第6章 精霊の審判者
第1話 若き長①
「ハーレイ!」
子供達に弓の基礎を教えていたハーレイは、名を呼ばれ振り返った。狩装束の男達が数人、村の入り口で手を振る。
森に狩に行っていた者達だ。まだ日は高い。西の民の日課ともいえる狩は終わる時間ではない。
――揉め事か?
側にいた補佐役の青年に、手振りで子供達の教育を引き継がせ、ハーレイは男達の元に向かった。
「どうした?狩は終わったのか?」
「若長の判断を仰ぎたいことが起きた」
若長という名称にまだハーレイは慣れない。氏族の長が後継者としてハーレイを指名したことに端を発する。ハーレイが辞退を申し出ても認めてもらえないのだ。
精霊の加護が戻ったとはいえ、それは自分で解決したことではない。エトゥールのメレ・アイフェスがいたからこそで、その恩恵を享受する資格が自分に果たしてあるだろうか?
「子供が森にいて……」
「子供?どこの氏族だ?」
「いや、それが……言葉が通じないから……とりあえず森に来てくれ。多分、エトゥール語だと思う」
「エトゥール人だと?」
「だけど、変なんだ。周辺に馬車も、他に人の気配もないし、見張りも何も見なかったと言うし……」
「言いたいことがわからん」
「だから来てくれ。こっちも訳がわからん」
ハーレイは馬を用意し、案内に従った。
目的地は村の北に位置する精霊の泉だった。
森の中にあるこの泉は動物達の集いの場であり、森で狩をする時は、いい狩場になる。ただし水は汚してはならない。この泉は、精霊が作ったという伝説があるからだ。
聖域の泉のそばにある巨岩の上に問題の子供はいた。
大人でも
「言葉も通じないし、岩の上にいるし、あんな髪の色は見たこともない。精霊かもしれない、と皆が言うんだ」
「――」
子供は長い金髪を三つ編みにして一つにまとめている。女の子だ。自分の身長を越える長い棒を持っている。まるで賢者のようだった。ただ来ている服は妙だった。女なのにスカートではなく、身体にぴったりとしたズボンだった。上着も身体のサイズにぴったりとしている。見たことのない高級な布を使っている。金持ち、もしくは貴族かもしれない。
エトゥールで出会ったメレ・アイフェスと違うのは瞳の色だった。燃えるような赤い瞳をしている。
ハーレイは目を瞬いた。
――おかしい。子供と重なって成人女性が見える。
「わかった。あとは引き受ける。狩りに戻れ」
若長の命に、皆がほっとしたようだった。全員が森の中に消えていき、残ったハーレイを子供は興味深そうに見おろしている。
「エトゥール人か?」
ハーレイがエトゥール語で話しかけると反応があった。
「ああ、よかった。言葉が通じて一安心だわ」
子供は、質問には答えずにエトゥール語で返してきた。岩の上から飛び降りる。屋根の高さもある場所から音もなく着地するとは、驚くべき身軽さだ。
「どこから来た?」
子供は悪戯っぽく微笑むと、黙って天を指さした。
冗談にしても不敬な行為だ。精霊が住む天から来たなど。
「親はどこだ?」
「いないわ」
「どうやって、ここにきた?」
「精霊に飛ばされて?」
なぜ、疑問系なのか。しかも精霊を口にするとはいただけない。
「知らないから教えるが、軽々しく口にするものではない」
「なるほど、氏族的な
あらためて、子供を見る。再び子供と重なるように、成人女性の姿が重なって見える。
これは子供じゃない。むしろ精霊に対応しているような緊張感が生まれる。
ハーレイは口調をあらためた。
「貴方はカイルの知り合いか?」
「カイルを知っているのかしら?」
「
「
「そうかもしれない」
子供は自分の額を指で叩いて考えこんでいる。
「えっと……名前は確か、ハーレイ」
「そう」
「……精霊もややこしいことをするわね……」
「なんだって?」
「いえ、なんでも」
「名前を聞いても?」
「イーレ」
子供はハーレイを見上げて、にっこりと笑った。
「なぜ、この地に?」
「知らないわよ。世界の番人にきいてちょうだい」
世界の番人――精霊――この世界を
ハーレイは溜息をついた。
「だから、そういう不敬な言葉は――」
「なるほど、貴方たちの部族は精霊信仰に厚いというわけね。でも、それが真実な時はどうしたらいいの?」
長老と禅問答をしている気分だった。
「
「いいわね、それ。私の言葉が真実か占ってみてよ」
「……」
なぜだ。すごくペースを乱される。子供に化けた魔物だろうか?
「で、私の言葉が真実だと証明されたら、私をエトゥールまで送ってね」
「ちょっと待て、なぜそうなる?」
「だって、貴方はいたいけな子供を放り出すタイプじゃないでしょ?」
「……子供じゃないだろう?」
「あら、鋭い」
「さっきから、大人の女性の姿が重なって見える」
「――」
イーレという子供は絶句していた。
初めて、子供から一本取れた気分でハーレイは少し愉快になった。彼女はマジマジとハーレイの顔を見ている。
「えっと、貴方は『精霊の加護』とやらを持ってるのかしら?」
一本取ったと思ったら、そのまま脳天を殴られた気分だった。ハーレイにとって、今、一番触れられたくない話題だった。
「……まあ、そう……だな」
「そして、それは貴方の部族では、少数の一部の人しか持っていないのではなくて?」
「……まあ、そうだ」
「なるほど」
イーレは何事か考えこんだ。
「とりあえず今日は、貴方の領地で泊めてもらえるかしら」
「だから、なぜそうなる」
「このまま、私を放置して、魔獣やならず者の犠牲になったら、貴方の良心が痛むでしょ?」
「……おとなしく犠牲になる様に見えない」
「やっぱり、鋭い」
否定しないのか、と突っ込みたいところをハーレイはぐっと堪えた。
「しょうがない。森で適当に一泊するわ」
「――」
イーレはすたすたと森に向かう。迷いがなかった。
「待て」
思わず呼びとめると、イーレは笑いを噛み殺すように振り返った。
「……村には入れられないが、他所者が泊まる場所なら」
「ありがとう」
イーレはにっこりと礼を言う。
ハーレイは戦で敗北した気分を味わった。
ハーレイは結局、謎の子供を村と取引する商人が寝泊まりする小屋に案内した。清掃はされているが、狭くエトゥールの貴族にはふさわしくはない。
だがイーレは不満を言わなかった。
イーレは納屋の新しい干し草を持ち込み、布をかぶせ、自分で手際よくベッドを整える。妙に手慣れている、とハーレイは思った。
「どこでそんな手法を学んだんだ?」
イーレは得意そうに、にっと笑った。
「いろいろと経験があるのよ」
「エトゥールの貴族ではないのか?」
「正確に言うと違うわ。カイルと同類よ」
「
「メレ・アイフェスがどういう意味で使われているかによるわ。だってここはエトゥールと対立してる国なんでしょ?」
「今は休戦中だ」
ハーレイはむっとした。
「あら、カイルが苦労した和議はまだ結ばれていないの?」
「話し合いの二日後に、いきなり国境までおくられた。和議は後日という話だった」
「ああ、カイルが倒れたからね」
「カイルが倒れただと⁉︎」
失言したイーレは慌てて口に手をあてた。ハーレイはイーレの腕をつかんだ。
「いったい、どういうことだ⁉︎」
「えっと、落ち着いてくれる? 誤解させたわね、カイルは今は無事よ。意識を取り戻して、生活しているわ」
「いきなり我々を国境まで送り届けた理由はそれか⁉︎」
「そうかも」
「だから、エトゥール人は油断はならないんだっ!」
「逆でしょう」
イーレは真顔で言った。
「カイルが倒れたきっかけが西の民との接触なら、それをエトゥール内の派閥に政治的に利用されるのを避けるために、メレ・エトゥールは貴方達を逃したのよ」
「……」
「実際、粛正は行われたし、メレ・エトゥールは約束を果たしたと思うわ。だいたい怪しい子供の言葉を簡単に信じては、ダメでしょ。自分で確かめるべきね」
「……」
「だから、私をエトゥールに連れていって、直接カイルの無事を確認するのは、どう?」
「――断る」
あやうくのせられるところだった。その証拠にイーレは小さく舌打ちをした。
頭のいい口の達者な子供だ。村に近づけるのは、危険かもしれない、とハーレイは感じた。この姿と、魅了する無邪気な笑顔に騙される村人が多数でそうだった。
「小屋の中の物は好きに使っていい。あと、悪いがウールヴェで監視させてもらう」
ハーレイは自分のウールヴェを呼び出した。彼の腕に夜目がきく大きなフクロウが現れた。
「ウールヴェ!」
イーレは目を輝かせた。
なんだ、その期待に満ちた反応は――と、ハーレイは引き気味になった。
「すごいわ、鳥型もいるのね。しかも色が白じゃない」
「鳥型?」
「カイルのウールヴェは、純白の大きな狼に似ていたわ」
「――」
カイルのウールヴェは肩に乗る大きさだった。それがわずか数ヶ月で急成長したことになる。その可能性にハーレイは、いくつか思いあたったが、とりあえず頭から追い出した。
恐れも知らずにウールヴェに触れようとするイーレの手を避け、ハーレイはフクロウを小屋の梁に向かって放した。
子供を見張ることと、梁の上にいることを命じる。
「ああ、触らせてよ」
「断る」
「ケチ」
「懐柔するために餌をやりまくる気がする」
「貴方は本当に鋭いわね。予知能力でもあるの?」
否定しないのか――と、ハーレイは内心呆れる。
「先見の力があったら、もっと楽に生きられる」
「そうかしら?」
イーレは小さく笑った。
「未来がわかれば、案外それに縛られるかもしれないわよ?」
「……賢者みたいな言い方だな」
「そう?」
「貴方はいったい幾つなんだ?」
「……死にたくなかったら、その禁断の質問はやめた方がいいわよ?」
冗談のような切り返しだったが、ずっと幻視している成人女性の手に、いつのまにか死の精霊が持つ巨大な鎌が握られていた。
――本気だ
確かに禁断の質問であることをハーレイは悟った。
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