第2話 若き長②

 翌朝、ハーレイは料理番の女性に特別にパンを焼いてもらい、それを布でつつんだ。燻製塩肉スモークハムかたまりも調達する。結局、世話をしているような気がしないでもない。


――あの子供イーレをどうしたものか。


 とりあえずエトゥールのカイルに連絡するのが正しいような気がする。

 だが、非常に注意を要する時期でもあった。和議の一歩手前まで来たのに、西の民が安易に国境を超えるのはまずい。誤解が生まれる行為はお互い慎むべきだ。そうなると打てる手は限られる。

 わずかに交流があるエトゥールのアドリー辺境伯を頼るか。カイルまで、ウールヴェを飛ばすか。


 あとでイーレと言う名の子供の処遇について占者せんじゃにきこう。ハーレイは決意した。





 小屋に入るとイーレは熟睡していた。

 豪胆だと思う。彼女に異国の地にいる不安とかはないのだろうか。

 梁の上にいる梟姿ふくろうすがたのウールヴェに村へ帰るよう命じると、ハーレイは静かにベッドに近づいた。


 イーレと成人女性が見えるのは、昨日と一緒だった。

 イーレが眠っているためか、今ははっきりと女性の姿が認識できる。金色の髪は、イーレと違い肩のところで切りそろえられている短さだ。自分より恐らくひとまわり以上は若い大人の女性だ。イーレの十年後の姿と言われれば納得する。

 これはいったいどういうことだろう、とハーレイは首をかしげた。



 いきなり長棍がハーレイに目がけて、突き出された。



「――!」


 喉を狙って突かれた長棍をハーレイは本能的に避けた。


「ハーレイ?」


 イーレは干し草のベッドの上で戦闘態勢になっており、目をまたたいていた。


「ああ、ごめんなさい。人がそばにいるから、びっくりしちゃって」


 イーレは長棍を引っ込めた。まだ眠いのか目をこする。


「……こちらこそ、すまなかった。今度から声をかける」

「そうしてもらえると助かるわ」

「パンを持ってきた」


 内心の動揺を押し隠し、ハーレイは彼女に背を向け、ナイフを取り出し、卓でパンを切り分けた。西の地の風習では、背中を見せることは敵意がない証拠だが、果たして通じるだろうか――。


身支度みじたくを整えるなら、そっちの水樽みずたるを使うといい」

「ありがとう」

「……」


 先程の突きは達人レベルの技術だった。彼女がエトゥールから西の地に派遣された暗殺者という可能性はあるだろうか?




 一方、イーレも動揺していた。

 あそこまで、接近を許してしまうとはどういうこと?!

 本来なら、小屋に誰かが入ってきた時点で気づくべきだ。だが、問題はそれだけではない。


 突き出した渾身こんしんの一撃が避けられたのだ。


 った、と思ったのに避けられた。ありえない。なんだ、あの男は。精霊の加護はそんなところまで、及ぶのだろうか。

 顔を洗って頭をはっきりさせたイーレは、ようやく前提条件が間違っていることに気づいた。


――エトゥールの和議の相手をったらダメじゃん……


 ここは事故が起きなくてよかったと思う場面だ。そうそう、よけてくれてよかったのだ。よかった。よかったはず……。


――くやしい。


 久々にイーレは屈辱くつじょくを味わった。




 ハーレイの持ってきたパンは美味しかった。小屋に常備されている木苺のジャムをつければ、さらに最高だった。燻製塩肉スモークハムも香辛料がきいて独特の風味があり、かなりいけるものだった。


「……美味しい」

「そうか、それはよかった」

「……」

「……」


 さきほどの対決に起因する、ぎこちない沈黙に満ちた朝食の静けさは、小屋に二十歳はたち前後の青年が飛び込んできたことでようやく終わった。


「ハーレイ!大変だ、ウールヴェが出た!」


 息を切らして報告するのは、ハーレイの補佐役であるヌアだった。

 ハーレイは朝食を中断して、すぐに立ち上がった。


「場所はどこだ?」

「ライアーの塚に引っ張った」

「上出来だ。男達を集めろ。村と小屋の方向には、向けさせるな。あと俺の弓と槍を持ってきてくれ」

「わかった」


 言葉がわからなくても騒動が起きたことにイーレは気づいた。


「何があったの?」

「野生のウールヴェがでた」

「野生のでかいヤツ?いのししみたいに突進するタイプの?」

「よく、知っているな。この小屋からでるな。こちらには向かわせない」


 イーレも立ち上がった。


「私もかりに参加したいわ」

「は?」

かりに参加したい」

「冗談じゃない。足手まといだ」

「大丈夫、私、強いから」


 先ほどの一撃で実力は思い知ったので、嘘ではないことはハーレイにも理解できた。だがそれとかりへの参加は別問題だった。


「だめだ」

「お願いよ、ハーレイ。こんな機会は滅多にないもの」


 若長の腕をつかんで、イーレは懇願こんがんする。ハーレイはその熱心さに眉をひそめた。


「なぜ、そこまでウールヴェ討伐にこだわる?」


 彼女は、ぽっと顔を赤らめた。照れたように、頬をに手をあて、視線をはずした。初めて見た年相応の仕草だった。


「……その……できれば……お肉を食べてみたいの……」

「……………………」


 乙女のように恥じらって言うセリフではない、とハーレイは思った。





 ライアーの塚は、古代の西の民を導いた賢人の古墳だった。村の北西に位置し、人もいないから巨大なウールヴェを食い止める場所として好都合だった。


「ハーレイ」


 ライアーの塚の近くに、戦える男たちが集まっている。総勢三十名あまりだった。補助役の少年たちも何人か見える。まだウールヴェ狩りが未経験の者だ。


「状況は?」

「足止めがうまくいかない――その子供は?」


 若長の後ろについてくる異国の子供に、皆が不思議そうな顔をする。


「ただの見学だ。無視していい」


 先の方の木樹の先端から、巨大な白い毛並みがのぞいている。針葉樹が音をたてて折れていった。


「若長、毒矢を使うか?」

「……いや、肉を得たいから毒はなしだ」


 けっして、イーレのためではない、と自分に言い聞かせてハーレイは指示を出した。


「わかった。おーい、今回は毒はなしで肉を調達するってよ」


 伝言がまわり、肉を確保することに参加者達の気分は高揚したようだった。おそらく討伐後の麦酒エールをまじえた宴会が彼等の頭を支配している。


「いつものように両目をつぶす。槍を準備しておけ」


 ハーレイが指示をすると、綿密な打ち合わせをしたわけでもないのに、男たちが散っていく。


 イーレは興味深そうに彼らの準備を眺めた。西の民の用意した槍は、獲物の肉に食い込んだら外れないように金属のかえしが幾つか、ついていた。槍というよりはもりに近い。手元の部分には丈夫な縄がわえてある。


 先ほど小屋にきた若者が、剛弓ごうきゅうをハーレイに渡した。かなり大きく、普通の男性があつかえる代物しろものではなかった。


――この弓をハーレイが使うの?

 イーレは驚いた。


 囮役の男達がウールヴェの気をひいている間に、ハーレイは静かに正面側に移動した。

 ハーレイは剛弓を構えた。すさまじい腕力がいるはずだが、引き絞られた弓は安定して微動だにしなかった。


 弦音が響く。彼の放った矢は暴れるウールヴェの右目を正確に貫いた。ウールヴェの苦痛の声が森に響き渡る。

 傍らに控えていたヌアがすぐに次の矢を渡す。

 ハーレイは再び剛弓を構え、矢を放った。二本目が同様に同じ右目に刺さる。 


 三本目が今度は左目に刺さる。


 それが合図だったようで、ウールヴェの右側にいた男たちが一斉に槍をはなった。

 ハーレイが四本目を再び左目に命中させると同時に、今度は左側から槍が放たれた。縄つきの銛のような槍が命中すると男たちは、近くの木に縄を何重もまいて固定した。


――ウールヴェの動きを封じるのね


 イーレは感心した。南の森で、サイラスは強引に力でねじふせたが、あれは彼の身体能力があったから可能であっただけで、西の民の団体での攻略の方が合理的だった。

 固定されたウールヴェに今度は男たちが弓を構え、一斉に矢を放つ。それが繰り返される。


「こうして弱らせていくのね」

「そうだ」

「時間がかかるのでは?」

「仕方あるまい、ウールヴェ相手だ」


 矢が次々と射られる中、ウールヴェのわずかな異常にイーレが気づいた。


「……ハーレイ、左側が抜けるわよ」

「何?」


 イーレのつぶやきに似た警告とともにウールヴェが吠えた。

 暴れるウールヴェは、肉が裂かれるのもかまわず、身をよじった。左側の槍が数本、ウールヴェの血と肉をまき散らしながら抜ける。固定が失われ、ウールヴェは拘束された右側に突進する。

 眼を失っているウールヴェの進行方向に補助役の少年がいた。

 周囲の人間が警告の叫びを発する。


――遅いっ!


 イーレは走った。

 少年がウールヴェに踏みつぶされる寸前で、彼の前に滑り込み、手の中の金属球を起動し防御シールドを展開する。


 ウールヴェの突進は見えない壁に阻まれた。無残につぶされるはずだった少年と金髪の少女が見えない壁に守られて尻餅をついている状態に周囲は目を見張った。


――あ、ヤバい。防壁シールドの方が負ける。


「イーレ!」

 そこへハーレイが走り込み、少年とイーレを小脇にかかえて駆け抜ける。みしみしと音をたて防御壁シールドが光とともに弾け散るのと、木にウールヴェが突っ込むのとほぼ同時だった。

 さすがのイーレも彼の腕の中でほっとした。


「今のはカイルと同じ技か?!」


 イーレは、ん?と顔をしかめた。

 「同じ技」とは、ハーレイの目の前でカイルは防御シールドを展開したことになる。

 そんなことは報告になかった。


「あの子、貴方の前で何をやらかしたの?!」


 ハーレイは彼女の反応に驚いた。「あの子」と成人のメレ・アイフェスが子供扱いされている。イーレの年齢の謎が深まるばかりだ。


「その話はあとにしよう」

「それもそうね」


 ウールヴェの攻略は振り出しに戻った状態だった。


「ハーレイ、動きを止めればウールヴェの前脚のけんを切れる?」

「簡単だ」

「まかせたわ。槍を貸して」

「人間相手じゃないんだぞ」


 ハーレイは自分の槍をイーレに渡した。かなりの重量のはずだが、イーレは苦にせず、試し振りをしている。


「わかってる。動きをとめるから、けんを切ってね」

「大丈夫か?」

「大丈夫よ。肉のために頑張るっ!」


 村の男たちが狩後の宴会の開催予定で高揚しているのと同様、今のイーレのモチベーションは肉だった。




「イーレ!」


 ハーレイは唖然とした。

 イーレは木に登ると、ウールヴェの巨大な背中に軽々と飛び移ったのだ。その背中をかけあがると後ろ首に槍を突き立てる。

 ウールヴェの動きが一瞬だけ止まった。


――後ろ首が弱点だと?!


「イーレに槍を渡せ!」


 思わぬ指示に男たちはあっけにとられたが、すぐに従った。下から槍を投げ渡されると子供は器用に片手で受け取り、後ろ首に突き立てていく。

 そのタイミングにあわせて、ハーレイは前足の腱に狙いを定めた。剣をふりかざして前足を切りつける。何回目かで、太い腱の切断に成功した。これで村と小屋に突進する可能性は極めて低くなった。それが一番重要なことだった。

 イーレはまだ痛みに暴れるウールヴェの背中にいた。




「イーレ」


 イーレはびっくりした。ハーレイが暴れるウールヴェの背中に乗ってきたのだ。


「急所はここか?」

「そう」

「知らなかった」


 ハーレイは持っていた槍を振り上げると、思いっきりウールヴェの首元に突き立てた。手ごたえはかなりあった。ウールヴェの暴れ方がややおさまりつつある。

 ハーレイは周囲の人間に、槍をよこせ、と手振りで指示をする。


「だって、ウールヴェの背中に乗るっていう発想はないでしょ?」

「確かにないな」

「私の弟子が最初に気づいた攻略法よ」

「……弟子……」


 やや、呆然と彼はイーレを見た。


「イーレ、貴方はいったい幾つなんだ」

「手がすべって貴方に槍を突き立てそうだからやめてくれる?」

「……やめておこう」


 やはり年齢の件は、禁断の話題らしい。ハーレイは追求を諦めた。

 イーレとハーレイは、下から投げ渡される槍を次々と突き立てていく。ついにウールヴェが膝をついた。


「効率がいいな」

「問題は背中に乗れる人間がそうそういないことだと思うわよ」

「確かに。だが、今後のウールヴェ狩りには役にたつ」

「ねぇ、これで肉を食べれる?」


 彼女の問いかけに、本当に裏のない肉目的で参加したことを悟り、ふっとハーレイは笑みをもらした。

 なんの言葉もなく、ハーレイはひょいとイーレを片腕で抱き上げた。そのまま、倒れたウールヴェの背中を歩き、地上に飛び降りる。


「今日の最大の功労者だ」


 ハーレイは片腕に乗せた子供を、肩に掲げのせ、宣言する。

 西の民の男達の歓声と賛同の声が森にこだました。


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