方様は戻ってくると約束されていた。西の民を導く者として」

「……」


 私を誰と勘違いしているのだろうか。

 イーレは困惑したが、情報を引き出す必要がある。今、この喋っているのは特別な存在かもしれない。


「貴方は精霊?」

「違う」

「メレ・アイフェスがこの地に戻ってくると約束されていたの?」

「いかにも」

「誰に?」

いにしえの賢者達に」


――いにしえの賢者


「それは初代エトゥール王のメレ・アイフェス達?」


 老女ではない何かは頷く。


「つまりこの時代に、メレ・アイフェスは戻ると予言されていたという理解であってる?」


 再び相手は頷いた。

 カイルとシルビアは精霊の御使メレ・アイフェスとして、エトゥールに歓迎されている。それを指した予言なのだろうか?


「メレ・アイフェス。貴方様は、この地で失われたものを取り戻すが、それは貴方様の望まれた形ではない」

「――」


 唐突な言葉にイーレは唖然とした。


「ハーレイ、これはいったい……」

「静かに!いつものナーヤ婆とは違うが、占いは始まっている。ききたいことを今のうちにきくんだ」


 イーレは気を取り直した。


「――『精霊』についてききたいわ。彼に誓約をほどこしたのは誰?」

「初代エトゥール王と彼をささえる者」

「大災厄とは何?」

「この地の滅亡」


 なんの話だ、とハーレイは目を見はった。


「エトゥールだけの話ではないの?」

「違う」

「それは回避できるの?」


 沈黙が流れる。


「犠牲を小さくすることはできる。導く力があれば――だ」

「犠牲は出るのね?」

「でる」

「導く力がないと?」

「全て滅びる」

「なぜ、精霊はそれを黙っているの?」

「誓約でもある。例えば、明日滅びるとして、誰が耳を傾けるか?誰が知りたいと思うか?知れば絶望に満ち、それは別の滅びを生み出す。初代エトゥール王はそれを恐れた」

「初代エトゥール王は大災厄の内容を知っていたの?」

「知っていた」

「500年前に?」

「そうだ」

「でも私達は大災厄が何かわからないの」

かなめの者は隠された痕跡に気づく。そして貴方様は知るだろう」


 かなめの者はディム・トゥーラだと仮定して、いいのだろうか?


「でも、彼はこの惑星ほしを離れてしまったわ」

「それこそ、まさに必要なこと。正しき道を歩んでいる」

「彼は戻ってこれるかしら?」

「戻ってくる」


 イーレはほっとした。ディム・トゥーラは中央で拘束されることはないようだ。


「貴方様のように戻ってくる、アストライアー」


 イーレは茶器を取り落とした。床にぶつかり、陶器が割れる音が響く。


「……ちょっと待って、何の話……?」


 ――私のように戻ってくるって何?しかも今なんて言った?

 イーレは混乱した。何を。何を聞けばいいのだろう。


「貴方様がこの地にきたことも、必要なこと。まさにこの言葉を得ることが、第一の目的」

「……」

「この者は、精霊の代弁者。誓約を逃れて伝える術を持つ者」

「……ナーヤのお婆様は精霊の代弁者なの?」

「いかにも。貴方様に伝えるべき言葉はまだある」


 男の声は続く。


「貴方様の運命は二つに分かれている」

「――」

「その分岐はそのまま大災厄の別れ道でもある」

「……待って……」

「望むものは手にはいる。苦痛と絶望とともに」

「……待って、それは……」

「貴方様は忘れてはならない。希望もそばにあることを、忘れてはならない」

「……待って、貴方は誰なの?なぜそんなことを言うの?貴方は何を知っているの?私の何を知っているの?」

「――」

「ねぇ、教えてちょうだい!!」


 返答はなかった。


「行ってしまったよ」


 ナーヤ婆はぼそりという。元の老女の声に戻っていた。


「……終わったのか?だがナーヤ婆、今のはいったいなんだったんだ?」


 ハーレイは険しい顔をした。まったく今までなかったことだったからだ。


「あたしゃ、知らんよ。メレ・アイフェスと言葉を交わすことを強く望んだ御仁ごじんじゃろ」


 ナーヤは欠伸あくびをした。


「今日は店じまいじゃ、帰った帰った」

「簡単に帰れない。とんでもないことを言ってたぞ?」

「質問をしたのは、あたしじゃないさ」


 もっともな指摘で、ハーレイは横にいるイーレを見た。


「イーレ、大災厄とはなんだ?滅亡とはどういう意味だ」

「……」

「……イーレ?」

「……」


 イーレは、蒼白になって、がたがたと震えていた。


「……ハーレイ、……アストライアーって?」

「あ?ああ、古代に西の民を導いた賢人の名だ。ウールヴェを退治したライアーの塚があっただろう?あれが古墳で――」


 ハーレイはギョッとした。イーレの左手が血まみれだったからだ。


「イーレ!」


 ハーレイは慌ててイーレの左手首を握った。彼女の手のひらから握りしめていた茶器の破片が落ちる。

 ナーヤ婆が布を投げてよこし、ハーレイは素早くそれを裂き止血した。


「何てことを! けんを切ったら、棍など使えなくなるぞ!」

「……」

「イーレ?」

「……私、帰るわ……シルビアに会わなくては」

「イーレ?」


 様子がおかしい。ハーレイはナーヤを見た。


「ショックを受けている。連れ帰れ」

 ナーヤはささやいた。

「目を離しちゃいかん」


 だが、その時、外で騒ぎが起こった。

 しかもナーヤの家の前だ。占者せんじゃの周囲での騒音は御法度ごはっとだった。占いの邪魔にしかならないからだ。

 ハーレイはキレた。


「この忙しいのに、何の騒ぎだっ!!」


 騒ぎをおさめるために、ナーヤの家から飛び出したハーレイは絶句した。

 ナーヤの家の前には、純白の狼に似た精霊獣せいれいじゅうが降臨していた。





「……いったい……」


 精霊獣を遠巻きに囲み、村人達が集まっているのが騒ぎの原因だった。精霊獣が村の要人であるナーヤの家の前に現れたのだ。なにごとか、と皆が動揺するのも無理はなかった。


 精霊獣は狼に似ているが、狼にしては体高がはるかに越えていた。尻尾がいくつかにわかれている。美しい純白の体毛に金色の瞳がただの獣でないことを物語っていた。しかも不思議な光をおびている。間違いなく精霊の御使みつかいだ。


『ハーレイ』


 それは聞いたことがある声だった。エトゥールで出会ったメレ・アイフェスをハーレイは思い出した。


「……カイルか⁉︎」

『イーレの悲鳴が聞こえた。彼女はどこ?』

「イーレは……」

『イーレはどこ?』


 彼女を害したのがハーレイだとしたら、即、噛み殺されるような迫力があった。


「……こっちだ」


 聞きたいことは山ほどあったが、ハーレイは占者の家に精霊獣を招きいれた。

 家に入ってきた獣に、ナーヤは動じることなく言った。


「おや、もう連絡がきたか」

「ナーヤ婆、なんでそんなに冷静なんだっ!」

「ん? あたしゃ、もうまもなく連絡がくると昨日言わなんだか?」

「――これのこととは、思わないぞっ⁉︎」

「エトゥールのメレ・アイフェスだろ?よく、きたな」


 獣は軽く首をかしげるようにナーヤに挨拶をした。

 それから老女の前に座り込んだ呆然自失の子供にゆっくりと近づく。


『イーレ』


 イーレは声にはじめて反応した。


「……カイル?」

『うん』


 イーレは白いウールヴェにしがみつき、その毛皮に顔を埋めた。


『……シルビアを呼んだね?彼女は飛んでこれないから、僕がきた』


 イーレは声もなく頷くだけだった。


『落ち着いて、もう大丈夫だよ』


 イーレはまたもうなずいたが、ウールヴェにしがみついたままだった。


『ハーレイ』

「……なんだ?」

『どこか、落ち着ける場所が欲しい』


 ハーレイが答える前に、ナーヤが言った。


「一泊ならここで構わんよ。それに誰かそばにいた方がよかろう。あたしが見よう」

『ありがたい』

「それより、お前さん、この子に癒しを与えられるかい?」

『……精霊樹の癒しなら』

「十分だ」


 次の瞬間、空間の気がガラリと変わった。それはどこか精霊の泉の空間に似ていた。

 部屋が明るくなり、金色の光の粉が天井から降ってくる。

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